表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
wish  作者: 優吏
6/18

夢で

 夜が本格的に深まり、MIYOSHIではこんな状態に陥って初めての就寝時間がやってきていた。

 皆に疲労が溜まっていた。それはそうだろう。朔良と一樹以外はもう丸一日拘束されてることになる。

 三吉が店に毛布を置いてある、と崇史に教え、スタッフルームから出してもらった。

 毛布は五枚ある。崇史は全部人質側に渡してくれた。それでも足りないので、二、三人で一枚を使うことになった。

 朔良はこんなこともあろうかと、鞄に洋服を余分に持ってきてあったので毛布は断った。暖房もあるし問題ない。

「何が入ってるんだ?」

 隣で一樹が大きめの鞄を見て、怪訝な顔をしていた。

「いやあ、何持ってきたら良いかわからなくて、旅行気分…では無いんですけど、ね」

 朔良はそれに何とか体裁を取り繕う。

 そして一樹もなぜか毛布を断り、朔良の隣から離れなかった。無謀なことをする朔良を見守りたかったのだろう。いや、信用を失ってるだけだな……と朔良は思う。

 それからしばらくするとほとんどの人から寝息が聴こえ始めた。本当に疲れていたのだ。

 崇史と亮は交代制で見張るようだった。

 朔良はなかなか寝付けなかった。まだ興奮しているのかもしれない。

 そして静まり返ったその場所では、志保のことばかりが湧き上がってきた。

(いや…違うな…)

 此処(ここ)だからではないのだ。毎日独りになると思い出す…志保のことを。

 ―――どこにも居場所を感じられない。

 志保はよくそう言っていた。まだ崇史と出逢う…幸せを知る前だ。

「だからといって死に逃げるわけじゃあないのよ。でもこの世界は……この国はこんなに物に溢れているのにどこか孤独を感じるの」

 彼女はいつもそんなことを言いながらも笑っていた。哀しい笑みだった。

「他人の気持ちって絶対分からないもんだよね。同じことを体験しても感じるところは一人一人違うし。でもつい近い人とだと錯覚する、いま同じこと想ってるかもって」

 朔良もそう言いつつ、今は彼女と同じ気持ちなんじゃないかと錯覚する。

 そしてそんなとき、そこに少しでも相違があることを知ると、自分は独りだと気づかせられるのだ。

「朔良、人はいつか死ぬけど………私はその時は自分で決めたいな」

 志保はそう言うとまた笑った。

 今というわけではない……そう、()()()だ。

「そしたら私は笑って見送るよ」

 朔良もそう言って笑っていたのだ。

 そういう話をした後、いつも志保は、朔良が先に逝くかも知れないよ、と冗談ぽくやはり笑っていた。

(やっぱり志保が先だったんだね………)

 なんとなくそんな気がした。

 まさかそれがこんなに速く訪れて、こんなに笑うことが難しいことだとは思わなかった。

 ひと月経ってもまだ薄れない。

「地球が誕生してどれだけの年月が経ってると思う?長い目でみれば悲しみなんて一瞬だよ」

 出逢った頃の志保の言葉は、今や酷く無情に聴こえる。

(分かってるから…志保……)

 志保は笑って送られることを望んでいる。

 ―――そして、なるべく早く周りの人には普段の日常を取り戻して欲しい、と。

 しかし崇史はどうだ?志保の想いとは正反対の行動を取っている。

 志保の想いは志保と朔良だけのものだった。破られることは許されない誓い。

 だから朔良が崇史を止めなければならない。

(志保…必ず思い出すから…)

 志保の最期は自分しか知らない、と言ったのは本当だった。

 ―――失われた記憶には他意がある。

 いつの間にか朔良も眠りに落ちていた。


   * * *


「ホント朔良には悪いことをしたなあ」

 隣で彼女は一人言のように呟いた。頬がほんのり赤い。

「やめてよ。私普通に祝福してるんだから」

 朔良は笑いながら心の底からの気持ちで言った。視線は目の前のカクテルに向いたまま。

 嘘はなかった。

(ただ…ちょっぴり寂しいだけ…)

 声に出さず付け足す。

「でもあの気持ちは今も変わってないの」

「うん」

 ちゃんとわかってる。

「結婚してもあたしは変わらないよ」

「うん」

「また時々こうして飲もうよ」

 そこで朔良は彼女を見る。

「当たり前だよ!家庭が出来ても誘うから」

 誘わなくてもあの店に行けば、高確率で会えるのだが。

「ホントに酒好きだねえ」

 彼女はからかうように笑っていた。

「自分もでしょ」

 朔良も負けじと笑い返す。

「うん。お酒は日常を忘れさせてくれるからね。…ねえ、あたし達はどんな風に()()のかなあ」

 何でもないことのようにさらりと彼女は言った。朔良はその言葉を慣れたことのように聞いていた。

 彼女と二人きりになるとよくこんな会話をしていたのだ。

「先のことは分からないからねえ。周りは哀しむんだろうけどね」

 朔良は苦笑した。彼女は切なそうに言った。

「どうして人って()()なのかな」

 逃れられない死の連鎖。

 生あるものはいずれ死ぬのに、必ずそこには悲しみや哀しみが生まれる。

 だけどそんな負担をかけるようなことは嫌だね、と朔良達はよく語り合っていた。

 そのときふと、彼女の目線は朔良を通り越して、朔良の後ろに向かって笑いかける。

「あ。お久しぶりですね」

 朔良は彼女、笠原志保の目線を追って振り向いた―――。


   * * *


 はっと朔良は目を醒ました。毛布のように掛けていたダウンコートが、少しずり落ちた。

(夢…?)

 頭を押さえたい衝動に駆られる。そこで手が自由に動かないことを再認識させられた。

 順を追って、現在の状況を思い出す。

 朔良は窓際を見ると崇史が見張る番だった。目が合った。

 心臓が早鐘のように鳴りだす。隠すように下を向いた。コートを顎で引き上げる。

「何か思い出したか?」

 崇史が小さい声で訊いてきた。

 周りは皆寝ている。亮でさえ、一樹だって目を閉じていた。起きているのは二人だけ。

 朔良も俯いたまま、皆を起こさないように気を遣いながら小声で答える。

「まだですよ」

 先ほどのはただの夢では無かった。

 所々失くなった記憶の一欠片。

 場所は()()()の二次会の会場で、vistaというバーだった。MIYOSHIの後には良く行く店だ。

 そこでの志保との会話。

 記憶はパズルのピースのように、少しずつはめこまれる。しかしまだ完成はしていなかった。

 崇史は片膝を立てて座り、じっとこちらを見ている。朔良の奥底を見定めようとする目だった。

「何が目的なんだ?」

 口からストレートに発せられる疑問。

「私が動くのは志保の為だけです」

 Dark Killで言った言葉とまったく同じことを呟く。

「冬馬さんとは別のところで」

 そして付け足した。

  崇史はピクリと反応する。

「どういう意味だ?」

 瞬時に朔良は後悔した。まだ言うべき時では無かったのだ。

「志保は今の貴方を見て、どう思うでしょうか?」

 しかし重要な記憶を取り戻した朔良は興奮していて、止まらない。

 重要なのは、志保との会話のその後だった。二人に近づいてきた人物。確信があった。()()()が怪しい。

 そんなことが分からない崇史は朔良を睨み付ける。

「お前も一樹と同じ意見なんだな」

 そう言えば一樹も最初に言っていたな、と朔良は思った。

 あの時はこの台詞は逆効果だった。だから少し違ったことを伝えた。ただひとつの事実として。

「志保は貴方が本当に好きでした。冬馬さんがいなかったら、志保はもっと早くいなくなっていたかもしれない…」

 思わず崇史は立ち上がった。椅子が音を立て、亮が目を開いた。

「それはどういう、ことだ?まさか……」

 崇史が頭を抱える。

(言うな!)

 心の別の声が朔良を遮る。しかしその口は止まらず、言うつもりも無かったことを吐き出した。

「違います。志保は自殺はしていません」

「!」

 崇史は目を見開いた。

 ずっと誰かからそう言ってもらいたかったのだろう。その目が少し赤くなる。そして大股で朔良にまで近づいた。

 僅かに朔良は身構える。しかし崇史は乱暴はしなかった。

「頼む…教えてくれ。榊原が知ってること全部」

 朔良の前にしゃがみこんで頭を下げた。

 その姿を見るのは正直辛かった。こうなることが分かるから、言うべきでは無かったのに………。朔良は自分を責めた。

「ごめんなさい」

 仕方ない。誤魔化すのはやめよう。誠実に朔良は言った。

「すぐ思い出すから…これ以上は、もう少し待っててくれませんか?」

 しゃがみこんだまま崇史は顔を上げる。泣きそうな表情だった。

 たまらなくなって朔良は目を逸らした。

「自殺じゃないのは…確かなんだな?」

「………はい……」

 自殺志願者だったのはもうずっと前だ。それに志保はこんな形で終えたりしない。それを朔良は知ってる。

「そうか…」

 崇史はそれだけ言うと、しばらく黙ったまま項垂れていた。

 どうしても朔良は志保の本音だけは伝えられなかった。そして怪しい人物のことも、まだ中途半端な情報しか持ち合わせていなかったのだ。


   * * *


 そして夜が開けた。

 暖房が一応ついているが、真冬の朝はやっぱり寒かった。

 ひとつ身震いをして朔良は目覚めた。またいつの間にか眠っていたらしい。

 しかし眠りが浅かったせいかまた夢を見た。今回はただの夢。母親が怒りながらこちらを見ていた。よくヒステリックに怒っている母親だった。

(こんな状況になって気になっているのかも……)

 遠く離れた両親に、ここに居ることは伝わるのだろうか。

 朔良はこの街で独り暮らしをしていた。会社には隼人に連絡をしてもらうことになっている。今日は平日だが出勤は出来ない。

(会社から実家に連絡が入るのかな?)

 それは嫌だな、と朔良は思った。無用な心配は掛けたくない。

(でもしょうがないか…)

 自分の意志でここにいるのだから。

 周りを見るとほとんどの人が起きていた。皆も、あまり深くは眠れていないみたいだった。

 朔良はトイレに行きたいと崇史に告げる。

 ここにいる間、トイレは申告しなければならなかった。崇史か亮が見張る為ついて来るが、その間だけは縄をほどいてくれる。

「あ、私も…」

 遠慮がちに結花も申し出た。この中で女性は二人だけだ。

 移動する二人の後ろから崇史がついてきて、そして縄をほどくとトイレの前で待つ。トイレには逃げれるような窓は無い。

 最初は待たれることが何だか恥ずかしかったが、二度目には慣れた。

 用を足して手を洗っていると結花が左隣に来て話しかけてきた。

「あんた、なにしに来たのよ」

 崇史に聞かれないよう、小声だったがはっきりと怒りが伝わってきた。

 栗色の短い髪が頬に掛かってくるのも構わず、中腰で手を洗いながら睨み上げている。可憐な花柄のワンピースがその表情と不釣り合いだった。

「みんな同じようなことを訊くね」

 蛇口を捻りちょっと朔良は笑ってみせる。しかし結花にはそれさえも苛立ちを募らせる要因となった。

「ちゃんと答えないからでしょ。なにを企んでるのかって訊いてるのよ」

 結花とは今までよく一瞬に飲んでいた。あの日もメンバーの中にいたほどなのだから、本当はかなり近しい間柄だ。

 そして結花は志保のことが友として大好きだった。

 だが志保はよく朔良といるので、常日頃から嫉妬の目を向けていたのだ。このようにあからさまなものは初めてだったが、朔良は気づいていた。

 志保が死んだことで、感情が抑制を仕切れないのだろう。

「結花には関係ないことだよ」

 自然と朔良も拒絶するような口調になってしまった。結花の目に憎しみの色が混じる。

「あんたなに落ち着いてんの?気持ち悪いっ!なに考えてんのか全然わかんない!」

 徐々に語調が荒くる。朔良は黙ったまま結花を見つめた。まるで、静かにその憎しみを受け止めるかのように。

「志保が死んだ日もそれからも、あんたが泣いたところを見たことがないわ!むしろ笑ってばっかり。頭おかしいんじゃない?それとも馬鹿!?」

 叫びながら蛇口の先を手で抑え、その水を朔良にぶちまけた。

 思わず右手で顔を覆い少し後退る。冷たい水は庇いきれず髪と服を濡らせた。

 そのとき、ここの異変に気づいた崇史がドアを勢いよく開いて入ってきた。

「なんだ?何をしている!」

 崇史から見て手間に結花、奥に朔良がいる。濡れた朔良と出しっぱなしの水。

 事態を瞬時に理解すると結花の腕を抑えた。

「やめろ!」

 しかし一度爆発した結花の感情は収まらない。腕を捕まれられながらも糾弾した。

「私は聞いているのよ!あの日あんたは志保に死ねって言ったじゃない!!それから通夜にも葬式にも来なかった!なにを企んでるか言えよ!」

 結花は崇史がいなければ掴みかかってくる勢いだった。かくいう崇史は結花を抑えながらも、その内容に訝しげな顔で朔良を見る。

 朔良はハンカチを出し、かかってしまった顔や髪を拭いた。まるで平穏な心を取り戻すかのように。

(私が志保に?)

 まだ、思い出せない場面だった。

 そこに驚きはなかったが、ただ胸は痛んだ。どういう流れでそう言ったのかはまだ分からない。

 でもよく生と死について話していたんだ。どうかその延長線上であって欲しいと朔良は願った。もちろん志保の死なんて望んでないから。

(傷つけてしまっていたらどうしよう……)

 朔良はそっと目を伏せた。

「そんなこと、どうでも良いでしょう」

「なんですって?」

「たまたま忙しかったから行けなかった、それだけよ。別に何も企んでないし、あの言葉は………そう、ただの冗談」

「なにそれっ!どこまでも自分は関係無いみたいにっ!…そうやって無関心でいればいいわ!私は絶っ対!許さないから!……殺してやりたい!殺してやる!!」

 最後の方は絶叫に近かった。何度も殺すと叫び、崇史の腕を振りほどこうとする。

 しかし男の力には敵わない。崇史も本気で抑えていた。

「やめろ!大人しくしないと撃つぞ!」

 崇史は榛色のジャケットのポケットに入れていた拳銃を、威嚇のために引き抜く。

 結花は崇史を睨み付けながらも口を閉ざすと、みるみる内にその目から涙が溢れ出した。

 それを見ると崇史は朔良に視線を移す。

「お前も、あんまりスカしてんなよ。勝手なことするな、って言ったのは俺に対してだけじゃないんだ。この場を荒らすなら容赦はしない」

 崇史の感情は不安定でぶれていた。怒りと哀しみが左右にあるとしたなら、中心にある針が極端に振れる。

 今は結花に感化でもされたのか、怒りの中にいた。朔良はハンカチをポケットに押し込む。

「私だって…別に怒らせたいわけじゃあ、ないんだけどな」

 聞き取れないほどの小さい呟き。崇史は僅かにこちらに耳を寄せ、結花は構わず泣いていた。

 その時、なかなか戻ってこない三人に不審に思ったのか亮がやってきた。

 肩に機関銃を乗せながら飄々(ひょうひょう)としている。中を一度見渡すと朔良に目線を戻して、ぼそりと言った。

「また、あんたなの」

 朔良は苦笑するしかなかった。

「こいつ撃っちゃえよ崇史。こいつがいなければ全て(うま)(まと)まる」

 とんでもないことを、さらりと無表情で亮は言う。

 崇史は即答しなかった。迷っているようだ。

(まずいな…)

 直感的に朔良はそう思った。明らかに不利だ。

 そしてどう動くべきか迷う。

 ひととき沈黙が続き、先に口を開いたのは結花だった。

「もういい。こんな人、相手にしなければいいのよ……構われたいだけなんだわ」

 まだ涙声で疲れたように言う。

 崇史は結花から手を放した。結花はもう朔良に突っ掛かりはしなかった。

「確かに…木本の言う通りかもしれない」

 崇史はポツリと呟く。

「お前のことが分からない。何が言いたいのか、何がしたいのか…」

 崇史の、結花の、亮の視線が痛い。

 一挙手一投足を見張られているようだった。

「本当に榊原はここに荒らしに来たとしか思えない」

 そして崇史は拳銃を朔良に向けた。この状況がもう何度目になるか数えるのも億劫になる。

 崇史の表情は読めなかった。

 感情を荒立てないで静かに銃口を向けられるのは初めてだ。

 だからこそ朔良は恐かった。どういうつもりでいるのか、まったく読めない。一寸先は闇。その言葉を痛感する。

 表情に変化もないまま静かに崇史は撃鉄を引き起こした。

「安心しろ。まだ殺さない」

 朔良がその意味を考える前に、崇史は引き金を引いた。

 乾いた音がトイレに響く―――。

「!」

 朔良は(ひざまず)いた。右脇腹に貫くように衝撃がきて、立てなかった。目の端に赤い液体が広がっていく。

「くっ…」

 遅れて、卒倒しそうなほどの痛みが朔良を襲った。

 目の前が霞んできて跪くことさえままならなくなる。やがて朔良は前のめりに倒れた。

「きゃあっ!」

 やっと事態を把握した結花の叫び声が、どこか遠くから聴こえてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ