怪しい人物
あの日、二次会のあったvistaで朔良は意外な人に出会った。
その男の名は松野貴尚。
よくここやMIYOSHIで会う人物だったが、この日は沙織里が幹事として貸し切りにしていたはずだった。その貴尚がまるで参加者のようにvistaにいたのだ。
そして朔良と志保の会話を邪魔するように、カウンターの席に近づいてきた。
朔良は隣に置いてあったバッグやコートをそのままにして、貴尚が座ることを拒否する。しかし志保が自分の左隣を促してしまった。挨拶を交わして何やら朔良の話をし始めている。
「朔良ちゃんはまだ彼氏いないんだ」
志保の隣に座った貴尚は、賢そうに眼鏡を中指で上げながら、志保越しに朔良に聞いてきた。
貴尚はいつものようにビジネススーツを身に纏っていて、見た目は二十代後半の落ち着いた感じがする男だった。
朔良には男性のスーツの価値が判らなかい。だが着けている時計は、かなり金持ちだと判断させる物だった。
「そうなんですよ。なかなか理想が高いんです。ね、朔良」
何故か志保が嬉しそうに真ん中で受け答えをしている。
朔良はいきなり現れた邪魔者に内心目を細めた。どういうつもりで割って入ってきたんだか…という目だ。
「じゃあ僕が立候補しようかな」
貴尚がニコニコと笑って言ってくる。
「だってどうする?朔良」
朔良はつい頭を押さえた。
「あのねえ」
改めて貴尚の目を見てきっぱりと言う。
「私は松野さんとはお付き合いしないって、前にもお断りしたと思いますけど」
貴尚は朔良と会うと、いつもそんなことばかり言ってくるのだ。
「残念でしたね、松野さん」
やっぱり志保は楽しそうだ。
貴尚は朔良に好意を抱いているようだが、いつもそれを断り倒していた。志保は貴尚が朔良に何度断られてもめげないのを知っているから、いつの間にか面白がるようになっていたのだ。
「確かに残念だな。君の理想に近づくことも頑張るのに」
わざと貴尚は悲しそうな顔をする。そう、わざとな感じが朔良には伝わってきているから、どこか信用出来なかったのだ。
「朔良も試しに付き合ってみたら良いのに。意外と相性良いかもよ」
志保は無邪気だ。自分ばかりが幸せになることに気が引けているのだろう。結婚が決まってから、彼女はお酒が入るとよく朔良にそう言うようになっていた。
こんな事を言う志保は嫌いだった。
別に僻んでいるわけではない。ただ、幸せを押し付けられているような気がしてしまうのだ。
「そうだよ。どう?試しに」
「い、や、です!」
これ以上は無いくらいに断っているのに、何故この人は引かないんだろう。
「志保ー。見て見てこれ!」
その時テーブルから志保を呼ぶ声がした。彼氏達数人と飲んでいた結花だ。何やら写真を持って振っている。
すでに出来上がっているようだ。
おそらくあの写真は結花と彼氏である中岡賢二が旅行した時の写真だろう。最近海外旅行に行ったと聞いている。
「なに?なに?」
志保はその盛り上がりに興味を惹かれ行ってしまった。
MIYOSHIで飲んだあとはいつも二手に別れていた。馬鹿騒ぎしたい派とただ静かに飲みたい派に…。
vistaに来るメンバーは静かに飲む派だったのに、最近はお酒が進むといつの間にか居酒屋化していて、朔良には不満だった。
「まあ、いいけど別に」
「なにが良いの?」
不意に近くに貴尚が顔を寄せていた。志保が抜けた事で朔良の隣に来たのだ。
思わず朔良は後ろにのけ反る。いつの間にか気持ちが声に出ていたらしい。
「いーえ、なんでも」
「そう?面白いね朔良ちゃん」
貴尚は甘い笑顔で朔良に言った。
「やめてください。その呼び方。背中がゾワゾワする」
両腕で自分を抱きしめ、僅かに震える。
「寒いの?暖めてあげようか?」
「…………………」
朔良は無視した会話に嫌悪感を覚えた。
「ちょっと失礼」
そう言うと、トイレに行くために立ち上がった。
どう撃退しようか考えながら。
用を済ませそこから戻ると、もう貴尚はカウンターにはいなかった。別の仲間の男性とテーブルで喋りながら飲んでいたのが見える。
朔良はほっとして、カウンターに戻りカクテルを飲み干した。
* * *
―――場面が変わった。
朔良は遠くからそれを視させられている。
自分は夢を見ているんだ、とこの時気づいて、不思議な感覚に陥った。
その時、感情がいつもより昂っているのを朔良は感じていた。
最初はお酒のせいだと思っていた。いつもとは違い、悪い酔い方をしてしまったのかと………。
だけどそれは違う、と別のところから否定する声が聴こえてくる。
もしかしたら…という想いが消せない。心当たりというにはあまりに確実性がある真実。
嫌な予感が朔良の神経を尖らせていく。
「朔良は警戒心が強すぎるよ」
志保は純粋に酔っていた。たまたまトイレが一緒になって、手を洗っている時に警戒心もなく喋りかけてくる。
「なにが?」
少し苛立って、冷たく聞き返してしまう。
三次会として開かれた会場は、スナックだった。飲み仲間である河口俊の母親が経営していて、時々少人数になると誘ってくれていたのだ。
この日三次会に参加したのは、その俊と、朔良と志保と沙織里、それに結花と賢二の六人だ。
ここのトイレの中は一人用で狭かった。自然と近くで話すため、声は小さめになる。
「松野さん。私は良い人だと思うけどなあ」
ハンカチを取り出して丁寧に手を拭きながら志保が言った。
「あの人を信用したら駄目だよ」
トイレの鏡で自分を見ながら朔良は答えた。まるで自分自身に言っている気持ちになる。
「どうして?…あ、今度三人で飲む機会つくろっか。一度ちゃんと会話したら朔良だって…」
「絶対ダメ!志保も松野さんには近づかないで」
言葉を途中で遮られて、少し志保は頬を膨らませた。
「別にあたしが話すのは問題ないじゃん。朔良と違ってあたし松野さん好印象だし」
「志保…」
朔良は志保を睨んだ。焦る気持ちのせいか、普段ならば絶対にしない行動になる。
いや、焦らせる元凶がある。それがすべての悪だった。
「志保はあの人のこと知らなすぎる」
「それを言うなら朔良でしょ。朔良はいつもすぐ思い込んじゃうところあるからさ」
「私のどこが………?」
「松野さんだってまさにそうよ。特に何かされた訳でもないのに……頑固に意地張ってさ」
何かなら、された。
しかしそれを志保には言えなかった。伝えられないもどかしさが苛々を募らせる。
「志保は最近お節介すぎるよ」
「お節介?」
「ほっといてよ!私のことは」
少しずつだが確実に声が大きくなった。
「ひどい…あたしは朔良に幸せになって欲しかっただけなのに」
「私は幸せだよ」
「うそつき。怖いだけでしょ」
「なに………」
「幸せになって心が変わるのが怖いのよ!死にたい時に死ねなくなるから!」
「!」
それは禁句だった。朔良の理性を完全に吹き飛ばしていた。
―――駄目。言っては駄目!
遠くから見ていた朔良は思わず叫ぶ。しかし何故か声が出なかった。
頭では分かっていた。例え声が出たところで………今更こんなところで止めても無駄であることを。
―――これはすべてあの日にあったこと。もう、終わったことなのだ。
「志保だって変わったじゃない!前はこんなこと言わなかった。自分だけ幸せになると思って気が引けてるだけでしょ?」
「そんなことない!」
朔良は志保の前に居るのが耐えられなくなって、トイレの扉を開きながら言った。
「結局、そうやって志保も運命に殺されていくんだ。だったら、いまのうちに死んだ方がマシだよっ!」
言ってはいけない言葉を言ってしまった。
―――つい、朔良は顔を背けた。
そこにいた沙織里達が驚いて自分達を見ている。トイレから出た二人は、それに気づいて慌てて取り繕っていた。
(まずいことを聞かれた意識は…志保と共感していたんだね…)
客観的に目の当たりさせられて、初めて気づくこともあるのだ。
そう、これが結花が聞いた事実だった。このときの結花は、すでに憎しみをその眼光に介在させていた。
* * *
一発の銃声は一樹の耳にも無論届いていた。
嫌な予感はしていたのだ…。中々戻ってこない三人。そして様子を見に行く亮。
一樹は縛られながらも何とか立ち上がった。三吉も賢二も同じようにした。
他の人達は、心配そうな顔をしたものの、恐怖の方が先にきたようだ。
構わず一樹は銃声のした方…トイレへと駆け込んだ。後に三吉、そして賢二と続く。
「!」
結花の悲鳴が聞こえた。そして血なまぐさい臭い。
ドアは開いていた。だからすぐにその状態を見てとれた。
聴覚、嗅覚という流れで情報を捉え、そして視覚、―――目に映ったものが一番の衝撃を与えた。朔良が、倒れている。
「なに……なにが…………」
一樹の声が震えた。三吉も目を見開き、そして賢二も息を呑んでいた。
「朔良!朔良!!お前達、何してるんのか分かってんのか?」
三吉が激怒した。普段を知っている者からすると、想像がつかない迫力だっただろう。
亮がこちらを向き、表情も変えずに冷たく言った。
「何勝手に動いてるの?」
手には機関銃をもっている。三吉は少し戸惑ってしまった。撃たれる恐怖は怒りをも抑制する。
だが一樹には分かった。
振り向かない崇史の背中を見て、亮ではなく、彼が撃ったことを。
亮は機関銃で一樹達を押した。戻れと無言で命令する。それを踏ん張って一樹は叫んだ。
「崇史ー!!」
僅かに亮がうるさい、と顔をしかめた。だが当の崇史は反応しない。結花はその隣で青ざめていた。
「いい加減にしろよ!どこまで堕ちたら気が済むんだっ!!」
耐えられなかった。
これが全部夢で、早く目が覚めれば良いのに、と一樹は強く思う。
そして朔良の元に駆け寄りたい衝動に駆られる。しかし亮がそれを許さない。
「亮!どけよ!どけ!」
肩で何とか押し返そうとした。だが、縛られた体ではどうしても負けてしまう。
亮は涼しい顔をして、阻止する力を緩めずに崇史を見た。
「こいつも撃つ?」
自分の頭の血がさあっと引くのが分かった。
亮は昔から自分達とは違った世界にいることが多かった。何を考えているのかまったく分からない。
崇史はそんな亮をいつもでも受け入れた。面白いものを見るような感じで、亮と付き合っていたのだ。
亮にとって崇史は最大の理解者となった。だからこそ亮にとっても、崇史のことを大切な存在と思っているのだろう。
それは異常なほどだった。昔から、崇史の言うことだけは聞く。しかし他の者に対しては徹底的に冷たい。
「亮……お前ももう辞めろよ。本当に崇史のことを想うなら、もっとやるべきことがあるだろ?」
必死な一樹の訴えにも、亮は聞く耳を持たない。無視して崇史の次の言葉を待っている。
崇史がようやくこちらを振り向いた。血の気がなく、蒼白い顔をしていたが、表情は無かった。
「そうだな。うるさい奴は黙らせればいい。俺にはその力がある」
一樹はカッとなった。とんでもない思い上がりだ。力があるのは道具で崇史自身ではないのだ。
「崇史!目を覚ませ!」
撃たれるかもしれない、そう思っても叫ばずにはいられなかった。何より早く朔良を手当てしないと手遅れになってしまう。
しかし崇史の精神状態は通常のそれでは無かった。一人撃ったことでタガが外れたようだ。
躊躇なくまっすぐと、拳銃を持っている腕を一樹に向ける。
「ひっ!」
後ろにいた賢二が、畏怖の声を上げて後退った。
一樹は目を見開いて、愕然とした。
こんなことをする男だっただろうか。これではまるで殺人鬼ではないか。この恐怖を朔良も味わったというのか。
逃げたいのに、脚が震えて動けない。
「ちょっと寝ていてもらおう」
それは悪役の台詞だよ、と切なく思う。しかしその時、聞こえてくるはずのない声が間に入った。
「やめて…」
朔良だった。ゆっくりと立ち上がり、血に染まりながらもしっかりと崇史を見据えている。
「榊原!」
「朔良!」
一樹と三吉が思わず叫ぶ。
信じられなかった。彼女のここまでの強さは一体どこからくるのだろうか?
(なんで…立ち上がれるんだ………なんで、立ち上がるんだ…)
その場にいた誰もが驚きの目で朔良を見た。亮でさえも、目を見開いていた。かなり珍しいことだ。
「大事な人質、なんでしょう?……1人でも、死んだら意味、無いじゃない?………警察は、絶対動かなく、な………」
小さな声だったが、確実に聞こえた。まだ何とか喋ろうとする朔良は、だけど再びよろけて倒れ掛かる。
「榊原!」
亮に隙が出来ていた。一樹は亮の脇をすり抜けると、崇史の横も通り過ぎ、素早く朔良の元に駆け寄った。
右胸が朔良の額に当たり、その身を何とか支えることに成功する。手が使えないことを、ここまで不便に思うことは無かった。
「榊原、大丈夫か?」
気をしっかり持って貰おうと、声を掛ける。
朔良はゆっくり一樹の腕を掴んで、上体を起こした。目が痛みから虚ろだ。そして一樹にしか聞こえないほどの小声で朔良は言った。
「一樹さん…もう、冬馬さんを刺激しないで…私はだい、じょぶ、だから……」
一樹は目を瞠った。
そのとき、朔良がやっぱり笑っていたから―――。




