エピローグ「終わらない美食の旅」
世界樹の美食魔王を専属の仕入れ業者に引き入れてから、さらに数年の月日が流れた。
今や『海竜亭』は、単なる飲食店や商会の枠を超え、世界中の流通と経済の心臓部を担う超巨大組織へと成長を遂げていた。
新大陸の王都は彼らの本拠地としてかつてないほどの繁栄を謳歌しており、多種多様な種族が美味なる食事を求めて行き交っている。
そんな平和で活気に満ちた王都が、今日ばかりは前代未聞の祝祭ムードに包まれていた。
世界最大の格式を誇る大聖堂。
その内部には、アクアリアの国王をはじめとする各国の王族、魔境の荒くれハンターたち、スラム出身の開拓農家、そしてスーツを着こなした美食魔王までが、所狭しと参列席に座っている。
誰もが、今日という特別な日を心から祝福するために集まっていた。
「……まさか、俺がこんな場所で主役を張る日が来るとはな」
祭壇の前に立つタクミは、純白のタキシードの襟を正しながら、ふと自らの瞳に宿る『真贋鑑定』のスキルを発動させた。
あの名もなき街で目覚めた日から、彼はこのスキルを使って数多くの『価値』を見極め、莫大な富を築き上げてきた。
最高級の魔導具、伝説の食材、国家の予算すら凌駕する金貨の山。
だが、彼の鑑定眼をもってしても、どうしても『数値』として測りきれない存在がたった一つだけあった。
荘厳なパイプオルガンの音色が響き渡り、大聖堂の重厚な扉がゆっくりと開かれる。
そこには、純白のウェディングドレスに身を包んだ、世界一愛らしい天才シェフ――セレンの姿があった。
ステンドグラスから差し込む光を浴びながら、セレンが一歩ずつ祭壇へと歩みを進める。
いつものコックコート姿も最高に似合っていたが、純白のドレスを纏い、はにかむように微笑む彼女の姿は、この世のどんな宝石よりも眩しく輝いていた。
(『セレン:価値(測定不能)』か。……ああ、俺の目には最初からそう見えていたさ)
タクミは優しく微笑み、まっすぐに差し出された彼女の小さな手を取った。
「綺麗だぞ、セレン」
「えへへっ、ありがとうタクミ。タクミの白い服も、すっごくかっこいいわ」
司祭の言葉と共に、二人は神と参列者たちの前で永遠の愛を誓い合う。
誓いのキスの後、大聖堂は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
そして、海竜亭の結婚式が平凡な式で終わるはずがない。
広大な中庭に用意されていたのは、特大のウェディングケーキ……ではなく、『世界樹の黄金果実とリヴァイアサンの極上ロースト』という、前代未聞の巨大なメインディッシュだった。
「さあ皆さん! 今日は私とタクミの結婚式! 世界一美味しいお料理を、お腹いっぱい食べていってね!」
新婦自らが巨大な特製魔導包丁を構え、新郎のタクミと共に初めての共同作業として極上ローストを鮮やかに切り分ける。
魔王が歓喜の涙を流して肉に食らいつき、国王たちがドレスコードを忘れてワインで乾杯する。
世界中の食材と笑顔が集まる、歴史上最も贅沢で賑やかなウェディングパーティーが、夜更けまで盛大に続いた。
◆ ◆ ◆
パーティーの熱気が冷めやらぬ深夜。
主役であるはずの二人は、王都の片隅にある庭園をこっそりと歩いていた。
二人が向かったのは、最初に出会った街の屋台があった通りを模して造られた、庭園の一角だった。
タクミは、二人が初めて出会った名もなき街の風景を、当時のまま再現させていたのだ。
最高級のシルクではなく、着慣れた綿の服。
二人は手慣れた様子で古びた小さな木製の屋台を組み立てた。
「ふふっ。やっぱり、この小さな屋台が一番落ち着くわね」
「ああ。世界一の商会になろうが、城に住もうが、俺たちの原点はここだからな」
魔導コンロではなく、火おこしから始める小さな薪の火。
セレンはそのささやかな火で、一杯の温かい肉スープを作り始めた。
それは、あの日セレンが焼いてくれた野豚の串焼きを思い出させる香りだった。
「はい、タクミ。熱いから気をつけてね」
「いただきます」
木のお椀を受け取り、タクミはスープを一口啜る。
高級な魔境の食材も世界樹の果実も使っていない、ありふれた端肉と野菜のスープ。
だが、セレンがよそってくれたその一杯から立ち昇る湯気は、どんな豪華な宴の極上料理よりも、タクミの心を温かく満たしてくれた。
「……美味い。やっぱりお前の料理は、最高だよ」
「えへへっ、でしょ!」
タクミは屋台のカウンター越しに、愛する妻の頭を優しく撫でた。
「俺はこれからも、お前の料理を世界中に広めるために投資を続ける。だから、ずっと俺のそばで美味い飯を作ってくれ」
「うんっ! タクミが世界一の商人である限り、私がずっと専属シェフでいてあげる!」
満天の星空の下、小さな屋台から立ち昇る温かい湯気が、二人の笑顔を優しく包み込む。
名もなき街の屋台から始まり、食文化の頂点に立った商人と天才シェフの物語は、こうして幸せな結末を迎えたのだった。
◆ ◆ ◆
そして、翌朝。
いつものように屋台を片付け、新居で短い眠りについた二人の元に、大きな足音が慌ただしく近づいてきた。
「と、総帥! 料理長! 起きてください、大変です!」
バンッ、と勢いよく扉が開かれ、息を切らした見習いたちが転がり込んでくる。
「朝から騒々しいな……。新婚の夫婦の寝室に飛び込んでくるとは、いい度胸だ」
「す、すみません! でも、どうしてもすぐにお伝えしなきゃならない特大の情報が入ったんです! 西の海のさらに向こう側に、誰も足を踏み入れたことのない『未知の大陸』が発見されたそうです!」
「なんだと?」
その言葉を聞いた瞬間、眠たげだったタクミの目が、鋭く光った。
「噂によれば、その大陸には、我々の世界には存在しない見たこともない食材や、強烈な旨味を持つ新種のモンスターがうじゃうじゃいるらしくて……!」
「タクミッ!!」
隣で話を聞いていたセレンが、すでにコックコートに着替え、愛用の魔導包丁を両手に構えて目をキラキラと輝かせていた。
「ああ、分かってる。のんびり新婚旅行をしている暇はなくなったな」
タクミは不敵な笑みを浮かべ、バシッと指を鳴らした。
「野郎ども、すぐに出航の準備だ! 海竜亭の次なる市場は、未知の大陸だ!」
「おおおおおっ!!」
二人の行く手には、まだまだ数え切れないほどの『未知の美味』が眠っている。
彼らの果てなき野望と食欲がある限り、海竜亭の快進撃が止まることは決してないのだった。




