表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡霊剣士と、忘れられた殺人  作者: 平ミノル
PR
3/3

第3話 組のアジト

俺と源蔵さんは、廃工場の前に立った時、夜が、藍色の闇となって町に降りてきた。


錆びたトタンの壁に、割れた窓がいくつも並んでいる。昼間、あの少女が顔を覗かせていた2階の窓は、今はただ黒く沈んでいた。


「待て」


源蔵さんが、すっと腕を上げて俺を制した。その目は、壁の一点を射抜くように見据えている。


「中に居やがる。悪党どもが、5,6人」


言われて、俺も壁の向こうへ意識を向けてみた。すると——見えた。トタン越しに、ぼんやりと滲む人影が5つ。そのどれもが、紫色の靄をまとっている。


源蔵さんの言っていた、悪人の色だ。


「5人……」


「それだけじゃねえ」


源蔵さんの声が、一段低くなった。


「奥に、もう一つ大物がいるぞ」


その視線をたどると、工場の最奥に、ひときわ濃い影があった。紫をもっと煮詰めたような、底のない黒。見ているだけで首筋の産毛が逆立つ。あんなものが、人の中に入っているのか。


「今は、あれには触らねえ」


源蔵さんはそう言うと、壁へ歩み寄り、身を沈めるように壁をくぐっていった。俺も後を追う。冷たく湿った膜を抜けるような感触のあとに、油と埃の匂いがした。


壁や天井に何かいる。俺たちをジッと見ているのだ。俺が顔を上げると、木の擦れるようなキリキリという音を立てた。俺の顔は青ざめてしまった。


「バカ、あんま見るな」


「なんですか、あれは?」


「亡霊さ」


「俺たちと同じ亡霊?」


「ここにいるヤクザに殺された奴らだろう。恨みが深くて成仏出来なくて、取り憑いているのさ」


「こんなにたくさん……」


「ああ……ここはかなり危険だ。奴ら、相当殺してきてるぞ。……着いてこい、修治」


源蔵さんは足で床を蹴ってふわりと浮き上がってた。そしてそのまま2階へ、意思のままに浮かび上がる。


「何してんだ、早く来い」


「あ、はい」


俺も床を蹴ってふわりと浮き上がる。うまく制御出来ずに壁へ近づくと、先ほどの亡霊たちがキリキリと音を立てながら集まって来る。


「ああっ!」


「バカ! 亡霊を刺激するな!」


「だって、これまで飛んだことなんかないから!」


俺は壁をドンと蹴って、天井に向かって浮き上がった。


音に驚いた亡霊は、キリキリ、カシャカシャと音を立てながら離れて行った。


俺はその隙に天井を抜けて、2階のフロアへ上がった。俺は凍りついた。


そこには簡素な鉄格子で仕切られた一角に、3人の若い女が座り込んでいたのだ。誰もが膝を抱え、俯き、口をきかない。怯えだけが、澱のように床へ溜まっていた。


「……なんだよ、これ」


驚いた俺の様子を見た源蔵さんは、吐き捨てるように言った。


「人身売買だ」


「人身売買だって?」


源蔵さんはフンと鼻を鳴らした。


「攫った女を、船で海の向こうへ流すのさ。この近くの北港に、ロシアからの船が入ってくる。積み込まれちまえば、もう二度と戻ってこれねえ」


俺は鉄格子の中をジッと見た。3人の女の子は、暗い気持ちに押しつぶされそうになっていた。そして、いちばん奥の女の子を見た時、俺の息が止まった。


あの子だ。


昼間、工場の窓からこちらを覗いていた、テニス部の少女。膝に顔を埋めるようにして、じっと動かない。その細い手首に、赤いミサンガが結ばれている。


なぜだろう。それを見た瞬間、胸の奥が締め上げられるように痛んだ。理由は分からない。分からないのに、体だけが覚えている。この子を、俺は知っているのだ——。


「あの子……」


思わず鉄格子の方へ足を踏み出した、その時だった。


「おい。誰か来なかったか」


野太い声。一階から一人の男が上がって来て、鉄格子の扉を開けた。


上着を脱いでシャツの袖をまくり上げた、頬に深い傷のある男。30代半ばくらいだろうか。値踏みするような目で、あたりを舐め回している。その体には、紫色の靄が、べっとりとまとわりついていた。


その顔を見た瞬間、頭の奥が焼けるように痛くなった。


「——っ、あ、あぁっ……!」


「おい、どうした!」


源蔵さんの声が遠く聞こえる。俺は頭を抱えて、その場に膝をついて頽れた。白い霧の奥から、堰を切ったように何かが溢れ出してくる。


——暗い裏路地。停まっている黒いワゴン車。どぶ川の淀んだ匂い。


『いやっ、やめて! 誰か助けて!』


細い腕が、男たちに引きずられていく。その悲鳴の主を俺は知っている。


『ひかり!』


俺が、あの子の名前を叫んでいた。そしてヤクザたちへ飛びかかっていく。すぐに揉み合いになった。俺は力ずくで相手を車の座席に押し倒していく。


「早く逃げなさい!」


俺は叫んだ。


だが俺は、彼女が逃げられるほどの時間を稼ぐことは出来なかった。


頬傷の男は、どこからか短刀を手に取ると、俺を睨みながら切っ先をこちらへ向けた。


「あっ!」


俺はその尖った刃物の先を凝視した。


そしてそれは、俺が想像したとおり、胸へ突き刺さった。


「ああああ!」


胸が熱くなって息が出来なくなる。目の前で笑う頬傷の男。俺の視界が真っ赤に染まって、記憶はまた霧の中へ呑まれていった。


「……思い出した」


俺は、喘ぎながら顔を上げた。こうやって殺された経緯を追体験すると、まだ心臓が疼く気がする。


「あの男です。俺を刺したのは、あいつだ」


源蔵さんの目が、すっと細くなった。そして、刀の柄に手をかける。


「ほう。そいつぁ、好都合じゃねえか」


源蔵さんは口元をニヤリと歪めると、刀の鯉口を切った。硬い音がして、白い刀身がギラリと輝く。だが、源蔵さんより早く、俺の足はもう男の方へ向かっていた。その様子を源蔵は意外そうな顔をしながら見ていた。


頬傷の男は、鉄格子の前でしゃがみ込み、あの子の——ひかりの顔を、覗き込んでいだ。


「お前を庇った間抜けな男な。あの男……死んだぞ」


ひかりの肩が、びくりと跳ねた。


「お前の知り合いじゃねえのか」


ひかりは、首を横に振った。


男はポケットから、薄汚れた財布を取り出した。それを見て、俺は声を上げそうになる。


それは俺の財布だった。


源蔵さんが、唇の前に指を立てた。俺は唇を噛んで、声を呑む。


男は財布から、一枚のカードを抜いた。運転免許証だ。それを、ひかりの鼻先へ突きつける。


「桐島修治。聞き覚え、あるよなあ?」


その名を聞いた瞬間、ひかりの顔から、すうっと血の気が引いた。隠しきれなかったその一瞬を、男は見逃さなかった。


「やっぱり知ってんじゃねえか」


「……知りません」


「嘘が下手だな」


男の手が、ひかりの顎を、無造作に掴み上げた。


「どうせ今夜が、日本で過ごす最後の夜だ。船に積まれる前に、たっぷり可愛がってやるよ」


シャツの中へ、男の手が滑り込む。


「いやっ——!」


ひかりが、渾身の力でもがいた。乾いた音。男の平手が、その頬を打つ。


「暴れんな。助けなんざ、来やしねえ」


俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。


「やめろォ!!」


声を限界まで張り上げたが、頬傷の男には届かない。当たり前だ。死者の声なんて、生きた人間には、風ほどにも届きはしない。俺はただ突っ立って、この子が襲われるのを見ていることしかできないのか。


「俺はこの子がさらわれた時と同じなのか! 俺はまた、この子を守れないのか!」


俺は天を見上げながら叫んだ。この、耐えがたい光景を目の当たりにして、俺は腹の底から、焼けるような熱がせり上がってきた。


その、瞬間、俺は前へ飛び出して、頬傷の男に腕を伸ばしていた。


「ぬおおおお!」


そして気づいたときには、俺の腕は男の背中へ深々と突き入っていたのだ。


ぬるりと、手応えのない感触。だがその指先が、確かに何かを掴んだ。脈打つ熱い塊。この男の——心臓だ。


俺は、それを握りしめた。


「ぐ……あ、ああっ……! 胸が、苦し……」


男が白目を剥いて、のけぞる。ひかりを掴んでいた手が、力なく落ちた。


俺は、男の耳元へ口を寄せた。


「よくも——俺を、殺してくれたな」


頬傷の男は目だけで振り返った。


「ひっ……お、お前は、あの時のー!!」


どうやら霊体に触れている間は、俺のことが見えるらしい。俺はせせら笑った。


「ハハハ、さっきまで見えなかったようだが、今は見えるようだな」


「ひいい、助けてくれ!」


俺はフンと鼻を鳴らした。


「あの子が、助けてって言ったとき」


自分でも驚くほど、低く、震えた声だった。


「お前は、助けたのかよ。……ええ?」


手の中で、心臓が、狂ったように脈打っている。あの夜、俺の胸を貫いた刃の感触が、ぐらりと甦る。同じだ。この男が俺にしたことと、同じことを、今、俺はしようとしている。


頭に熱い血が逆流して、痺れたようにボーッとなった。心臓を握る指に力がこもった。


「修治、やめろ!」


源蔵さんの鋭い声が飛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ