第7話:私の知らない「過去」
「アリシア様の質問にお答えするのはいいのですけれど……その前にアリシア様、いくつか質問をお許し願えますか?」
「え? ええ、構わないけど……」
そういうルーティの眼差しは真剣だ。ここまで柔らかい笑みで私を見守ってくれていたルーティがこんな顔をするなんて、一体何を聞かれるのだろう?
ルーティは私から何を聞きたいの? 本当に、私は何を忘れているというの?
いくつもの疑問が頭の中で渦巻く中、こほんと小さく咳払いをするルーティ。
「それではまず、アリシア様はさっちゃん……『沙霧』のことは覚えてますか?」
「『沙霧』? ……いいえ、覚えていないわ」
聞き覚えのない単語に私は即座に否定する。さぎり、さぎり――と何度か頭の中で反芻してみるけれど、やはり私の中で反応する何かは感じられなかった。
即答する私を見て、一瞬驚いたようなルーティ。
「さっちゃんのことは全く覚えていないという感じですね。反応的に引っかかるような感じもない、と」
何かを検分するように呟くルーティ。まるで医者のように私の記憶の反応を探ってくる。
……本当に私、何かを忘れてるの?
「それなら次はしぃ兄……『時雨』のことは覚えてます?」
「っ!」
けれども次の瞬間、ルーティの口から出た単語に、胸が締め付けられるのを感じた。
「しぐ、れ……?」
時雨。
その言葉を聞いて心臓がドキンと跳ね上がった。知らない名前であるはずなのに、どうしてか落ち着かない。胸の奥が熱くなって、呼吸が浅くなる。
その名前を反芻するだけで自然と涙が浮かんでくる。
(どうして……どうしてこんなに反応するの? ただ名前を聞いただけなのに)
名前を反芻するだけで、胸が苦しくなる。目の奥がじわりと熱くなって、視界が滲んでいく。
時雨、時雨、時雨……――!
その名前に、何の心当たりもない。それなのに、たくさんの感情が私を包む。
一番感じるのは、懐かしさと寂しさ。それから他にも言葉では言い表せない感情が、胸の奥から溢れ出す。
何も知らないはずなのに、ルーティに初めて会った時のような感覚と一緒に、ぼんやりとした輪郭が浮かぶ。
『めーちゃん』
私をそう呼んで笑う誰か。
優しい声、温かい笑顔。その人が側にいるだけで私は安心できた。でもその姿ははっきりとは思い出せない。輪郭はどこかぼやけていて、その姿は霧の向こう。
本当に私は、一体何を忘れたというの?
「……知らないわ。でも、何だかその名前を聞くと落ち着かない……」
「でも、しぃ兄のことは多少覚えてるみたいですね。そうでなければ、泣いたりなどしないでしょう」
ルーティの優しい手が、私の涙を拭ってくれる。
どこまでも優しげな眼差しに、また泣きそうになった。
「……その人、私のこと『めーちゃん』とか呼んだりするの?」
「それは覚えてるのですね」
私の言葉に、ルーティが嬉しそうに笑う。
「呼んでましたよ。アリシア様のことは『めーちゃん』、『沙霧』のことは『さっちゃん』、私『揚羽』のことは『あっちゃん』と。ふふ、完全に子供扱いされてましたよねぇ」
くすくす笑うルーティ。一見楽しそうに見えるけれど、それでも何かを思い出しているのか、その瞳にはどこか哀愁が漂っていて。
話を聞いても何も思い出せない。それでも、覚えていない誰かの姿が浮かんだ。知識として知り得るはずのない不思議な言葉を理解できる。断片的な情報はあるのに、それが何を意味するのかが全く分からない。
私は本当に何を忘れているのだろうか。
「教えてルーティ。私は何を忘れているというの? 私は……どうしてこんなにも狙われているの?」
ルーティにそう訴えれば、ルーティは少し考えてから私を見た。
「そうですね……。ここまで実害が出てる以上、アリシア様は知っておいたほうがいいかもしれませんね」
そう言って私を真っ直ぐに見るルーティ。
何を言われるんだろうと緊張する。心臓が早鐘を鳴らす。そんな私を見て、ルーティは息を吐いた。
「ですが、これから話すことは奥様や旦那様には秘密にしておいてくださいね。奥様が幼い頃から専属侍女をしているというミリア様ですら、奥様に話していないことですから」
そう言われて、私の緊張度は更に上がる。
幼い頃から母に仕えてくれているミリアが母にさえ話していない話……。
「それを両親にだけ言うなと口止めするということは、ミリアもルーティが今から話してくれる内容を知ってるというの?」
「もちろん知ってますよ。むしろ、知ってるからこそ私を呼び出したんです。ただ、この話は奥様と旦那様は知りません。なのでお二人にはどうかご内密に」
どこまでも真剣なルーティ。私はそこで一度立ち止まる。
そこまで重大な秘密を、私はこの先ずっと両親に黙っていなければいけない。
「……いつまで黙ってたらいいの……?」
「時が来て必要であれば、その時に誰かが話すでしょう。時が来なければそのままずっと。これを忘れているのなら、わざわざ知らなくてもいいことです。事実を知る者だけで対処すればいい。それだけのことですから」
ルーティの言葉に私は唇を噛み締める。
知らなくてもいい。私が知らないままでも、このまま状況に流されていたとしても、ルーティやミリアがきっと何とかしてくれる。ルーティはそう言いたいのだろう。
ルーティの藤色の瞳は、忘れているなら思い出さなくてもいいと言っているようにも見えた。
「それでも知りたいと願うのでしたら、ご家族に対して秘密を抱えることにはなりますが、奥様たちには黙っていてください。……どうしますか?」
迷う私に、ルーティがそう声を掛けてくる。
それが約束されなければ話さない。ルーティの確固たる意志が垣間見えた。
……私はどうしたいのだろうか。 誰にも言えない秘密を抱えてでも、私は知りたいの? 一度自分にそう自問自答する。
『めーちゃん』
葛藤する私の脳裏に、あの声が響いた。
ああ、これが答えだと思った。
私の心は知りたいと願っていた。
知りたい。「時雨」と呼ばれたその人のことを。私が忘れている何かのことを。
「……両親には言わないわ。だから教えて。私の知らない、私が【忘れた】という何かのことを」
「覚悟はおありのようですね」
ルーティの言葉に私が頷くと、ルーティもそれならばと口を開く。
「仕方ないですね。そこまで知りたいというのなら、お話します」
そう言ってルーティが姿勢を正す。私をまっすぐに見る眼差しに、思わず私も身構える。
「実はアリシア様は、昔、桜華国の女王様だったんですよ」
「……え……?」
予想外の単語に、私の思考が停止する。
え? 女王様? 誰が? それに、桜華国?
言葉を反芻しても、結局意味が分からないことに変わりはない。
混乱する私の反応を見て、ルーティがもう一度、今度はゆっくりと告げた。
「ですからアリシア様は、桜華国女王の生まれ変わりなのです」
「え、えぇ!?」
言い回しを変えて、ルーティはもう一度告げる。けれども言葉を変えられたって、私の頭はいきなりそれを理解できない。
ちょっと待って!? 私が桜華国女王の生まれ変わりってどういうこと!?




