エピローグ
「ダンスをしたことがないのでお相手はできかねます」
温かみの一切感じられない、極寒の冬空を思わせる瞳で深々と頭を下げた騎士アルペリオは、そのまま素っ気なく王女に背を向けた。
彼にダンスを申し込んでいた王女の手が、夜会の喧騒の中に取り残される。
一介の騎士、それも平民の出である彼の態度に眉を顰める貴族達。何よりも彼がダンスを断った相手はこの国の王女である。
「いくら騎士として名を上げても、あれじゃあ出世は絶望的ね」
「王女様に恥をかかせるなんて……」
騎士に向けられる非難の目と、自分へ向けられる同情の視線。それらを振り払うように、王女は出口へと向かう騎士の背中を追いかけた。
「お待ちになって、アルペリオ卿」
「……」
人気のない廊下まで追って来た王女に声をかけられ、仕方なく振り向いたアルペリオ。その瞳は冷たく、何の感情も映してはいない。そんな彼を見上げて、王女は切実に訴えた。
「お節介だとは重々承知しておりますわ。ですが、ファーストダンスを申し込んだあなたをこのまま帰すのは、王族としての名折れです。ダンスが踊れないとおっしゃるのなら、どうか私に手解きをさせて頂けませんこと?」
先ほどの態度を咎められると思っていたアルペリオは、思いもよらない王女の提案に顔を顰める。
王女は祈るように胸の前で手を握り締めた。
彼は覚えていないだろうが、暴漢に襲われ恐怖に震える自分を守ってくれたあの時の彼に、どうしても恩返しがしたかった。
「私に任せて頂けたら、次の夜会までにダンスを踊れるようにして差し上げます」
どこか必死な王女の声音を感じ取りながらも、アルペリオは淡々と答えた。
「結構です。私は騎士であって、貴族ではありません。当然、ダンスなど踊れなくても困ることはありません」
「で、ですが、卿は今後も騎士としてご活躍されるでしょう。そうなれば、今日のように夜会に招待される機会もあるはず。ダンスのスキルはきっと役に立つはずですわ。どうか私にそのお手伝いをさせて下さい」
「何故、そこまで……」
王国中から愛される姫君が、一介の騎士相手にここまでする理由。そんなもの皆目見当もつかないアルペリオは訝しげに王女を見た。
アルペリオの態度を不敬と断じることもなく、むしろ追い縋ってくるような王女の行動が理解できずに困惑する。そんな彼の様子を気にする余裕もない王女。
「明日の正午、私の宮の裏庭に来て下さい。小さな噴水のある場所でお待ちしております」
アルペリオの答えも聞かず、王女はその場を速足に立ち去った。
今にも飛び出しそうな王女の心臓は、先ほどからずっと早鐘を打っている。熱くなった顔と、意味もなく潤む瞳を誰にも見られたくない。
残されたアルペリオは人気のない廊下で一人、駆けていく王女の後ろ姿を見送っていた。
冷血と称されるが根は真面目なアルペリオは、覗くだけ覗こうと指定された場所を訪れた。
どうせ気位の高い王女の気まぐれ。彼女がこの場に来ることはないだろうと、王女宮の護衛騎士のフリをして裏庭に入り込むと、白い噴水の横に一人で立つ彼女の姿を見つけてしまう。
「アルペリオ卿! 来て下さったのね」
「……」
その華やかな笑顔を見た途端、アルペリオは後悔した。
王女からあんな顔を向けられてしまえば、引き返したくても引き返すことができないではないか。
そう思ってしまうほどに、アルペリオを見上げる王女は幸せそうだった。しかし、だからといって彼女の時間を無駄にする気はない。
「殿下の厚意を無下にするわけには参りませんから、来たまでです。ですが、昨日も申し上げた通り私にダンスは必要ありません」
冷たく言い放ったアルペリオに対し、王女は一瞬だけ傷付いた顔をしたが、すぐに決意を込めた瞳を向けた。
「それでしたら、一度だけで構いません。形だけでも、私と踊って下さい」
アルペリオは本当に訳が分からなかった。何故、王女はここまでして自分と踊りたいのだろうか。
もしかすると、昨日の夜会で一方的に断ってしまったのが原因か。だとしたら、彼女の望みを叶えればもう自分に興味を示すことはなくなるだろう。
「……では、一度だけ」
仕方なく頷いたアルペリオを見て、王女は花が綻ぶような笑顔を見せた。
「ありがとうございます! 音楽がなくて申し訳ないのですが、どうぞ手を」
「手を……?」
「右手はこちら、左手はこちらに。そう、その腰の位置ですわ」
「…………ッ!」
言われるまま王女の体に手を回したアルペリオは、その腰の細さに驚愕した。肩も腕も手も、どこもかしこも細くて折れそうで、それでいて柔らかい。それになんだか花のようないい香りもする。
天涯孤独に生きてきたアルペリオにとって、女性の体に触れたのはこれが初めてだった。
女体が不思議で仕方ないアルペリオは、つい無意識に王女の体をまさぐっていた。
「ア、アルペリオ卿……! そのように触れられると……私、んっ! そこは、……あっ」
顔を真っ赤にした王女が吐息のかかる距離で見上げると、至近距離でその濡れた瞳を見たアルペリオは――――
「何を読んでいるの!!」
読んでいた本を取り上げられた幼い皇子と皇女は、同時にぷくぅっと頰を膨らませた。
「いいところだったのに!」
「取り上げるなんてひどいです、お母様!」
むくれた子供達に文句を言われたエリスは、ズキズキと痛む頭を抱えて溜息を吐いた。
「はぁ……。これはダメだと言ったじゃない」
眼鏡の奥の瞳に苛立ちを宿したエリスは、手の中の本――『冷血騎士と王女の秘密のダンスレッスン』――を愛読書としている夫に向き直る。
「陛下! またこんなところに本を置きっぱなしにして。子供達が手に取ってしまったじゃないですか!」
「わ、悪かった」
こっそり回収しようとしていた本が子供達に見つかり、更にその現場を妻に押さえられてしまった皇帝は、冷や汗を垂らしながら即座に謝罪を口にした。
皇后から問題の本を受け取った秘書官ジェフリーは、気配を消しながらそそくさと部屋を出て行く。
取り残された皇帝に、皇子と皇女は好機とばかりに縋り付いた。
「父上! 僕も母上の書いた本を読みたいです!」
「お父様ばかり、ずるいです! 私達だってもう字は読めるのに、どうして読んじゃダメなんですか?」
「いや、それはだな……お前達にはまだ早いからであってだな……ゴホン。ほら、本を読みたいならこっちにある童話でも読んだらどうだ?」
「早いって、何がですか?」
「どうして童話はよくて、お母様の本はダメなんですか?」
「だから、それは……その、つまり……あの本は大人が読むもので……」
「大人が読むって、なぜ決まっているんですか? 童話とは何が違うんですか?」
「あの本には騎士とお姫様が出てきました。童話にも騎士とお姫様は出てきます。それでも子供は読んじゃダメなんですか?」
母に似て頭の回る子供達に言い負かされそうな皇帝は、タジタジになりながら妻を見た。
「うっ、エリス、助けてくれ」
「知りませんわ。自分で蒔いた種ではありませんか」
腕を組んだエリスは、ツンとした態度で顔を背ける。
「そんな、エリス!」
「ねぇ父上、どうしてですか?」
「お父様! お願い! 読ませて!」
「エ、エリス!!」
子供達に両腕を引っ張られた皇帝の悲痛な声が、平和な皇宮中に響き渡った。
「……まったく。アレのどこが暴君なんでしょうね」
蔵書が倍以上に増えた皇帝の専用本棚に本を戻したジェフリーは、やれやれと独り言を漏らしたのだった。
読んで頂きありがとうございました!
皆様から温かいお声がけを頂き、エピローグを書かせて頂きました!
ほんのちょっぴりですが、その後の二人の様子を垣間見て頂けたでしょうか笑
そしてそして、お陰様で書籍化が決定いたしました!
応援して下さった皆様に心から感謝申し上げます。
今後とも精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします!