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氷華の舞  作者: 楠 冬野
第3章 桃園の死闘
60/70

60 思惑

    -60-

 

 岩井と呼んではいたが中身は違う人物であった。男は名乗らなかったが、聞けば加茂家の始祖であるらしい。始祖ならば、辺りに広がるこのおかしな空間を作ったことも、神器を扱えるということにも納得出来るのだが……。


 樹は考察する。身体を失うことで当事者としての立場は失ってしまったが、そのことが樹を落ち着かせることになり、いつしか場面を俯瞰して捉えられるようになっていた。

 事態は着実に佳境へと向かっているようである。時渡りは近いのだろうか。


 時を渡った先で樹は先代桃花と出会うという。彼女は時を渡ることが加茂樹の定めであると言った。犬童澪も始祖である加茂八郎宗重も、桃花の時渡りを必然として語った。


 知っているのだ。

 双方とも事情に通じているのだ。だが共謀しているようには思えなかった。共闘でもない。犬童澪も今しがたまでは岩井の正体に気付いていなかった。……彼女の様子は演技には見えなかった。この状況が示していることは……。

 犬童澪も上狛の者達も、始祖と銀の鬼の企みによって動かされていた駒。ということになるのだろうか。

 

 八郎と黄玉の言葉の意を汲み取ればどうやら互いに権謀を巡らせてきたようである。樹は、思い及ばぬこの戦いを老獪な者達が指す棋譜のようにみていた。

 春休みに入ってからこれまで、いや、恐らくはもっと以前から始まっていたのだろう。全ては、赤い月を背負って時を渡る桃花を巡っての攻防であろう。

 見上げると、赤い月が大きく西に傾いていた。


「赤月の桃花は、樹様に鬼化を解く方法を教えたようです。なんでも唯ちゃんにかけられた呪いを解くには桃花の蘇生の力が必要になるとか」

 縋るような目で、鈴は得た情報を打ち明けて澪へ問いかける。


「――うむ、なるほどのう、しかしこれはまるで禅問答のようではないか」

「禅問答?」

「銀の鬼は、鬼の王になると言いながら、我らを助けるために八郎を味方として寄越した。矛盾はまだあるぞ。真中唯を救う方法を教えておきながら身体を奪い機会も奪った。敵になると言いながら敵にならず、救えと言いながら救わない。はてさて、その真意はどこにあるのやら」

「……禅問答、真意」

「しかし考えてみてもおかしいではないか? 呪いの解法はともかくとしても、わざわざ前もって鬼の王になると伝える必要がどこにある。銀の鬼にその力があるのならば、宣言などせずになってしまえばよい。赤月の桃花とやらは一体何者で、何が目的で動いておるのか」


「そうでございますね……」

 鈴は深く思い悩むような面持ちで顎に手を当て、目を閉じた。


「実は白の巫女よ、こちらにもその銀の鬼と会話を交わした者がおるのじゃ。そうじゃの、優佳ゆか殿」


 澪が言って視線を向ける。澪の言葉に隻腕の陰陽師が頷いた。


「優佳?」

「詳しいことは後じゃ。ともかく優佳殿の話から、我等は銀の鬼はとりあえず敵ではないという結論に至っておる」

「敵ではない?」


 言葉に出しながら鈴は蘭子に目配せをした。鈴と目を合わせた蘭子が難しい顔で加茂樹の方を見てそれから項垂れるように俯く。蘭子は悲しげな目で迷うように首を振った。


「銀の鬼と入れ替わった樹様はどうなっているのでしょうか」

「時渡りのこともある。無事と願いたいところであるが」

「……樹様」

「まだ分からぬことが多い故に確かな事は言えぬが、様々考えた末に敵に非ずという結論に至っておる。皐月の前に現れた八郎も助太刀に来たと申しておったそうじゃ。その八郎はどうやら銀の鬼と行動を共にしておるようじゃから、それならば銀の鬼も我等の味方ということになるのじゃが」

「確証が持てないと?」

「そうじゃな。奴らも時渡りを成そうとしておるようじゃ。我らも桃花の時渡りの為に働いてきたのじゃが。今となっては何がどうなってこのような状況が生まれてきておるのか、皆目見当もつかぬ」

「敵の敵は味方、ということもございますからね……銀の鬼の真の目的が何なのか分からぬうちは動きようがありませんね」

「そうじゃな。しかし白の巫女よ。優佳殿は、銀の鬼が信じられる者であるというのじゃよ」


 澪の言葉を聞いて鈴が優佳を見る。鈴の尋問するような視線に優佳は力強く頷いて応えた。


「優佳さん、その根拠は?」

「銀の鬼は、――いや、樹ちゃんは必ず唯を守ると約束してくれました。自分に任せろとも言いました。私はあの時の樹ちゃんの目と言葉を信じています」

「銀の鬼が樹様であると言われるのですか?」

「ええ、間違いないわ。彼は樹ちゃんよ」


 鈴と澪のやり取りを聞き、優佳の言葉を聞いて隻腕の陰陽師を見た。

 樹は首を傾げる。心に浮かぶ何者かの姿。目に映る姿は確かに上狛水音であるがズレがある。隻腕の身でありながら戦場に馳せ参じた陰陽師の醸し出す気配。どこかで見たことがあるようなその佇まい。いつだったか耳にした気がするその名前。


『僕のことを樹ちゃんと呼ぶ人物。知っている人だろうか……誰だ?』


 犬童澪に優佳と呼ばれた女性。彼女は犬童澪のことを水音ちゃんと親しげに呼んでいた。まるで親しい子供と接するような彼女の面持ちは……。


『どこかで……。優佳……上狛水音さんと親しい優佳とは……そうか』


 思い出した。水音は姪であった。上狛とは死んだ叔母の旧姓であった。

 

『上狛優佳……いや、真中優佳は唯の母親の名前だ! でもなんで? 唯の母親は事故で死んだはずでは。それも十四年も前に』


 死んだはずの人間が生きていた。姿形を真中優佳ではなく上狛水音として。これはいったいどういうことだ。次々と疑問が湧いた。


 銀の鬼と話をしたという優佳。唯の母親はいつどこで赤月の桃花と会ったのか。

 真中優佳が赤月の桃花と会っていたことが事実ならば、赤月の桃花はいつでも意のままに樹の身体を出入りすることが出来たという事になる。


 ――分からない……なんでこんなに分からない事だらけなんだ! 何なんだ、お前は何がしたいんだ!


 一連の出来事に赤月の計略を見る。心の半分が混乱し、もう半分が苛立った。

 真中家の悲劇。唯の身に押し寄せた不幸。優佳の変容と創痍。このような悲劇を重ねてまで成し遂げなければならない時渡りとは何だ。


『全て、桃花である僕が根源であるのか。僕が悲劇を招いているのか……』

 

 どちらにしても桃花は棘の道を行く。樹は赤月の言葉を思い出す。

 赤月の言葉が樹を責めた。



 ――神奈備を開いた舞が終わる。

 舞終えた岩井が息を一つ吐いた。岩井は地面に片膝を突いたまま沈黙を続けていた加茂樹の身体に近付いていった。


「待たせたな」


 岩井は加茂樹に声を掛け鞘に収めた蒼帝の大太刀を差し出した。

 少しの間を置いて、ゆっくりと赤月の桃花の右手が挙がる。その手が蒼帝の大太刀を掴んだ。加茂樹の身体が目を見開く。加茂樹が顔を上げてニヤリと笑う。


「ありがとう、八郎。ご苦労様でした」

「なんの。それにしてもじゃ、事は思いのほか順調であったの」

「フ、まだですよ。まだ気を抜いてはいけません」

「うむ。であったの」

「では、参りましょう。棋風はもう読めました。あとは如何に詰めるか」


 始祖は赤月の桃花を敬うように接している。それと始祖に掛けられた言葉。

 やはり赤月の桃花と八郎は仲間だった。


 赤月の桃花は八郎に笑みを残し、大太刀を肩に担いで悠々と黄玉率いる野孤の群れへと向かった。


「あなたが黄玉ですか」

「……」


 赤月の桃花の呼びかけに黄玉は警戒していた。


「初めまして。銀鬼と申します」


 赤月の桃花はうやうやしく銀鬼と名乗った。


「ほう、加茂樹の中の鬼がまさかあの銀鬼であったとはのう」

「意外、という程のことも無いでしょう。ここには金鬼もいるのだから」

「――お、黄玉よ、これはどういうことじゃ!」


 朱鬼が慌てて口を挟む。


「ああ、これは憐れな赤鬼様ではないですか」

「あ、憐れじゃと?」

「あなたはずっと謀られていたのですよ。大方、黄玉様に加茂樹の中の鬼を喰らえば鬼神になれるとでも吹き込まれておったのでしょう」

「――な、なんじゃと」

「当たりですか」


 銀鬼は鼻で笑い憐れみを込めた目で朱鬼を見て話を続けた。


「もう少し己の力量というものを素直に受け止めなければ。ただの鬼神もどきのあなたが如何様にして加茂樹の中に鬼がいることを知れたのか。そもそも凡なるあなたが桃花の血筋に入り込み操ることなど出来るはずもない。全てはそこの黄玉様のはかりごとにございます。しかし流石は黄玉様、桃花の園でこのように全ての者を誑かして戯れ事を続けられる者などそうそうにおられますまい」

「フフフフ、アハハハハ! これは大したものじゃ」

「これはこれは、黄玉様のお褒めに預かれるとは恐悦至極」

「フン、戯れ事は良い! 認めてやるぞ銀鬼。我の指し手に受ける者がおったのは承知をしておったが、まさかそれが加茂樹の中におる鬼であったとはのう。これは一杯食わされたわ」

「それはどうも。して、黄玉様、この後は?」

「ん? この後? この後とはどういう意味じゃ」

「勿論。この銀鬼の軍門に下って頂けるのでしょう?」

「なに?」

「敵になるのか味方になるのかと聞いておるのですよ、黄玉」

「……」

「おや? 悩まれますか? いやいやいや、もう考えるまでもないでしょう。私の力はあなたの力を軽く凌駕しておりますからね」

「……」

「信じられませんか? では私の力をお見せ致しましょう。まずはそこの小娘を切り刻んで見せましょう。とくとご覧あれ」


 銀鬼が鞘から刀身を引き抜く。銀鬼の持つ太刀は八郎が手にしていた時よりも強い光を発していた。黄玉が目を細める。その放たれた緑の光は野孤達の身を震わせて怯えさせる程である。

 太刀の輝きと共に銀鬼の身体に変化が起こった。力を示した銀鬼の凛とした瞳が碧色に煌めき、輝く銀の髪が青みを帯びて揺れた。

 樹は蒼帝の大太刀に覚醒を見る。樹は気付いた。今まさに太刀が銀鬼を主として認めたということ事を。


 銀鬼はあの娘を切り刻むと言った。勿論、銀鬼の言うところのあの娘とは唯のことだ。しかし樹は何故か銀鬼のその言葉に不安や疑念を抱かなかった。

 銀鬼には唯を殺す気など毛頭ない。樹には分かっていた。

 樹は僅かであるが銀鬼との思考と感情のリンクを感じていた。

 銀鬼は決して悲劇へと向かっているのではない。


 鬼姫と対峙する銀鬼の様子を観察する。目にする光景に樹は既視感を覚えていた。

 かつてこの場所で、桃花の力を発現させた樹は鬼姫となった唯と剣を交えたことがある。それは直ぐ先の未来の記憶であった。

 銀鬼がこの様なお膳立てをしてまで行おうとしている事の意味は分からない。これから始まることが惨状であることは容易に想像出来た。それでも樹は事の成り行きを見守ることにした。


「八郎!」

「はいはい」


 銀鬼の前に傅いていた八郎がすかさず立ち上がり鬼姫の元へ向かった。

 八郎は、「ほれ」と声を掛け、立ち尽くしていた鬼姫に朱鬼から奪っていた太刀を渡した。

 目の前に差し出された太刀を、首を傾げ不思議そうに眺めてから鬼姫は太刀を受け取る。

 鬼姫が太刀を手に取るや否や、先程までは緋色であったはずの刀身が漆黒に塗り替えられた。

 その直後、漆黒の太刀から息吹が上がる。太刀の息吹に吹かれて鬼姫の顔に喜色が浮かんだ。

 そんな鬼姫を朱鬼は歯噛みをして見つめる。黄玉は忌ま忌まし気に見ていた。


 朱鬼と黄玉の様子を見て後、鬼姫の嬉々とした顔を見てから銀鬼は語り出した。


「その太刀は鬼姫のもの。太刀の力を引き出せない神格もどきには不相応な品だ。本来の持ち主の元に戻ってこと本領を発揮できるというもの。そして鬼姫も太刀『数珠丸じゅずまる』を手にしてこそ全力を出せるというものだ。これで俺も力を存分に力を出せる」


 銀鬼は切っ先を鬼姫に向けた。銀鬼の闘気に当てられた鬼姫も敵を見返して鬼気を上げた。


「では、始めようか!」


 緊迫が辺りを包む。激しくぶつかり合う闘気と闘気。

 野孤も上狛の者も、誰もその戦いの間に割り込むことなど出来なかった。

 誰もがその光景に動きを封じられ眺めている事しか出来なかった。

 


『動く!』

 蒼帝の大太刀を上段に構えた銀鬼の足が僅かに動いた。

 ――だがしかし。

 銀鬼が鬼姫に向かって飛び出そうとしたその時であった。

 突然、林の中から一人の少女が飛び出してきた。


「累ちゃん!」


 少女の声を聞いた鬼姫は瞬時に動きを止め固まってしまった。

 戦いに水を差された銀鬼は立ち止まり少女を見て切先を降ろした。


「累ちゃん!」

「……」

「よかった! 累ちゃんも無事で」


 安堵の表情を浮かべた少女は鬼姫に駆け寄って抱き着いた。少女に抱きしめられた累は混乱していた。


「ごめんね、ごめんね、累ちゃん、私、あの時、気絶しちゃって、それで――」

「……る、累?」


 呼ばれた名前を口に出す鬼姫。

 途端に鬼姫の肩から力が抜ける。鬼姫は徐々に変化を見せていった。

 青紫の髪は漆黒へと戻り、瞳も人のそれと戻っていく。

 鬼姫は鬼化を解いて人に戻っていった。そうして唯は仄暗く色を失っていたその瞳に紫紺の輝きを戻した。唯は我に返った。


「――あ、綾香ちゃん? どうしてここに?」


 少女の名を口にしてはいるが、唯はまだ混乱して思考が定まらない様子である。


「わからない。わからないけど、気が付いたら山の上のお社の中に居て」

「……」


 何を言われているのか理解できないという具合に唯は首を振る。唯の焦点が揺れていた。


「累ちゃん! 累ちゃん! ――累ちゃん?」

「あ、綾香ちゃん? 本当に、綾香ちゃんなの?」

「そうだよ累ちゃん、綾香だよ」

「どうして……でもどうして……綾香ちゃんはあの時、化け物に食べられて……」

「え? 私が食べられた?」

「そうだよ、確かにあの時、綾香ちゃんはあの紫の化け物に食べられて……そして死……」

「私が死んだ? え、でも、私、生きてるよ。死んでなんかいないよ、確かに気絶はしていたけど」

「……気絶?」

「そうだよ、私は気を失った。そして気が付いたらこの社にいたの」

「でも、なんで、ここに……」

「大きな男の人がここに私を、ってあれ? さっきの大きな人は?」

「私ならここに、そしてその少女をお助けいたしたのも私共でございます。唯様」


 物陰から体躯の良い男が現れた。

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