61 虚偽
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物陰から姿を現した男は素早く犬童澪の傍に駆け寄った。
「澪様、大事の時に申し訳ございません。ですがあの少女を一人で本殿に置いておくわけにもゆかず、さりとてこちらのことも放っておくわけにもいかず……」
「よい。極月、それは詮無きこと。助けられた命じゃ、失わずに済んでよかった」
「はい」
極月は感謝して深く首を垂れた。
「アハハハハ! これはなんということじゃ」
辺りに黄玉の大きな笑い声が響く。皆が一斉に顔を向ける。
「れ、澪様、あれが……」
「そうじゃ、奴が黄玉じゃ、極月」
「黄玉、なんという威圧。なんという毒気」
極月は小刻みに身体を震わせていた。
銀鬼も八郎も顔をしかめて黄玉を見ていた。黄玉の高笑いと銀鬼の表情から状況は銀鬼が思惑を外したように見えていた。不穏な空気が辺りに浸透していくのが分かる。だがそのような光景を見ていてなお樹は冷静であった。
――まだ何かある。
銀鬼と心情をリンクさせる樹には、銀鬼の中に少しの焦りもない事を感じ取っていた。
この一手は思いもよらなかった。まさかこの場面に唯の友人が現れるなどとは。
予想だにできなかった手駒の登場。彼女は「助けられた」と言っていたが、それもどうだか分からない。しかしこれは、どちらの策なのだろうか。銀鬼か、それとも黄玉か……。
樹は深読みをする。場面は、銀鬼が鬼姫に太刀を渡し彼女を活性化させて対決しようとしているところだった。流れを読めばその思惑は外れたといえる。次に放たれた一手は鬼姫の鬼化を鎮静させてしまった。
戦局は銀鬼の攻め手を黄玉が巧みに防いだように見える。だとすれば、黄玉の仕業と思われるこの一手は効いている。
――しかし本当にそうなのか? くそっ、まだ見えないな。
これはどちらの思惑に乗った出来事なのか。
全容がまるで見えてこない。この戦いは最後の一手を指す為に千手を読み合ってきた戦いであろう。
次はどのような展開を見せるのか。銀鬼は平静を保ったままで動かない。黄玉にも余裕がみえる。互いにまだ何か手を隠しているはずである。
ここで黄玉が先に言葉を放った。
「残念であったのう銀鬼。おおかた鬼姫を殺して鬼姫の力の全てを手中に収めようと企んでおったのであろう。しかし思わぬことであったのう。我らの思惑の外でこのような事が起こるとは」
「まったく、白々しいな。これもお前の手の内なんだろ? 黄玉」
「さて、知らぬがのう? 我はてっきりお前の手だと思うておったが」
銀鬼が揶揄しニヤリと笑えば、受けた黄玉が惚けて戯れる。
――この銀鬼と黄玉の会話の意味するところは……。
黄玉と銀鬼の探り合いの会話は一見何気ない言葉のやり取りのように見えるがそうではないだろう。
しゃあしゃあと銀鬼の目論みを言い当てるように話すが、黄玉の言葉はどうも怪しい……。銀鬼にしても唯の力を奪うつもりなどないのに、黄玉の言葉にそのまま乗りかかっている。互いの言葉の裏に潜む意図はなんだ?
銀鬼ならば当然その胸のうちを読んでいることだろう。
黄玉は喜色を顔に浮かべている。お前の仕業だろうといい返した銀鬼の言葉の裏は既に読まれているのではないか。
――何なんだこいつら!
今も、互いに遊ぶようにして歩兵の駒を差し合う。
凡庸な手から次の一手を睨み合う黄玉と銀鬼の底知れない権謀を戦場という盤上に見ていた。
思案する樹を余所にして銀鬼が次の言葉を放つ。樹はその言葉の意味を注意深く探った。
「思わぬ邪魔が入ったが、だからといってどうとでもなるよ」
それはあっさりと流れに乗って順路を進むような言葉だった。銀鬼は平然として受け流れに身を委ねた。
「俺にとっては、真中唯が人であろうと鬼であろうとどちらでもいいのよね」
捨てるように言って銀鬼は少しだけ気勢を上げた。切先を真直ぐ標的に向ける。銀鬼は唯の方へ向かって飛び出していった。
鬼の力を静め人に戻っていた唯は銀鬼の動きについていけなかった。
あっという間も無く太刀が走る。ただ目を見開いて身体を強張らせる唯は、向かってくる狂気を待ち受けることしかできなかった。
『マジか!』
唯を殺すことなど絶対に無いと思っていた。それなのに銀鬼は……。
局面は緊迫した。起こる惨劇に樹は思わず目を閉じてしまった。
「嗚呼……」
肉を貫く鈍い音と断末魔の声が聞こえて樹は歯を食いしばる。心に重いものが圧し掛かった。
『くそ! なんでこうなるんだ!』
目を開ければ銀鬼の太刀は確かに肉を貫いていた。だがそれは唯とは別の人物の身体であった。銀鬼に刺し貫かれていたのは隻腕の陰陽師にして唯の母親である真中優佳だった。
背中から太刀を突き刺す銀鬼と貫かれたまま安堵の表情を浮かべる隻腕の陰陽師。
太刀がズルリと滑るように抜けていくと優佳は地に両膝を落とした。唯は優佳のすぐ側で尻餅をつきながらワナワナと身体を震わせていた。
『な、なんてことを! 銀鬼!』
樹の心に激しく熱が込み上がる。
「い、嫌ぁーーー!」
沈黙する戦場。無音の中に聞こえてきたのは唯の悲痛を帯びた叫びだった。
唯が取り乱す。しかしその唯を、庇った者の片腕が優しく強く抱きしめた。優佳が激しく動揺する唯に声を掛けた。
「しっかりしなさい、唯」
「なんで、なんでよ! なんで……」
母の胸の中で唯が激しく首を振る。
真中優佳は娘の髪を優しく撫でつけ顔を見つめると、大丈夫かと尋ね唯の体中を確かめた。
「良かった、唯。どこも怪我はないみたいね」
「せっかく会えたのに……助けるって約束したのに……母様……」
母と呼ばれて優佳が少しだけ困った顔をした。
「母ですって? 何を言っているの唯、私があなたの母であるはずがない。私は上狛水音ですよ」
柔らかな眼差しが唯を包み込んでいた。
「違う、違うわ! あなたは母様。あなたは私の母様よ、真中優佳は私の母様なの!」
必至で訴える唯。
咄嗟のところで娘の命を救った母親。優佳は頑なに己の存在を否定しながら満足な表情を浮かべていた。
「しっかりしなさい、金色の巫女様」
「……母様」
「どうやら記憶も戻っているようね」
柔和な笑みが語り掛けると、唯も涙で濡らした顔で小さく頷いた。その顔を見て優佳は安堵をみせる。
「唯、あの屋敷での戦いで私は致命傷を負っていたの。どうせもう長くはなかったの。だからいいのよ、それに……」
「――それに?」
「いいえ、何でもないわ唯。どうか幸せに、幸せになってちょうだいね」
母としての最後の言葉だった。真中優佳は最期まで母親であると名乗らなかった。
『せっかくこうして会えたのに……。ようやく母様と呼ばれたのに。優佳さん』
唯の母の顔は笑っていた。優佳の身体から光が発する。光が粒となって人の形を消していく。娘の腕の中で満足そうな微笑みを浮かべて真中優佳は唯の前から消滅した。
苦い思いが樹の心を埋め尽くす。去りゆく真中優佳を見て瞼を強く閉じて歯を食いしばった。当たりに沈痛な思いが溢れ戦場の空気が重くなる。誰も何も言えなかった。
『なんでここで笑うんだ。銀鬼!』
樹はその悲痛の中に銀鬼の笑みを見た。
「無駄死にとは馬鹿な女だ。だがしかしこれで計算通りに」
『計算通りだと! 何を言っている! お前一体何を考えているんだ』
再三にわたって憎まれるような素振りを見せていた銀鬼。
これまでのことは全て芝居だったと、銀鬼は敵ではないと、唯を救うという目的は同じだと思っていた。
――そう思いたかった。
唯の母親を殺して笑う銀鬼の姿には嫌悪の情しか抱けない。銀鬼は平然として唯の母親を殺した。
既に銀鬼とのリンクを果たしていた樹。銀鬼の今の心情を探ってみたが、彼の心には波風の一つも立ってはいなかった。
銀鬼が敵なのか味方なのか判断が出来なくなっていた。
思い立つ。銀鬼をこのまま放置しておいては不味い事になるのではないか。
銀鬼を信じようとしていた樹の心は焦燥を覚え再び揺れ始めていた。
そうしているうちに後ろで気勢が立ち上る。
『――なんだ!』
樹は振り向き、その怒気のする方を見た。
「許さない! あなたのこと、絶対に許すことなど出来ないわ!」
『唯! お前』
「ほほう」
睨みつける唯を見て銀鬼が含み笑いを浮かべる。
「ここにきて卑巫女の力を見せるか。そうか、考えてもみてもそうだよな。今ここは神奈備の中、そして金色の巫女の手に数珠丸があるのだからな」
『卑巫女だと! まさか銀鬼はこれを狙っていたというのか!』
鬼化を解いた唯を襲い、そこに介入した優佳を殺す。唯の激高を誘い卑巫女の力を目覚めさせる。計算通りとは全て卑巫女の力を誘発するための計略。
樹はこの事態がまさに銀鬼の言うところの計算通りなのだと納得してしまっていた。
「しかし出来るのか? お前にこの加茂樹の身体を傷つけることが出来るのか、唯」
樹は銀鬼の次の台詞を聞く。銀鬼は嘲るようにして唯を挑発した。
「……」
「出来るわけがないよな。これはお前の大切な兄の身体だぜ」
銀鬼は両手を広げ、やるならやってみろと更に唯を挑発する。
「――出来るわ。私なら出来る」
「ほう」
「私はもう知っている。金色の巫女の力は変容させる力。そして万物を慈しみ育む力。私はあなたを消し去って、樹ちゃんの身体を取り返す」
唯は数珠丸をその手に構えて銀鬼を見据えた。応えて銀鬼も唯に蒼帝の大太刀を向ける。
向かい合う切っ先。黒髪を風に揺らしながら敵を睨み付ける卑巫女。音も無く唯が踏み出した。
「その動き、流石は鬼姫、鬼灯累」
「煩い! その名前で私を呼ぶな! 私は唯、真中唯だ!」
太刀と太刀が交錯する。唯は上下左右に高速の剣技を見せた。
『――ゆ、唯、それは!』
その剣技を見て身体が震えた。樹の見ているもの、馴染みのある動き。それは氷狼神社に伝わる剣舞「氷華の舞」であった。
迂闊にも唯の美しい舞に見惚れてしまった。だが樹はそこで更に驚くべきものを見る。
『な、なんだと!』
身体の震えが止まらなくなった。唯を迎え撃った銀鬼も同じように氷華の舞を舞い始めたのだ。
漆黒の太刀と碧色の太刀が交錯し合う。二人の戦いは美しかった。まるで舞台の上で息の合った舞を見せる舞手のようであった。
『だが、これでは……』
氷華の舞は二人で一つを舞う対の舞。本来のそれは終わりなき舞である。ならば舞を舞う以上は決着など付かない。樹は歯がみをした。ここで二人が殺し合う意味が分からない。唯を戦わせる意味が分からない。唯が正気に戻ったならば、唯にかけられた呪いを解く方が先決であろう。確かに銀鬼は唯の呪いを解かないと話していたが、それでも……。
『お前も、唯を救いたいのではないのか。これでは唯を傷つけるばかりじゃないか。お前の狙いはいったい何なんだ、銀鬼』
思いあぐねて樹は溢した。その時、樹は銀鬼の顔に笑みを見る。
「氷華の舞、上手くなったね、唯」
舞のさなかに銀鬼は突然、樹の口調をまねて唯に話しかけた。
「――い、樹ちゃん!」
『ダメだ唯! 集中を途切れさせてはいけない! それでは!』
戸惑いを見せた唯が隙を作ってしまう。
「もらった!」
「あ……」
『唯ーー!』
銀鬼の太刀が深々と唯の心臓を貫いた。唯は膝から崩れ落ちた。
「唯ちゃん!」
「唯ちゃん!」
蘭子と鈴が唯の元に駆けつけた。
「銀鬼! よくも唯ちゃんを!」
「ん? 何を言ってるんだお前ら。知らないなら教えてやるが、鬼姫とはこの世に破壊と混沌を齎せるものだ。人にとって災いにしかならない。それを除いてやったのにその言い方はないな」
「銀鬼、お前は――」
「それにその娘も加茂樹の身体に殺されたなら本望だろうよ。あはははは!」
「……あなたは何がしたいのですか! あなたは敵なのですか」
「はあ? 敵かだと? フン、何を言っているのか。お前達など眼中にない。鬼姫は俺の覇業に邪魔になるから殺した。それだけだ」
「は、覇業ですって!」
「そうだ! お前達は何か勘違いしているようだがな、俺はお前達の味方などではないぞ。樹から聞いているだろう。俺は鬼の王になると」
「鬼の王……」
「そう鬼の王だよ。そうだ、良い事を思いついたぞ」
「……」
「蘭子、鈴、お前達は二人とも樹のことが好きなんだろ? ならば揃って俺の妾に加えてやってもいいぞ」
「妾だと! そんなもんに誰がなるか!」
「私のことを鈴と呼び捨てになされますか……やはりあなたは樹様とは別人」
「当たり前だろう。白の巫女よ、俺をあの盆暗と同列に語るな」
「銀鬼、教えなさい。樹様は今どこに」
「さて? どこだろうなぁ。この身体の中におらぬことは確かだぞ。大方その辺に漂っておるのではないか? ただし、肉体を持たない魂は人をこの世に繋ぎ留めておくことが出来ぬ。ならば樹も直に消えて無くなるというのが自然の成り行きであるな。あははは!」
「樹様の身体を奪い、優佳さんを殺し、唯ちゃんまでも。私はあなたを絶対に許しませんわ」
鈴が激しく歯を食いしばって銀鬼を睨み上げる。その視線を見下しながら銀鬼は目を細め口角を上げニタリと笑った。
「さて、これで鬼姫もいなくなった。あとはお前達のお望みどおりに雑魚どもを片付けるとしよう。なに礼はいらぬよ。事はついでだからな」
『――違う……銀鬼は嘘をついている。唯は生きている。だが何故だ……何故そこまで悪びれなくてはならないんだ。唯の呪いを解いたと、そう言えば良いだけじゃないか……』




