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氷華の舞  作者: 楠 冬野
第3章 桃園の死闘
50/70

50 隻腕の陰陽師

   -50-


 氷狼神社の本殿、大岩の元で犬童いんどうれいは桃花と朱鬼の戦いを見ていた。

 この戦いにおいて最も重要な事は、桃花である加茂かもいつきに時を渡らせることである。

 その意味だけをとって戦況を見れば、事は上々に進んでいるといえたのだが、巫女達が窮地に立たされ、桃花が追い詰められている様子を見せつけられればおのずと焦りが募る。

 今、こうして堪えていられたのは、ひとえに事態が必然として進行しているということを「桃花の予言」をもって確信していたからある。


 ――これで良いのか、本当に……。


 確信を持ちきれない老婆の奥歯がギリと音を立てる。皺だらけの乾いた拳に力が入った。澪とて、今宵に起こる「桃花の時渡り」について、つぶさに知らされているわけではない。先代桃花には絶大な信頼を寄せていたがそれでも心中に焦る気持ちが確かにあった。


 ――よくぞ参ってくれた。

 老婆の視界に一頭の獣が姿を現した。

 澪は己の神獣、大口おおくち次郎左衛門じろうざえもん景雪かげゆきの参戦を見届けて胸をなで下ろす。しかし、その次郎の口に蒼帝そうていの姿があるのを認めると、流石に古の巫女、犬童澪とて頬を引きつらせてしまう。

 時渡りに蒼帝が絡むということは分かっていたことではあったが、よもやそのことが次郎によってもたらされるものだとは思ってもみなかった。

 加茂樹は、数日前に蒼帝を手にして神座を開いていた。ならば、戦いの最中に彼の呼びかけに呼応する形で蒼帝が現れるものだと思い込んでいた。すっかりと油断をしてしまっていた。

 これで舞台は桃花の時渡りをいつ迎えてもおかしくない状況になった。

 事態はいよいよ緊迫を余儀なくされ、局面は佳境を迎えつつあった。


 それでもとりあえず、桃花の戦場は次郎に任せるより他はないと心を落ち着けるが……。

 麓の随神門へ厳しい視線を投げると、不意に強い横風を受けた。その風の知らせにより、この戦場に新たな要素が加わったことを老婆は察知した。

 犬童澪は目を閉じ耳を澄ました。


「やれやれ、やはり来てしまったのか……」


 氷狼神社の参道から下、ゆるやかな山道をゆっくりとした足取りで登りくる女。

 隻腕の陰陽師の姿が澪の脳裏に浮かぶ。


「そのような体になってもなお、娘の為に動くか、優佳ゆか殿」


 上狛かみこま水音みずねとしての在り様はもうそこにはなかった。既に術は解け真中まなか優佳ゆかは本来の自我を取り戻している。


「母の情とはそのように深く、また慈愛に満ちおるものなのじゃな……じゃが……」


 厳しさを目に湛え上方を睨め上げる優佳を見て、思わず悲哀の真情を吐露するが、手は既に打ってある。


 ――旋風が起こり木々が騒ぐと枯れ葉が宙を舞った。

 男が一人、優佳の決意の前に立った。その男を見た後、優佳はチラと大岩の方を見上げた。上狛の主の手筈を察したのだろう、優佳は伏し目に視線を落としフッとほくそ笑んだ。


 優佳が立ちはだかる男に視線を向ける。


「……神無月かんなづきか」

「はい」

「そこをどいてはもらえないか」

「出来ません」

「それは主の命令か」

「それも勿論ありますが、それよりもまずこれは俺がやらねばと思っての事です」

「……上狛水音、とは呼ばないのだな」

「はい」

「知っているのか」

「はい、真中優佳様」


 頑として優佳を見据える神無月。優佳は次の言葉を探すように空を見上げた。緊張に震える木々が騒々しく葉擦れの音を掻き鳴らしていた。


「今宵、この場所に我が娘、真中まなかゆいが現れる。と言ってもどいてはくれぬのか」


 鬼姫参上を口にする優佳。しかしその驚愕すべき一報を受けてなお神無月は微動だにしない。神無月は無言のまま優佳を見返していた。


「なるほど、全て知っていると」

「はい、聞かされております。桃花様と真中唯様の邂逅なくして桃花の時渡り無しと」

「その真中唯が鬼姫となって現れたとしてもか?」

「全て桃花の予言どおりにて。そして、それが時の必然というものであるのならば」

「神無月、本当に時が必然で流れるものと思っているのか?」

「はい」


 神無月は揺るがなかった。そこで優佳は自嘲するかのように笑みを溢す。


「私自身がその必然から外れた存在であるといってもか。その事を私は直に加茂樹から聞いたと言ってもか」

「……」


 優佳は必然で起こる事象など無いということを、己と桃花の邂逅を引き合いに出して言い切った。神無月は黙してしまう。

 桃花という言葉を耳にして一瞬、顔を強張らせた神無月の心の揺らぎを優佳は見逃さなかったようだ。優佳の強い視線が神無月の心の隙を突いていた。


「では、通してもらおう」

「そればかりは叶えるわけにはいきません」


 口を真横に固く結んで神無月は意地を通した。


「……忠義なことよな」

「如何に優佳様の言葉と言えども、また優佳様が桃花様のお言葉を聞いていたとしても、俺には確証が持てない。今宵、桃花様が時渡りをされるのにはこの後の鬼姫との邂逅が必須のはず。然らば間違っても桃花様が優佳様にその邪魔をせよとは言いますまい」

「……」

「やはりそうでございましたか」


 優佳の沈黙を受け取って神無月は自身が頂く桃花の予言に自信を見せた。


「――私は、行かねばならぬのだ」

「なりません」

「どうしてもそこを通さぬと」

「はい」

「……仕方のない。では力ずくでも通してもらおう」


 隻腕の陰陽師の腕に神器が白く輝きを見せる。しかし迎える神無月は構えを取らなかった。


「そのような身体になってもここに来た貴女様の気持ちは察します。しかし――」

「御託はいい……」


 神無月の言葉を遮った優佳の呟きが木々の合間に溶ける。いつしか雑木は沈黙していた。辺りから音が消えていた。

 臨戦態勢の優佳。踏みしめる枯れ葉が乾いた音を鳴いて砕ける。瞬間、隻腕の陰陽師が静寂を切り裂き鋭く踏み込んでいった。


「ちっ! 出よ! 落葉らくよう!」


 神無月は咄嗟に身の丈ほどもある長槍を呼び出し迎え撃った。槍がくるりと空を回わるとその銅金どうがねが優佳の太刀を受け止めた。


「――神器、落葉……。そうであったな。神無月、お前も名持ちであった」

「式の身の上を晒して、しかも片腕。ならば俺にもなんとかなる」

「よく言った神無月、では心置きなく参ろう」

 

 優佳の冷えた視線が神無月を刺し、周囲の草木が凍えるように動きを止める。

 優佳は腕を回すようにして雪水丸を左肩に乗せ前傾で構えた。それを神無月は石突きを前方に穂先を後ろに下げて受ける態勢で迎える。

 互いの視線が宙で激突して火花を散らす。優佳も神無月も相手の初手を探り合い、呼吸を読み合った。共に武に長ける者同士である。軽々には動けない。既に互いの脳裏の中では、既に数合の打ち合いが繰り広げられていることだろう。――これは危ういな。


「おおおっ!」

「くっ!」


 優佳が先に出た。低い姿勢で懐に入り込んだ優佳が雪水丸を水平に払った。その斬撃を神無月は更に下から掬い上げる。

 優佳は負けじと大きく跳ね上げられた切先をそのまま上から袈裟懸けに振り下ろす。神無月も太刀を振り払った勢いのまま槍を反転させて真っすぐに落葉の穂先を優佳に向けて走らせた。

 太刀と槍がまさに相打つ様相を見せたその刹那、犬童澪は出し抜けに優佳と神無月の間に割って入った。

 優佳と神無月の間に腕を交差させるようにして立った老婆は右手で槍の軌道を逸らし、左手に生み出した障壁で優佳の太刀を受け止めた。優佳と神無月の目を順に覗いた老婆からニヤと笑みが零れる。


「――やれやれ、このように上狛の陰陽師同士が、それも神器をぶつけ合うとは」

「……水音ちゃん」

「……澪様」


 攻撃を止められた優佳と神無月のそれぞれが、知ったる別々の呼称で一人の老婆の名を口にした。


「優佳殿、どうやらその身の記憶の封は解けてしまっておるようじゃな」

「ええ。全て思い出しているわ、水音ちゃん」

「しかも、その身体……。鬼灯累の家で大事があったか」


 老婆に睨みつけられ優佳が息をのんだ。


「水音ちゃん、唯はもう鬼姫なるもではありません。唯は唯として、金色の巫女として目覚めています」

「ほう、鬼灯累は既に鬼姫ではないと?」

「――そうよ、唯はもう鬼姫ではないわ」

「うむ、そうか。それで? それでその唯はどうした?」

「傍らに呼び出した皇陣こうじんなる大蛇と共にこちらに向かってきています」

「うむ、皇陣と共にな」


 優佳の言葉を聞いた老婆は一度目を瞑り沈黙をする。その後、目を開いた老婆は眼に鋭い光を湛え優佳に訳を話せと視線を送った。


「れ、澪様……」

「うむ。神無月も聞くが良かろう。己の介入が桃花の時渡りを阻害するかもしれぬと知ってもここに参った上狛最強の陰陽師の言い分だ」

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