二話
────そのまま、呆然としている内に一週間が過ぎて……。
「……ようこそお越しいただきました、刃野リュウ様」
トモカズが頭を下げると、眼前の男性は手をひらひらと振った。
「挨拶はいいよ。会議場に案内してくれない?」
「はい、もちろん」
もう一度頭を下げて、トモカズはその人物────ナイト連邦国務省管轄特例設置組織「転生局」局長・刃野リュウを奥へといざなう。
トモカズは一応この会議場の責任者であり、本来はそこまで頭を下げる必要はないのだが……眼前の男は、思わずそうしたくなるくらい、強烈な存在感を持っていた。
平たく言えば、威圧感のある人物だったのである。
──慢性的に政情が不安定だから、ナイト連邦の転生局は大した仕事が出来ていないと評判だが……流石にトップでいるだけの器はある、ということか。
そんなことを思いつつ、密かにトモカズは彼を観察する。
彼の服装は、噂に聞く鏖殺人の服装とよく似ていた。
青い軍服に金の刺繍を施し、腰に帯刀──鏖殺人のような片刃ではなく、両刃の剣だ──している姿は、殆ど鏖殺人の模倣である。
ナイト連邦転生局はグリス王国のそれを参考にして設置されたそうなので、その影響かもしれない。
違いを挙げるなら、二十代前半と思われる彼の方が鏖殺人よりも若々しいこと。
それと、もう一つ────。
「あの……お顔の物は、外されないのですか?」
どうしても気になって、ついついトモカズは疑問を口にしてしまう。
途端に、リュウはピタリと動きを止めた。
大きなお面を身に着けたまま。
顔全体を覆うような大きさの木の板に、目と鼻、口の部分だけ穴をあけたようなお面。
その不格好さのせいで、「仮面」ではなく、「お面」と呼ぶ方がよく似合う。
紐で顔を押し潰すかのように固定させているため、リュウの顔が見えなくなっている程だ。
このお面こそ、彼と鏖殺人とのもう一つの相違点だった。
目元だけを青い仮面で隠す鏖殺人と違って、顔全体を覆うお面を身に着けているのである。
息苦しそうだったので、トモカズもつい、外すことを提案してしまった。
「僕は、これをずっと身に着けている。ウチの局長は、これを装着するのが仕事の一つだ……だから、外す気はない」
返答は、明らかに気分を害したと思われる低い声でなされた。
不味い、と思ったトモカズは慌てて弁明をする。
「申し訳ありません。そのようなこととは露知らず……」
「まあ、いいよ……あの扉が、会議場になるホールの入口だね?先に行かせてもらうよ」
それだけ言うと、リュウはすたすたと会議場に歩いていく。
彼の部下もまた、局長に従ってついて行った。
部下たちも全員がお面を身に着けているので、彼らが練り歩くその光景は異様の一言に尽きる。
「……しょうがないだろ、顔を隠す理由なんか調べる暇なかったし……」
彼らが通り過ぎてから、トモカズは密かに愚痴を吐いた。
急に押し付けられた仕事ということもあって、初っ端からひやひやしてしまった。
でもまあ、何とか乗り切れただろう……そんな自己評価をしてから、改めて彼は周囲を見渡す。
会議場の通路では、立ち入りを許可した新聞記者たちががやがやと会話をしている。
その周りでは、グリス王国の一等職員やアカーシャ国の官僚らしい人たちの姿も大勢見えた。
トモカズの知る限り、かつて会議場にここまでの人間が集まったことはない。
──この会議って注目されているんだなあ……。
一応は会議場の責任者であるのだが、トモカズは思わず呆けてしまう。
彼らに立ち入り許可を出したのは自分だということを、彼は一瞬忘れた。
そうやってポケーッとしていると……不意に、背後から声をかけられた。
「糸井さん!ティタン様が来ました!」
「え?」
慌てて振り返れば、そこには当日の手伝いを頼んだ後輩司書の姿がある。
局長クラスの来訪者が来た時に、その存在を知らせてくれるように頼んでいたのだが────。
──ティタンって誰だったっけ?
一瞬、トモカズは戸惑いを覚えてしまう。
本気で聞き覚えがなかったのだ。
しかし一応は準備したこともあり、何とか次の瞬間には思い出した。
「ティタンって……鏖殺人のことか!」
鏖殺人という名前で広く知られているが、これはあくまで俗称。
公式の場で用いるような名前ではない。
俗称の方でばかり呼んでいたものだから、ティタンと聞いてもピンと来なかったのだ。
──不味いな、本人の前では絶対に言わないようにしないと……。
慌てて駆け出しながら、トモカズではこっそり反省する。
ついさっき、リュウを不愉快にさせたばかりなのだ。
今度こそ粗相が無いようにしようと心の中で何度も念じてから、トモカズは玄関に向かった。
──さて、馬車はどこだ?鏖殺人が乗って来た馬車は……。
玄関に辿り着いてから、トモカズは首を振って左右を見渡す。
先程のリュウもそうだったのだが、普通に考えて国外への移動手段は馬車だろう。
しかし、玄関に新しく止められた馬車の姿はなかった。
──じゃあ、どこに……。
後輩が嘘をつく理由などないので、鏖殺人が来たことは間違いない。
だが、姿が見えない。
まさか、案内を待たずに先に行ってしまったのか?
不安に思いつつ、トモカズは必死に鏖殺人の姿を探す。
すると、再び背後から声がかけられた。
「……早馬はここに止めておいていいのか?」
バッと振り返れば、そこには噂に聞いた通りの人物が所在なさげに立っている。
目元を覆う青い仮面。
鼻の上まで覆う黒いマスク。
腰から下げられた片刃の刀。
グリス王国内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」局長・ティタンに間違いなかった。
反射的に、トモカズは頭を下げて地面を見つめる。
「……はい、早馬はこちらで預からせていただきます。えー、ようこそお越しいただきました。私はマーズ大書院責任者代理で、糸井トモカズと申します。是非、案内を……」
「いや、別にいい。何度も来た場所だ、勝手は分かる……馬の管理だけ頼む。不眠不休だったからな、疲れているだろう」
トモカズの言葉をぶった切り、鏖殺人は馬の手綱だけをポイッと渡してくる。
トモカズが慌ててそれを受け取った時には、彼はもう歩き出していた。
こちらのことをチラリとも見ない。
──十年も局長をやっていると、慣れるんだなあ……。
そんな感想を浮かべながら、トモカズは早馬を用意した厩舎へと連れて行った。
案内を拒否されたなら、とりあえずはこの馬を連れて行くのが仕事である。
──しかし、大人しい……この早馬、かなり賢いんだな。
厩舎まで静かに着いてきてくれる馬の姿を見て、トモカズは密かに驚く。
いきなり見知らぬ人物が手綱を持つと、不安がって暴れる馬は結構いるのだが、鏖殺人が乗ってきた早馬は一切そのような様子を見せなかった。
恐らく、今まで鏖殺人と共に様々な場所を駆け巡った戦友なのだろう……そこらの早馬とは出来が違うようだった。
──そもそも、アカーシャ国内にあるこの図書館にまで、早馬で来たってのが凄いよな……それも、休みなしで。
馬を見ながら、トモカズはそんなことも考える。
グリス王国王都とアカーシャ国のマーズ大書院は、位置的には決して近くない。
早馬の総力をもってしても、半日はかかるだろう……本来なら、かなり疲れるはずだ。
加えて、早馬に乗るのには相当な体力が要る。
凄まじい速度で駆け抜ける馬を操りながら国境を超えるというのは、常人なら数十分で疲労困憊になってしまうくらいの負担があるのだ。
それにぶっ続けで乗ってきたというのは、最早人間技ではなかった。
「どんな体力してるんだろ、あの人……」
ぼそり、と呟く。
勿論、独り言だ。
しかし次の瞬間、独り言だったはずのその言葉に急に相槌が打たれた。
「本当にね。話に聞いてた通り、凄い人」
ぎょっとして、トモカズは首を回して後ろを見る。
とにかく、今日は背後から意外なものが一杯やって来る日だった。
今朝からずっと、背中越しに声を掛けられてばかりである。
だが「彼女」を見た時の驚愕は、今日トモカズが経験した驚きの中でも随一だった。
すぐにそう断言できるくらい、衝撃的だったのである。
最初にトモカズの視界に映ったのは、早馬を連れた女性の姿。
肌の感じからすると、年齢は二十代前半だろうか。
しかし、その肌を包む彼女の恰好は────尋常ではない。
まず着ているのは、パーティーにでも行くかのような煌びやかなドレス。
首元には、幾らするのか想像もつかない大きな宝石も見えていた。
靴に至っては、この場所には似つかわしくないハイヒールだ。
これだけでも十分奇妙だが、一番奇妙なのは彼女の目を覆っている仮面だった。
仮面舞踏会で活躍しそうな、蝶をかたどった豪奢な物を身に着けているのである。
そんな色々と刺激的な装いをした女性が、さして大きくもない厩舎の前に佇んでいるという非現実さに、トモカズは目を丸くして相手を凝視するしかなかった。
もっとも、彼が黙って相手を見続けたのは、何も彼女の服装だけがその理由ではない。
端的に言えば、彼女はかなりの美女だった。
蝶の仮面の奥に見える綺麗な瞳や、その下に続く細い顎だけでもそれが分かる。
仮面を外せば、きっと道を行く男性の殆どが振り返り、彼女の容姿に見惚れるだろう。
まとめると、ドレスと仮面を身に着けた美女がいきなりトモカズの目の前に現れたのだ。
だからこそ、思わず凝視してしまったのである。
「私の早馬、ここに預けていい?」
不意に彼女が口を開いた。
それを契機に、トモカズは何とか自分を取り戻す。
「勿論、大丈夫ですが……失礼ながら、貴女は誰ですか?」
事前に予習した知識の範囲から言わせてもらえば、こんな人物が会議に来るとは聞いていない。
現状、この女性は完全な不審者なのだ。
一体何なんだと思ったトモカズは、率直に聞いてみることにする。
トモカズの言葉を受けて、彼女はフフッと笑みをこぼした。
かなり怪しい恰好をしているのだが、不思議とその表情は絵になる。
「疑っているの?ごめんなさい、前もって言って置かなくて……私は、アカーシャ国の転生局の者よ」
「……アカーシャ国からは、剣崎局長がお一人でお越しになるとお聞きしていますが」
そして書類によれば、アカーシャ国の局長は四十過ぎの男性だったはずだ。
目の前の人物との一致点はどこにもない。
しかし、彼女はトモカズの疑問を軽く受け流した。
「ええ、本当はその予定だったわ。だけれど予定が変わったから、代理として私をよこしたの」
「代理?」
「ええ……名乗った方がいいかしら」
そう呟くと、いきなり彼女は自分の右掌を見せてくる。
何かと思えば、彼女は右手に小さなバッジを持っているようだった。
自然とそれを見たトモカズは、思わず叫びそうになる……アカーシャ国民であれば、誰でも知っている紋章が、そこにあったから。
「初めまして。アカーシャ国中枢統御会議所属特別機構『転生局』顧問、天司エリカです……以後、お見知りおきを」




