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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
四章 鏖殺人と「人間」の少女
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五話

 玄関で鏖殺人に出会ってから、ユキの記憶は少し飛ぶ。

 恐らくは、鏖殺人に言われるがまま母親を呼んできたのだと思うのだが、あまり覚えていない。


 尤も、これはそこまで奇妙なことでもない。

 母親がユキの世話をしなくなった辺りから、ユキの母親に関する記憶は急速に薄れている。

 覚えておきたいと思えるほどのことが、何一つとして無かったのだろう。


 だから、ユキの記憶の続きは、母親に連れられたまま、鏖殺人にもう一度対面してからになる。


「このたび、副局長だった私が、局長に就任しました」


 まず最初に、大して嬉しそうでもない言葉とともに、鏖殺人が似合わない挨拶をした。


「それに合わせて、今年度から、免罪符の形式が変わったため、少しお訪ねしただけです。……あなた方の免罪符は、少々注釈が必要なものですから」


 感情の起伏をあまり感じさせないような声で、鏖殺人は粛々と告げる。


 この言葉を受けたときの、母親の表情もまた、覚えていない。

 あまり、良い顔はしていなかったと思うが。


 基本的には、鏖殺人に対して無言を貫いていた。

 故に、その母親が口を開いたときには、幼心に驚いたことをよく覚えている


「……二年前」


 新しくなった免罪符を受けとりながら、ユキの母親が口を開く。




「どうして、この子を、…………なかったのですか?」




 聞き取りにくい、濁った声だった。

 この子、というのが、自分を指していることはわかった。


 問いかけている相手が、鏖殺人であることも。

 だがその時のユキには、何をしなかったのか、という部分は、ちょうど聞き取れなかった。


 その言葉を境に、鏖殺人の雰囲気が、ほんの少し変わったことは、よく覚えている。

 ろくに顔の見えない格好をしているというのに────ユキには、彼が眉をひそめたように見えた。




「……どうやら、我々の職務について誤解があるようですね」


 続けて投げ掛けられた言葉は、子どものユキにも感じられるほど、諭すような声色をしていた。


「二年前にも、説明しているはずです。我々は異世界転生者を全て殺す。しかし、人間は一人も殺さない。転生者法の施行以降、これを大原則として掲げてきました」


 そこで、鏖殺人は一度口を閉じた。

 しかし、ため息でもつくような調子で、再び口火を切る。


「異世界転生者というのは文字通り、『異世界から転生してきた者』、のことです。……あなたも、あなたの娘さんも、この世界で生まれ、この世界で生きてきた存在──我々がどうこうする理由はどこにもない」

「例え、異世界転生者の血を引いている者であっても?」


 噛みつくようにして疑問の声をあげたのは、もちろん、ユキの母親だった。

 その言葉に、懇願のような意味合いが含まれていることに、ユキはぼんやりと気づく。

 だが、ユキがその真意に思い至る前に、鏖殺人が返答した。


「そうです。確かに、あなたの娘さんは異世界転生者の娘であり、血族です。しかし、二年前に何度も言ったはずです。あなたの娘さんは、普通の子どもです。移動型異世界転生者でも、再誕型異世界転生者でもない。たまたま父親が異世界転生者だったというだけです。この世界に生を受け、普通の子どもとして生まれてきた、ただの人間なんです」

「……転生局は、血縁関係は重視しない、と?」

「当然です。その子は、異世界転生者ではないのですから」


 ユキの母親は、この小さな論戦で、鏖殺人からある言葉を引き出したかったのだろう。

 今なら、わかる。


 だが、当時のユキは、大人たちの言い争いに目を白黒させるだけだった。

 それはある意味では、幸福だったのかもしれない。


「……話がそれました。新しい方ですが、娘さんの方は大して変わっていません。ただ、あなたの方は多少変わっています。……では」


 言うだけ言うと、鏖殺人は足早に立ち去っていった。




 例のごとく、ここから先の記憶はない。

 だから、その晩のユキの母親の様子や、表情も覚えてはいない。

 きっと、醜く歪んでいたのだろう、とは考えているのだが。















 後から、鏖殺人に聞いた話だ。

 鏖殺人が取り替えに来た、古い方の母親の免罪符には、ユキのそれと同様、注釈が書いてあったらしい。

 内容は単純。


「当該人物は一時期異世界転生者と婚姻関係にあったが、現在は解消されており、他の者と変わらず上記の内容を保証する」


 これだけだ。

 しかし、ユキのそれと同様、ユキの母親の免罪符に殴り書きされたその一文は、長らく彼女を苦しめてきた。

 何かと免罪符を提示するたびに、「この人は異世界転生者と結婚していたのか!」と驚かれるのだから。


 だが、その日、鏖殺人が届けに来た新しい免罪符には、この記述は無い。

 形式が変わるにあたって、削除されたのだ。


 その一文のために、免罪符が実質的に機能していないという、彼女の今までの訴えが、ようやく認められたのである。

 というより、この変化があったからこそ、わざわざ鏖殺人が免罪符を届けに来たのだろう。


 だが、この時、削除された文章は、ユキの母親のものだけだった。

 ユキの免罪符には、以前と変わらず、「当該人物は異世界転生者の娘であり……」という一文が書かれていた。


 鏖殺人は、この話をユキにした時、「彼女も、生活苦で混乱していたのだろう」と、語尾を濁した。


 だが────いくら苦しんでいたとしても、自分達が迫害を受けている原因のような文章を削除してもらう時、自分の娘の分を、忘れるものだろうか?


 ただ一言、言えばいいだけではないか。

 訪ねてきた鏖殺人に対して、娘の方の一文も消してくれ、と。

 この一文のせいで娘が苦しんでいるのだ、と。

 そう言うだけで、ユキの方の免罪符からも、その一文は消えたはずだ。


 だが、彼女はそうしなかった。

 自分の分の免罪符だけ、注釈が無い、他の免罪符と同じ仕様にして、ユキの免罪符は放置した。


 鏖殺人には悪いが、ユキはこの事実が意味することに、早くから気がついていた。


 ああ、そうか。

 母は、この時点でもう。

 ────自分を捨てる気でいたのだ、と。





 あの時の会話。

 鏖殺人と、ユキの母親の会話。


 唯一、はっきりと聞き取れなかった言葉。

 真実を理解したときから、ユキはその言葉が聞き取れるようになった。



「どうして、この子を、…………なかったのですか?」



「どうして、この子を、…………さなかったのですか?」



「どうして、この子を、……ろさなかったのですか?」



「どうして、この子を、ころさなかったのですか?」



















「どうして、この子を、()()()()()()()()()()?」
















 ただ、鏖殺人に理由を聞くだけの質問とも、考えることはできる。

 大して意味がある言葉ではないと、誤魔化すことも可能だ。

 だが、あの時の母親の様子と、その後の行動から考えると────。


 母親はもう、ユキのことを捨てたいと思うどころか──鏖殺人に殺して欲しい、と思っていたのだろう。

 何かと理由をつけて、死んでしまえば、自分の背負う苦労は軽くなる。

 そう考えて。


 だから、あの行動は。

 ふと魔が差した、とか、不幸に耐えかねて、とかの行動ではない。

 じっくりと計画を練り、考え込んだ末での行動だったのだろう。







 この日の晩、ユキの母親は、ユキが寝ている隙をついて、家を出た。


 そしてそのまま、二度と帰ってこなかった。


 俗に言うところの、「蒸発」。


 自分の免罪符だけをその手に持ち、彼女は新天地へ向かった。


 ユキには、その時から家族がいない。


 必要だとも、思わない。

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