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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
四章 鏖殺人と「人間」の少女
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二話

 昼休憩が終わり、いつものようにユキは転生局の建物へと向かう。

 さすがに手慣れているだけあり、車椅子と言えど素早く入り口に辿り着いたが、建物が視界に入ると、ユキの口からはため息がこぼれた。


 出来るだけ綺麗にしようとは思っているのだが、目の前の建物はやはり全体的に薄汚れている。


 ──業者の人、あんまりちゃんとやってくれないからなあ……。


 考え出すときりがないため、口にこそしないが、常日頃感じている不満が脳裏によぎった。


 転生局にはあらぬ噂がついて回るため、立ち寄る人間は非常に少ない。

 そのせいか、委託している清掃業者も、鏖殺人を恐れてすぐに帰ってしまう。

 せめてもう少し、鏖殺人に相応しい、もっと綺麗な場所にしたいとは思っているのだが、現状としては難しい。


 鏖殺人は、仕事さえこなせるのであれば、周りの環境には大して拘らない。

 あまりに散らかっている時に、自分で整理するくらいか。


 副局長の方は、もっと気にしていない。

 元々研究肌であるため、しばしば倉庫に籠り、むしろ積極的に汚している。


 渉外担当の方は、そもそもここにあまり来ない。

 現在は、たしかアカーシャ国を訪れているところだろう。


 結局、この建物の美観を気にするのはユキぐらいである。

 しかし、この足では、どうしても掃除できない部分がある。

 せいぜい、入り口の花壇に水をやるのが、ユキに出来る精一杯の抵抗といったところか。


 ──こんな建物だから、変な噂も増えるんだろうなあ。


 器用に扉を開けながらも、ユキの思考は続いた。


 自分達の行動が、国の業務の中でも取り分け血生臭いものであり、魔法大戦直後はともかく、現代ではかなり外聞が悪くなっていることぐらいは、ユキとて知っている。

 実際、鏖殺人の異世界転生者に対する苛烈な扱いは、そばで見ているユキですらおののくことがある。


 だが、その行動の是非と、妙な噂であげつらわれることは別問題だ。

 特に、鏖殺人を侮辱するような噂など──。


 無意識にユキの手に力が籠り、車椅子のタイヤに付属する取っ手が嫌な音を立てる。


 ──君が、鏖殺人が囲っている愛人だっていう噂。


 事実と比べることが馬鹿らしくなるほど、真実から解離している。

 大方、車椅子に乗り、どうしても自由に動けないことがあるユキへの印象と、鏖殺人に付きまとう悪い噂から捏造された話なのだろうが、どうにも気分が悪い。




 ──ティタンさん以上に、私に向き合ってくれた人は、他にいないのに……。




 こんなに気分が悪くなる噂が生まれるのも、多分、建物が汚いせいだ。「……、……?」

 廊下を進みながら、腹立ち紛れに、ユキは建物に八つ当たりする。「……、……君?」

 やはり、もっと良い業者に頼むようにしよう。鐘原なら、どこか知ってるだろうか。「……、宮野君?」



「……ユキ?」



 聞き慣れた声が耳の中に響き、反射的にユキは体を捻って声の元を見た。


「ティタンさ……いえ、ティタン局長、どうされました?」


 そこには、局長室の扉を開けたまま、所在なさげに佇む鏖殺人の姿があった。


「いや、むしろ君の方がどうしたんだ?」


 同じ質問を返されて、ユキは初めて自分の状況に目を向ける。

 気がつけば、ユキは事務室どころか、局長室すら通りすぎて、その奥、行き止まりの壁にまで車椅子を進めていた。

 どうやら、考え事をしているうちに壁にぶつかっていたらしい。


 それを認識した瞬間、一気にユキに恥ずかしさが襲ってくる。

 行き止まりであるというのに、変わらず車輪を進めていたこともそうだが、何よりもそれを鏖殺人に見られてしまったのが気恥ずかしい。

 穴があったら入りたいくらいだ。


「すいません、すぐにそちらへ……!」


 慌てて車椅子を方向転換させようとするが、生憎空間が狭すぎる。

 手をタイヤの取っ手に添えようとすると、左手を壁にぶつけてしまった。

 がつん、と意外に大きな音が鳴り、思わずユキは呻く。


「あー、よせ。運ぶ」


 気がつくと、いつの間にか鏖殺人がユキのすぐ後ろにまで来ていた。

 止める間もなく、車椅子の後部に付けられた、介助者用の取っ手を掴み、スムーズに車椅子の方向を百八十度変えさせる。

 ユキの介助をするのは久しぶりのはずだが、さすがに十年前からやっていただけあり、その動きは滑らかだった。


 そのまま、手慣れた様子で、ユキを乗せたまま車椅子を事務室まで進ませる。

 叱責はされなかったが、その最中、ずっとユキは赤面していた。


 ──迷惑かけないようにって、決めてたのに……。


 三年前、転生局に入った時に決めた誓い。

 前々からあまり守れていなかったが、再び破ってしまった。





「……ついでに、知っての通り、転生憲章の契約更新が、一ヶ月後に行われる。それに合わせて、俺自身もアカーシャやナイトの方にある転生局に出向く必要がある。形骸化した飾りみたいな書類だが、一応視察許可証を書いて、平和庁の方の事務に届けてほしい」

「……はい、大丈夫です。わかりました」


 鏖殺人からの用事は、何のことはない、ただの書類作成の依頼だった。

 ここのところ、異世界転生者出現の通報はないのだが、代わりと言って良いのか、事務作業が妙に多い。


「では、頼む」


 必要最低限のことだけ言うと、鏖殺人はすぐに身を翻して事務室から出ていった。

 何か用事がある、と言うわけではないのだろう。

 ただ単に、彼は理由もなく一ヶ所にとどまることなどしない、というだけだ。


 扉が閉まる音が鳴り、ユキはほっと胸を撫で下ろす。

 昔──ユキを育ててくれていた頃は、鏖殺人は常に優しかった。


 だが、仕事の上司として考えると、鏖殺人は部下に対して、中々に厳しい。

 慣れ親しんだ彼の話でも、仕事について語られている時は、どうしても緊張感が伴った。


 ──さて。


 気を取り直して、ユキは車椅子の位置を少しずらし、机へと向かう。

 だがその際、ふと壁にかけてある書類たちが、久しぶりに目に入った。


 平和庁長官の訓示。

 グリス王国建国者たちの肖像画。

 さらに──転生局としては因縁の敵でもある、佐藤トシオの顔。



「最悪の異世界転生者が居たという事実を、我々は忘れるべきではない」



 そう発言した初代ティタンの手によって、百五十年前に掛けられたものである。

 異世界で言うところの、「顔写真」と言うものらしい。

 さすがに月日が経ちすぎて大きく劣化してしまったが、どこにでもいそうな、十五、六歳の少年の顔がはっきりと確認できる。


 そして、その横。

 佐藤トシオの写真の隣には、ある証明書が額縁に入れられて掲示されている。





「当該人物における非異世界転生者証明に関する書類群」





 当該人物、の単語のすぐ隣には、氏名欄がある。

 そこには、ユキの記憶通り、鏖殺人の字で宮野ユキ、と書いてあった。

 いわゆる、「免罪符」である。


 ──もう、ここへ来て十年かあ……。


 不覚にも、自分の免罪符を見たことで、ユキはとてつもなく懐かしい思いに駆られた。

 その思いに任せ、表題の下の部分も読んでいく。


 内容自体は、他の免罪符との違いはない。

 だが、一番下、額縁に掛かるとかどうか、というギリギリの場所に、鏖殺人の殴り書きがある。




「当該人物は、異世界転生者の娘であるが、変わりなく、上記の内容を保証する」




 その一文は、ユキの意識を十年前に飛ばした。

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― 新着の感想 ―
余計なお世話ですが、誤字のご報告です。 「以来」→「依頼」 鏖殺人からの用事は、何のことはない、ただの書類作成の以来だった。  ここのところ、異世界転生者出現の通報はないのだが、代わりと言って良いのか…
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