ある看護師の証言 その二
結局ね、その日はその患者さんを家に帰したんですよ。
まあ、当然といえば当然だなって、そう思ったのを覚えています。
だって、人生相談ですらない、ただの妄想語りみたいなもんですしね。医者としても正直やることはなかったんです。
例え、その妄想の内容がどれほど本人にとって生々しくても、ね。
だからね、帰り際、突然院長が次の診察の日取りについて質問し始めた時には、本当にびっくりしたんです。
だってそうでしょう?
そういった妄想に心を囚われることが病気だったとしても、うちは別にそう言ったことへの専門じゃないんですよ。
もう一回うちに来てくれたとしても、正直できることなんてないんです。
仮にもう一度来てもらうとしたら、専門医への紹介状を渡す時くらいですよ。
それなのに、うちの院長はもう一度ここに来い、なんて言い出す。
相談しに来たその方も、だいぶ不思議がっていましたよ。
何で院長がそんなことを言い出したのか、分かったのはその日の診察が終わってからです。
確かね、院長が突然、伝書カラスを用意してくれ、とか言い出したんですよ。
普段カルテの整理をやっている時、別の医師の意見が聞きたい、とか言い出して伝書カラスを飛ばすことはあるんですよ。
だけどね、診察が終わってすぐにそんなことを言い出す、というのは今までなかったんです。
変でしょう?
だから、私は院長に尋ねたんですよ。どうしてですかってね。
そうしたら、院長が言ったのは、もっと変な言葉だったんです。
「俺にも分からん。だが、ある特徴を持つ患者さんが現れた時には、転生局に通報しなければならない。そういう法律がこの国にはあるんだよ」
未だに詳しいことは教えてもらっていないんですけどね。少なくとも院長は、医師になる時にそのことを厳命されたそうなんです。
妄想の内容を真剣に語りだすような患者さんが現れた時は、一日以内に転生局に知らせろって。
誰とは言いませんでしたけど、あの患者さんのことだなって、すぐにわかりました。
正直ね、最初は何かを誤魔化しているのかなって思ったんです。
私だって、一応は看護師としての資格がありますし。
院長には敵わないでしょうけど、最低限の医療知識は持っているつもりです。
もちろん、感染症の患者が来た時には役所に連絡しなきゃいけないとか、事件性がある時には警士を呼んでくるとか、そういうのも含めて、です。
ブランクがあるとは言え、普通、そういった法律ってコロコロ変わるようなものでもないでしょう?
だから、私が見当もつかないって言うのは変なんです。
そう……本当にその瞬間まで、転生局に差し出さなければならない患者がいるなんて、聞いたこともなかった。
その後ですか?
ええ、まあ、飛ばしましたよ。伝書カラス。王都に向けて。
これで何が起こるのかなあって、ぼんやり考えてました。
結論から言えば、凄いことになりましたけどね。
鏖殺人が来たのは、それから一週間後です。
さっきも言ったかもしれませんけど、その患者さんのことは印象に残ってはいても、まだ正体も何もわかっていませんでしたからね、正直な話忘れかけていたんです。
だからね、朝出勤していたら、なぜか鏖殺人がここにいて、難しい顔をした院長と立ち話なんかしていたものだから、本当にびっくりしたんです。
今まで直に見たことはなかったんですけどね、さすがに有名だから、姿くらいは知ってましたよ。
だけど、その噂でしか知らない「転生者殺し」が、この待合室に佇んでいるっていうのは、今だから言えますけど、奇妙を越えて恐怖でしたよ、あなた。
私が来た時にはね、もう院長との話は終わってて、話の内容は生憎と知らないんです。院長もなぜか教えてくれないし。
ただ、鏖殺人が例の患者の診察に立ち会うから、と院長が告げてきたんです。
訳が分からなかったんですけどね、続けざまに鏖殺人が口を開いたんですよ。
「ご迷惑をおかけしますが、すぐに済ませますので」
……こうやって私が言ってもよく伝わらないかもしれませんけど、ものすごい迫力のある話し方だったんですよ、これが。
なんかもう、反論を許さないというか、暗に命令しているというか。
噂でいろいろ言われている人ですけど、確かに噂されるだけはありますよ、本当に。
なんて言うんでしょうかねえ、普段から命のやり取りをしているような人は、雰囲気からして違うのかなあ。
そうそう、それとね、もう一つ鏖殺人が言ってきたことがありました。
鏖殺人がその患者さんの診察に立ち会っている間、受付には人を入れないように────そういう話です。
ええ、はい、もちろん、受付の人間もです。出来れば、待合室にも人を入れないのが望ましいと。
要するに、診察室に例の患者さんを入れた後は、私も含めて人を外に出して、臨時休業しろって言ってきたんですね。
……はい、はい。多分ですけど、記者さんが仰る通りだと思います。
万一そこで鏖殺人が戦うことになった時、巻き込まないためだったんでしょうね。
ただね、私が怖かったのは、他のところなんですよ。
さっきも言いましたけど、鏖殺人は「診療所に人を入れるな」じゃなくて、「受付に人を入れるな」って言ったんですよ。
あくまで、待合室に人がいるのは「望ましくない」と。
変じゃないですか。本当に巻き込みたくないんだったら、最初から「人を一人も入れるな」って言えばいいのに。
私はね、鏖殺人にとって重要だったのは、受付の方だったんじゃないかって思うんです。
さっきも言いましたけど、うちの受付は壁が薄くて、そこに人がいれば、診察室での会話は筒抜けになっちゃう。
鏖殺人はね、どうしてもそれを避けたかったんだと思います。
一応診察って形で呼び出しているんだから、院長が中にいるのは仕方ないとして、それ以外の人間に自分と例の患者さん────異世界転生者との会話を聞かせたくなかったんじゃないか、と。
多分なんですけど、鏖殺人は、壁を見ただけで、そこが薄いってことが分かったんじゃないかと思います。
うちの院長も、わざわざうちの壁は薄いなんてこと、口にはしないでしょうしね。建て替え命令なんてものが出されたら面倒ですし。
どんな観察力をしたら、そんなことに気が付くんでしょうかねえ。
まあ、うちの姑も、掃除を忘れていた場所を目ざとく見つけてきますし、訓練したらできるのかもしれませんけど。
それでいよいよ、例の患者さんが来たんですよ。
一週間前に来た、奇妙な妄想に取りつかれた患者さんがね。
ええ、前回に院長がわざわざ決めた日取りが、その日の朝一番だったんです。
今思えば、それも法律とやらで決まっているのかもしれませんね。




