四話
イムが意味深な言葉で会話を打ち切った、次の日。
エリカは仕事に忙殺されていた。
イムの言葉の真意など考える暇もなく、ひたすら仕事をやり続ける。
実際、やるべきことは山ほどあった。
鏖殺人に見られては不味いものの疎開と、視察対策としての職員の再教育。
保護されている異世界転生者への通知に、緊急での大掃除。
転生憲章の会議前も中々の大変さではあったが、今回の忙しさは当時のそれを上回っていた。
無論、周囲の者がかなりのサポートをしてくれている。
それでも職務熱心なエリカですら、この忙しさの中では時々、全ての仕事を放りだしたい衝動に駆られた。
何なら衝動に駆られるだけでなく、エリカは実行もした。
と言っても、仕事の合間に息抜きがてら転生局本部の庭を散歩したくらいだが。
エリカが久しぶりにイムと会話をしたのは、丁度その時のことである。
「んっ……腰ち肩が……」
年寄り臭いことを言いながら、エリカは庭の端でぐいーっと伸びをする。
そうするだけで、背中から腰にかけてがグギゴギバキゴキッとリズミカルな音を立てた。
どうやら、エリカの自覚以上に体が凝っていたらしい。
「この件が終わったら、一度イムにマッサージしてもらおう……」
やはり年寄り臭い願望を口に、エリカはぼんやりと散歩を続ける。
彼女の護衛であるイムは、何故だかマッサージが上手い。
仕事に疲れた際に彼女にマッサージを頼むのは、エリカが自分に許したご褒美でもあった。
──けど最近、イムとあんまり話せてないなー。
イムは元々、エリカが個人的に雇った護衛だ。
以前から天司家に仕えてくれていた護衛が高齢から引退した際に、自ら護衛役として志願したのを雇い入れた。
身元を証明する物もしっかりしていて──アカーシャ国にある武術道場の娘だったのだ──エリカとしては殆ど即決で迎え入れた人でもある。
裏を返せば、彼女は天司家に雇われただけであり、アカーシャ国の職員ではない。
故に転生局に出入りこそするものの、エリカの仕事を手伝うことはなかった。
手伝う権利が無いからだ。
だからエリカの仕事が忙しくても、イムはそれを手伝えずに無言で護衛を続けるしかない。
エリカとしても忙しいとイムに話を振る余裕は無くなり、二、三週間会話がないというのはざらだった。
──仕事が終わった途端に突然マッサージを頼むって言うのも、なんだか現金な対応な気もするし……どこかで話くらいはしておこうかな。
そんなことを考えた瞬間。
本当に偶々、エリカはそこで当のイムと遭遇した。
──あれ、イム?ここにいたんだ。
職務中は他の転生局職員が護衛をしてくれることも多いので、イムには自由時間を与えているのだが……どうやら、この庭で暇を潰していたらしい。
エリカの少し先で、彼女は普通に立っていた。
こちらに背中を向けているので、エリカの存在には気づいていないようだけれど。
一瞬、エリカは彼女に話しかけようとする。
まさに久しぶりに話でもしようと思っていたところだったので、丁度良いと思ったのだ。
しかし、彼女はすぐにその動きを止めてしまう。
と言うのも、もう少し近づいたところで、イムが変わったことをしているのに気づいたからである。
──イム……鳥にごはんをあげてる?
予想外の光景だったので、エリカは目を丸くする。
しかし、その姿が変わることはない。
間違いなく、イムは庭の片隅で鳥に餌をやっていた。
いつもの真面目な顔のまま、彼女はパラパラと家畜用の雑穀米らしい餌をばらまく。
その周囲には、大量のスズメが群がっていた。
鳴き声が一切していない──だから近づくまで気づかなかったのだ──ことからすると、どのスズメも食事に夢中になっているらしい。
──別に悪いことでもないけど……何だか意外。イム、こういうことするんだ。
他の人間がやっていたなら、その光景に違和感はなかったのかもしれない。
だが、イムとそこそこ長い付き合いとなるエリカにとっては、これは驚きだった。
何故かと言えば、エリカはこれまで、イムと言う女性は小動物が好きではないものだと思っていたからである。
イムは全体的に小動物との関わりを避けているし、可愛がることもしない。
かつて道端で野良猫を見つけた際、エリカが「可愛い」と言った後、間髪入れずにイムは「弱そうですね。野生で生きていくのが難しそうです」と言っていたくらいだ。
野良猫相手にも生存力で評価を下そうとするイムの姿勢に、エリカは戦慄したものだが……そのくらい、小動物を可愛がる行為からは縁遠い人物なのである。
そんな彼女が、鳥に餌をやっている。
これは、エリカにとって中々信じがたいことだった。
イムが餌を手に持っていることも、考えてみれば凄いことである。
転生局本部の近くでは、あのような雑穀米など売ってはいない。
つまりあれは、鳥たちのためにイムが遠くで購入した物だろう……まさかイムが、そこまで熱心に餌やりをしているとは。
……何となく、見てはならない光景を見たような気がする。
そう思ったエリカは、そろりそろりと庭を離れた。
イムに気が付かれないように、仕事に戻ることにする。
──この事は、誰にも言わないようにしよう。
何となく、それだけを決めた。
実際に彼女は。イム本人にも、他の職員にも、この時のことを口にしなかった。
────こうして、エリカが仕事に追われながら奇妙な体験をしている頃。
彼女の仕事場である異世界転生者保護施設で、一つの動きがあった。
職員すら見回ることない、倉庫の隅……そこで、隔離されている異世界転生者の一部が会合を開いたのである。
ただし、集まったのはせいぜい十五名。
保護施設にいる異世界転生者の一割にも満たない数だ。
だからこれだけなら、特筆する程のことではない。
しかし────その十五人が話していた内容は、少々過激だった。
車座になって話し込む異世界転生者の間で、とりわけ派手な格好をした若い男が口を開く。
この世界にはまず存在しない髪型たる、金髪のリーゼントを揺らしながら。
「今からもう少し経つと、隣の国から『オウサツニン』って奴がここに来る……らしい」
若い割に落ち着いた話し方で、言い含めるような雰囲気もあった。
周囲の者に語りかけることに慣れているのかも知れない。
「その時、ここの職員どもは『オウサツニン』の接待をしなくちゃならねえから、俺たちの世話をする余裕がなくなるそうだ。三十年前からこの施設にいるっつージジイの話じゃ、そう言う時の俺たちは『行儀よくしておけ』とだけ言われて、施設の中で放っておかれるんだとさ」
「……つまりそのイベント中は、俺たちを監視する奴が殆どいなくなるってことっスね」
最初に口を開いた男の隣で、耳に大量のピアスをつけた別の男が合いの手を入れる。
同時に、会合の参加者たちはゆっくりと息を呑んだ。
「……しかもだ。今回のイベントでは、この施設で一番偉い女も出てくるらしい……もしも攫われるようなことがあったら、職員全員が真っ青になる、とんでもなく偉い奴がな」
リーゼントの男は、そこでぺろりと唇を舐めた。
「お前ら、どう思う?俺は……チャンスはここしかないって思ったんだがな」
男に問いかけられると、参加者たちの間には戸惑うような沈黙が走った。
だが、それもほんの少しの間だけである。
次々に、賛同の声が上がった。
「……ア、アニキに賛成っス」
「俺も」
「お、俺もだよ」
「人質さえとっちまえば、武器も食料も手に入るだろうし……」
「ああ、ここを脱走するには十分だ……!もうこんな窮屈な暮らし、我慢できねえからな!」
……注釈が必要だろう。
彼らは、この施設で長い期間を過ごしてきた異世界転生者ではない。
つい最近、集団で交通事故を起こして瀕死となり、そのままアカーシャ国に異世界転生をした暴走族メンバーたちなのである。
そして不躾な話だが、彼らはそこまで頭が良くなかった。
少なくとも、「自分を保護してくれた人間に大して、とりあえず頭を下げておく」という対応ができない程度には粗暴だった。
保護施設内でもカツアゲや脅迫を繰り返しており、問題児として認識されているくらいである。
万事がそんな調子だから、彼らは異世界転生者保護施設においてかなり浮いていた。
職員たちにも警戒されており、居心地がよくない。
大好きなバイクも取り上げられ、囚人のような生活を送ることは、彼らには耐えがたい屈辱だった。
しかし、彼らには希望があった。
この施設を出ることさえできれば、自分たちは生きていけるだろう。
訳が分からないまま保護されてしまったけれど、外の世界ではもっと自由にやっていけるんじゃないか────そんなことを考えていたのだ。
彼らの希望は、後に大騒動を巻き起こすことになる。
しかしそれは、当事者である彼らにもまだ分かっていないことだった。




