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その4

 止まない地響きの音に耳を澄ませたが、少なくとも爆発音ではない。

 

「敵の第二波か?」

 

 そう言ってはみたが、どうも違う気がする。

 地響きはどんどん大きくなり、やがて海の波の音のようになってきた。わずかだが、床から腰に響くような振動が伝わってくる。この建物が倒壊している――そんなわけもないか。

 まてよ、この音は……いや、まさか。

 俺は思わず立ち上がって、人の頭の大きさほどのガラス窓から下の様子をうかがった。

 平らな四角の屋根が、モザイク模様に見える。その屋根の合間に、灰色の、コンクリート製の石畳の道路が見えるはずだった。

 灰色の道路の代わりにあるのは、エメラルド色の川の流れだ。

 

「は?」

 

 思わず目線を外して、もう一度、地面を見ろしてみたが、見間違いじゃない。その川の水位は、見る間にもどんどん上がり、もはや家々の1階の半分の高さに来ている。

 

「た、大変だ! 洪水! 洪水だッ!?」

 

 洪水――そうか、そういうことか!

 

「キブノ兵だ……キブノ兵が上流の堤防を壊したみたいだぞ!?」

 

 リリは、振り返った俺の勢いに気圧されたようにのけぞったが、すぐに苦笑いを浮かべた。

 

「落ち着いてくれ。まあ、外から来たなら知らないのも無理はないか。

 あんたが見ているのは、この都市の『自在堀』という技術だ」

「自在堀?」

「この都市は高い堤防でいくつかの区域に分けられているんだ。で、大雨になったとき、選んだ区域を貯水池の代わりにすることで、一部の区域だけ水害がひどくなったり、水圧に耐えられなくて堤防が決壊したりするのを防げるようになっている。

 それだけじゃなくて、雨が降ってなくても、川や運河から水を取り込んで防火用・防衛用の『堀』にすることができる。各区域を自在に堀にできるから『自在堀』」

「なるほど、しかしな……」

 

 改めて貯水池になりつつある街の様子を観察してみる。

 

「……ここからでも分かるほどすごい水の勢いだ。コンクリート造りの建物はともかく、人間はひとたまりもなさそうだ」

「そりゃそうさ。ここは水害が多いから、年に何回か避難訓練があるんだよ。そのとき、この自在堀も使って訓練するから、そんなヘマをする奴はこの都市に生きて住んでいないはずさ」

 

 俺やマリアンみたいに、外から来た人間はどうすんだ。その扱いもふくめて訓練するのか?

 それにしても、都市の中といったら安全の代名詞のはずだが、水害が多いオーディチガワには当てはまらないってことか。

 

「流し込む前は、区域に対応した警報が鳴るんだ。言いそびれたけど、あたしらがここに隠れることにしたのは、あんたが気絶している間に警報が鳴ったからというのもあるんだ」

「わしにも見せてくれ」

 

 マリアンが遠慮なく顔を寄せてきたので、窓際から離れることにした。

 

「話には聞いていたが、この目で見ることになるとは。衛生系・水量計・土木型、全て20世紀級の技術があるオーディチガワならではの設備じゃな」

「衛生系?」

「水で都市の中を満たすということは、水路一つ間違えば、都市の中が下水まみれじゃ。その下水をなんとかしても、食べ物が流されて腐ったら不衛生になる」

「洪水の後は疫病が流行りがちだからねえ……自在堀が稼働した後の清掃の段取りとかは衛生系の技士の仕事だな」

 

 

 再び机の足に寄りかかるように座り、オーディチガワの技術力の講釈をしばらく聞いていたら地響きが止んだ。もう一度立ち上がり、窓から下をのぞきこんでみる。

 水に浸かった家々の並びは、水底から色とりどりの杭が揃って生えているかのように見えた。

 

「1階どころじゃない、2階の半分まで浸水している家もあるぞ」

 

 ドアの高さや標識の位置を基準に計ってみる。浸水した深さはおよそ5メートル。普通の都市なら歴史的大災害レベルだ。

 浸水しているのはこの建物も例外ではないはずだ。この建物の天井が高いとはいっても4メートル強だ。1階にいたキブノ兵は流されたか、2階に逃げ出したんだろうな――と考えたところではたと気づいた。

 

「待ってくれ。この建物、人の体が通るような窓が全くなかったと自分は記憶している」

「その通りだけど、それがどうしたんだ?」

「ということは、キブノ兵はこの建物に閉じ込められたということになる」

「そうじゃな。逆に敵を追い詰めたことになるのう」

 

 いやいや、なんで分かんないんだよ。

 

「逃げられないと分かったら、人質を探し始めるぞ。

 人質には当然、地位の高い者が狙われる。技士の自分らは人質の筆頭候補だ。

 おまけに、リリとマリアンが重要人物だということは、写真を持っているキブノ兵は知っているはずだ」

「それは……確かにそうじゃ!」

「そ、そうだとすると、一番まずいのは、シジャン博士が――」

「貴方たち!」

 

 横に飛び、入り口に向かってクロスボウを構えた。立っていたのは黒髪の女性だ。武器らしきものは持ってない。

 横目でマリアンの方を見やると、構えかけたリボルバー拳銃を下ろしていた。

 

「シジャン博士! ご無事でなによりじゃ」

 

 情けない話だが、全身の力が一気に抜けて、床に伏せてしまった。

 

                ◇ ◇ ◇

 

 物事を整理するのは『系』の技術だ。系の技士であるマリアンが、襲撃からこれまでの経緯をシジャン博士に説明した。

 

「なるほど、大変だったわね。私もこの階を見回ったけど、見つからなかったのは運が良かっただけ、ということかしら」

 

 そう言って、シジャン博士は肩ぐらいまで伸びた真っ直ぐの黒髪をかき上げた。

 マリアンに紹介された俺は、扉に向けていたクロスボウを下ろし、シジャン博士の前に進み出た。

 

 チトセ・シジャン博士は、リリと同じく、水着をベースにした格好をしていた。紺のビキニ、腰には黒のパレオ、肩には青の絹のストールだ。

 同じ都市出身のリリと比べると、あまり日に焼けてはいないようだった。とはいえ、マリアンほどには色白くもない。俺と同じ黄色人種系だろう。それより、非常に均整の取れたプロポーションで、女の水着姿にそこまで慣れていない身としては目のやり場に困る。

 少し目尻の下がった顔立ちは、こんな状況でなくても憂いを抱えているように感じる。歳は30過ぎと聞いているが、肌の艶も顔立ちも20代で通じそうだ。まあ、見た目がどうだろうと、博士としては最年少に近い年齢だというのは確かだ。

 

 その博士の証となる金バッジは胸元についている。そのバッジには、広い分野の技術を修めた博士の象徴として、神殿、日時計、滑車の三つの技術のシンボルが小さく彫り込まれている。技手、技士を超える、技術者の最高の称号だ。

 技手は、要は技術の公的資格だ。試験である程度の成績を修めれば誰でもなれる。まあ、その『ある程度の成績』というのが大変で、それなりの適性、才能、努力が必要だけれども。

 技士は非常勤の技術官吏といったところだ。複数の分野の技手の資格を持っていて、論文実績、研究開発実績を認められると技術省へ推薦してもらえる。毎年第10週には、新たに技士となった者の簡単なインタビュー記事が全国紙に載り、その力にふさわしい公的な義務と特権が与えられる。

 そして、博士になるには、三つ以上の分野の技士の称号を持ち、なおかつ特に優れた論文実績、研究開発実績をあげるのが条件だ。

 博士は10万人の都市に一人か二人いればいい方だ。当然、立場も相応のものになる。

 

「あらためて初めまして、私がチトセ・シジャン。家族名シジャンは『石』の『匠』と書くわ。

 ヤマル・エギン技士、私の赤紙任務を受けてくれて、ありがとう……

 正直、待ちかねました」

 

 口調やその意味以上に感じる言葉の鋭さに驚きつつ、俺は深々と頭を下げた。

 若く見えても、この都市を統べる評議会の特別委員にして博士だ。さすがに威圧感がある。

 

「到着が遅れ、申し訳ありません。さっそくですが、先ほどの話の続き。キブノの襲撃と自分らが受けた赤紙任務、関係があるようですが」

「そうね。こんな状況だけど……いや、こんな状況だからこそ、その赤紙任務について、あなたたちに見せて、伝えなくてはならないことがあるの」

「と、言いますと?」

「コーカワ技士、エギン技士、ヤヴォルスキー技士の順についてきて。ヤヴォルスキー技士はその銃で後ろを警戒してね」

 

 と言うと、シジャン博士は身を翻して部屋を出ていった。

 

「え、ちょっと……」

 

 無防備なシジャン博士の振る舞いに、リリも驚いたようだ。が、シジャン博士の話しぶりからして、言われたとおりついていくしかなさそうだ。

 

 


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