その2
「分かった。シジャン博士をどうするかは俺が決めさせてもらう。
物のついで、ということもある」
「ヤマル?」
横たわったシジャン博士のそばにしゃがみ、懐に入れておいた培養液タンクを取り出す。残念ながら、これがあっても俺の体は元に戻らない。だが最後に一仕事してくれる。
『安全ロック完全無効。警告を無視。強制解除』
開いた口から培養液を彼女の両手の指の先に注ぐ。培養液は皮膚にどんどん吸い取られ、そこから肉が膨れあがった。彼女の手は水かきのない蛙の手のようになった。
警告通り、培養液には細胞組織を融解する作用がある。指紋はたとえ皮膚を切り取っても元通りになるが、このように、指の肉ごと形が変われば話は別だ。
彼女の足先にも培養液をかけると、サンダルからのぞいていた足の指は、一つにくっついたようになってしまった。
続いて、シジャン博士の胸元にある博士の金バッジをちぎり取り、腰のベルトポケットにささっていた彼女の身分証明書を取り出した。
その二つを海に向かって放り投げる。
「シジャン博士は、技術者の頂点として人々を導く立場にありながら、人類が技術を獲得する過程を無視し、結果を求め、多くの犠牲を招いた。その全てを本当に知っているのは自分らだけだ。
自分ら以外の人間によってシジャン博士が『正しく』裁かれることはないだろう。
だから、事実を知る技術者の一人として、自分が処罰する。
チトセ・シジャンに博士の資格はないと断定できる以上、博士の証となる彼女の指紋と身分証明書は自分が処分すべきだろう。
しかし――」
残った培養液の中身を、俺の手の先、足の先へと順にぶちまけた。
意外とたいした痛みはない。が、シジャン博士と同じく、培養液に触れた箇所が膨れあがった。
「ヤマル! なにを――」
カエルのようになった手の指先で、襟元の計の技士の銀バッジをちぎり取り、懐の身分証明書を取り出す。そして、沈んでいくシジャン博士の証を追うように、海へ放り投げた。
銀のバッジは小さな水柱を上げて沈み、身分証明書は波に揺られ、飲まれていった。
「――計の技士の資格がないのは自分も同じこと。自分は、間違った計り方で人を騙した人間だ。物事を正しく計ることができなかった人間だ。
だから、これ以上、罪を計ることはできないし、するつもりもない」
長い沈黙の後、リリが口を開いた。
「シジャン博士……いや、チトセ・シジャンはどうする?」
「自分の知ったことではない。彼女が野垂れ死のうが、再び技術を人のために役立て、別の名で博士に返り咲こうが、全ては彼女自身の意志と行動の結果次第だ」
「このまま、放っておくってことかよ?」
「彼女のやったことの後始末だけは済ませる」
再びコンテナに歩み寄り、手を触れて扉を開き、空になった培養液タンクを放り入れる。扉を閉め、その手はコンテナに触れたまま、次の命令を下す。
『指定座標へ自動移動、以後、自動分解モードへ』
コンテナからすさまじい噴射が起きたので慌てて離れる。コンテナは浜辺を離れ、海中に沈みながら沖の方へ消えていった。
あのコンテナは、大洋の真ん中に移動したのち、これまで地球上に降りてきたコンテナのほとんどと同じく、分子レベルでバラバラになることだろう。
これで、シジャン博士のしでかしたことに対する、俺ができる後始末は済んだ。
振り返ると、二人とも俺をじっと見つめていた。
「そういうわけだ。期待に応えられなくて済まないが、この後のことは二人に任せる」
「ヤマル、おぬしはこれからどうするつもりじゃ」
「チトセ・シジャンと立場は同じだ。君たちに許してもらえるなら……自分は、技術者として罪を償う」
声高く、宣言する。
「今度は、正しくメートル原器を再現する。そして、正しく宇宙へ行く」
「『正しい』メートル原器ではなく、か」
「その通りだ」
しゃがんだ姿勢の極光甲冑の背中にある『2』と書かれた治療器に触れ、扉を開ける。
そうさ、『正しい』1メートルの長さなんて、この治療器の中に入っている。
「改めてこの地球上に残った資料を集めて調べ、自分がやったことの後始末を付ける。
『205号』の望みに応え、宇宙へ行くのも同じ技術者として義務だとは思うが――それは、自分が技術者としての罪を償ってから、より誤差の少ないことを証明したメートル原器を再現してからの仕事だ」
治療器に乗り込み、回れ右。海の水面に反射した、揺れる月光に照らされたマリアンとリリの姿を、目に焼き付けておく。
「最後にお願いだ。ヤマル・エギンを許すにしても、許さないにしても、軍部と技術再現本部に、シジャン博士は、キブノとの戦闘で行方不明になったと必ず報告してくれ。
身分を証明できなかろうが、あの女は油断ならない。繰り返しになるが、後始末だけはきっちりしておく必要がある。
面倒を二人に押しつけることになって、すまない」
「で、おぬしは、その極光甲冑に乗ってどうするつもりじゃ?」
眉をひそめたマリアンが、ずいとにじり寄ってきた。リリも後ろに続く。
「言いたいことは分かるが、脳の機能を補うナノマシンを定期的に充電しないと自分は生きられない。生きるためにだけに、この極光甲冑は使う。それ以外のことには使わない。信じてくれ」
ふう、とリリがため息をついた。
「言い方が悪かったみたいだな、マリアン。ヤマル、聞きたいのは残されるあたしたちのことなんだが」
「ああ、そのことも面倒をかけることになるな。すまない。
そろそろ夜が明ける。朝になれば、陸で野犬や盗賊に襲われる心配もなくなるだろう。向こうの内陸側にある街道を西に丸1日も歩けば都市連邦に所属する村に着くはずだ。
女性二人きりにするのは心苦しいが、朝になる前に極光甲冑を人目のつかない場所に移動する必要があるんだ。分かってくれ」
「そういう意味でもないんじゃがのう――リリ、おぬしはどうする」
「おまえさんと一緒だと思うよ」
そう言うとリリは肩を揺すって笑った。
「というわけじゃ。ヤマル、わしも、いや、わしらも宇宙に行くぞ」
「どこまであたしの技術が通用するか分からないけど――いや、たとえ力が足りなくても、宇宙へ行くため、新たな技術を身につけるつもりだ。足をひっぱらないよう頑張るよ。
あ、もちろん、おまえさんの『メートル原器』の再現も手伝うつもりだ」
大きく深呼吸するしかなかった。
「一緒に行けるわけがないだろう!
自分はいまや軍を脱走し、技士の公益勤労義務をも放棄した人間だ。協力したと分かれば、君たちにも厳しい処罰が待っているぞ」
「205号の望みを叶えなくてはならぬのは、わしもリリも一緒じゃ。
それに、おぬしが技士であることを捨てたとしても、どうにかして、わしらや他の技士の力を借りるべきじゃ。
人類の歴史を変える大事業、一人で成すというのはありえぬ。いつかはこの地球に住む人類に、宇宙へ行くことを説明し、協力し合う『過程』が必要じゃろ」
「大丈夫、いざ捕まったら、シジャン博士の身柄を盾にあんたに脅されてた、ってことにするからさ、そんならいいだろ。もちろん、あとから助けにいってやるから」
「マリアン、リリ――」
二人が治療器に乗り込んできた。マリアンが胸元から背中に、その後ろからリリが首に、腕を回してきた。がっちりと俺を抱きしめていて、力一杯でもふりほどけるかどうか。
「分かった、分かったよ」
確かに――俺一人の力だけで宇宙へ行くって過程はあり得ないだろう。そして、この二人以上にふさわしい最初の仲間なんて居ない。
「じゃ、さっさとここを出よう。朝になる前に海中に隠れないとまずい」
「了解じゃ。海に潜ったら、まずは技術再現本部の事務局がある近くの街を目指そうぞ。早々にシジャン博士――とヤマルを死亡扱いにしなくてはのう」
「それを済ませてからが、あたしたちの旅の本当の出発というわけか。マリアン、頼む」
こほん、とマリアンは咳払いをすると、強く俺にしがみついてきた。リリが、さらに体を押し込んでくる。ワイングラスを弾く音とともに、治療器の扉が閉まった。
『起動! 自動装填開始!』
治療器の内壁が膨らみ、三人の体が一つになるかのように固定された。俺たちの極光甲冑は、旅の出発地点へ向かうエネルギーを充填するため、海へ向かって歩み出した。




