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その2

 遠くから断続的な破裂音が聞こえた。間違いない。銃を連射する音だ。

 卵の腐ったような臭いと鉄の濡れた臭いが入り交じり、鼻の奥を焼いているかのようだ。

 目を開くと、石造りの天井が見える。体が重い。目は動く。

 起きないと……ん! 背中が……

 

「お、気づいたか、ちょうどよかった」

 

 女の声がした方を向いた。まだ視界がちょっとぼやけている。

 

「大丈夫か、動けるか。動けるなら立って歩いてくれ」

 

 頭を振りながら、何とか上半身を起こす。声のした方を見ると、そこには二人の女が片膝立ちになってこちらを見ていた。

 

 一人は、よく見たら女というより、線の細い少女だった。つやの良い金髪は後ろで二つに束ねられている。レースと革をあちこちにあしらった20世紀のゴシック・ファッションのワンピースは、ダークレッドを基調としていて、肌の白さと対照的だった。

 顔を見やると、体つきや服装に反して、表情や目つきは大人びている。はっきりとした目鼻立ち、少しつり上がったの目の端、上品に生えそろった睫毛がそう感じる理由だろうか。澄んだ青い瞳も印象的だ。

 歳がいくつだろうと、この子には可愛いというより、美しいという形容がぴったりだ。

 そのゴシック・ファッションの少女と目が合う。戸惑ったような表情だ。慌てて、隣の女性に視線を移す。

 

 こっちは誰がどう見たって『大人』の女性だ。なんというか、ビキニ水着の上から布をまとっただけのような格好で、あちこちから艶めかしい褐色の肌がのぞいている。腰から下は、パレオとかいったか、布を巻いただけのドレスで、その端からは肉感的な太ももとふくらはぎが見えている。上も、肩掛けのようなものを羽織ってはいるが、それでも形がわかってしまうほど迫力のある胸がこちらを向いている。

 顔色をうかがうと、大きな濃緑の瞳がこちらをじっと見ていた。大人すぎる体つきと比べると、ちょっと童顔かもしれない。

 その美女がほっとした様子でうなずき、くせのある銀髪をかき上げた。飾り紐であちこちまとめられた髪の束が、肩に落ちる。

 

「なんとか意識は戻ったみたいだな。

 突然で悪いけど、あんた、何か武器はないか?」

「武器? 測量用の目印を飛ばせるクロスボウなら持っていたんだが……」

 

 金髪ゴシック美少女の方も口を開く。

 

「おぬしの鞄は持ってきた。背中の方に置いてあるのがそれじゃ」

 

 おぬし? 俺のことか。

 

「あ、すまぬ、わしの日本語は訛りがひどくてのう。意味は分かったかの?」

「失礼。大丈夫だ。自分は問題ない」

 

 俺だって日本語のレベルは似たようなものだ。

 何とか立ち上がり、鞄を起こしてロックを外し、服や下着類をかき出すと、小ぶりのクロスボウがでてきた。どこか壊れた様子はない。さすがイヌバ社の鉄板入り旅行鞄だ。

 無言のままクロスボウと、同じく鞄に入れておいた矢筒を取り出す。念のため持ってきた狩猟用の矢をつがえ、レバーを起こして弦を引き絞った。

 

 言われるがままに武器の準備をしたけど、ここはどこなんだっけか。

 床、壁、天井は総コンクリートで、扉の向かいの壁には小さなガラス窓が並んでいる。その窓からは空しか見えない。高い建物の上の方の階にいるんだろうか。

 部屋の角それぞれには天井まで届いたロッカーが備え付けられていた。ロッカーの高さは目測で4メートル。天井には一つだけランプがぶら下がっている。

 こんなに高い天井の建物ってことは、さっき外で見た技術再現本部の中か。ということは、当然、この中にいるのは全員非戦闘員のはずだ。

 

「武器が必要ということは、黙って手を挙げて投降するわけにはいかないのか」

 

 銀髪褐色肌の美女がうなずいた。

 

「なぜだ。非戦闘員の市民まで襲われているのか」

「たぶん。この建物の中に兵士はいないはずなのに、銃の発砲音が時々聞こえる」

 

 時々――ってことは、手当たり次第に市民を殺して回っているわけでもなさそうだな。やっぱり、武器振り回すより、何とかやり過ごした方がまだ助かりそうだ。

 

「あと、降参するにはもう遅い。背中のテーブルの下を覗いてみろ」

 

 後ろを振り向いたが、テーブルの足が板状になっているせいで、こちらからはその下に何があるのかは見えない。立ち上がって、改めてのぞき込んでみる。

 

『こういうことかよ。やっちまったな』

 

 思わず汎ユーロ語でつぶやいてしまった。

 

 完全武装の兵士が一人、床に転がっている。喉の半分がえぐり取られたように無くなっていて、そこから溢れた血が机の下の暗がりに溜まっていた。机の外に血だまりが溢れてはまずいと思ったのか、拭き取った形跡がある。

 兵士の抱えている銃の弾倉と、ズボンのポケットから白い煙が薄く立ち昇っている。目が覚める直前に嗅いだ臭いの正体はこれか。

 銃本体は20世紀を代表するライフル銃、AK47だ。銃床には『敵国』キブノの紋章が刻印されている。姿格好から、間違いなく本物のキブノ兵だろう。

 

 思わず銀髪褐色肌の美女の方を見返すと、彼女はツルハシ――いや、ウォーピックを掲げてみせた。

 柄の長さは1メートル、20センチほど、刃は両刃合わせて40センチぐらい。こんな武器を持ち歩ける権限があるのか、と思ったら、美女の左肩に『型』の技士であることを表す『滑車』の銀バッジがある。

 どうやらこの銀髪美女は、何らかの戦闘術の動きを『造型』できる、武術型の技士であるらしい。

 

「んっ!」

 

 塩酸を含ませた布で撫でられたような痺れで、思わず飛び上がった。

 

「ん、まだ痛むのか!?」

 

 指を口に当て、静かにするよう合図する。

 体全体をひりつかせるような魔粒子の流れは、扉のある壁の向こうからだ。

 二人はいるはずだ。

 

「魔術を使っている人間が、近づいてきている」

 

 こんな中、のんきに歩き回っている一般人はいないだろう。言葉の意味が分かったのか、二人とも神妙な顔つきになった。

「自分が何とかする。隠れてくれ。いざというときは、使える魔術は遠慮なく使え」

 

 金髪ゴシック美少女は素直にうなずくと、机の後ろ、板状の脚の影に隠れた。

 銀髪褐色の美女は何か言いたそうにこちらを見ていたが、ため息一つつくと、机の下に潜り込んだ。

 自分が殺した死体と同衾どうきんか。自業自得と言っていいのか分からんけど、度胸あるな。

 二人が隠れたことを確認してから、入り口近くのロッカーを開ける。中のものを少しだけとりだして、不自然にならないように机の上に置き、クロスボウに仕掛けをつけ、ロッカーを閉めた。

 

 やがて、靴底がコンクリートを叩く音が近づいてきた。

 話し声の後、ドアが開けられる。

 飛び込んできた二つの人影の一つが、ライフル銃を俺に向けた。

 俺は黙って、両手をゆっくりと挙げた。

 

『動くな!』

 

 汎ユーロ語だ。構えたライフル銃には湾曲した形状の弾倉が差してある。そこを中心に飛び散った魔粒子が俺の神経を焼いている。

 

『い、命だけは助けてくれ』

 

 思わず後ずさりしそうになる。演技でも何でも無く、これ以上近づかれると魔粒子過敏症で立ってられなくなるかもしれない。

 

『ずいぶん流暢りゅうちょうな汎ユーロ語だな。この都市の人間じゃねえのか』

『研究資料を複製するため、北方からこっちに来たばかりなんだ。お、俺はこの都市には無関係の人間だ』

『ふーん、確かにな。ここらへんは暑いのに、ずいぶんと厚着だしな』

 

 そう言ったのはもう一人の兵士だ。なかなかめざとい奴だ。もっとも、机の下の死体と銃から立ち上る煙の臭いには気づいていないらしい。

 

『着いた途端に銃撃戦があったから、慌ててここまで逃げてきただけなんだ』

『それじゃ、お前、逃げる途中で、この女たちを見なかったか』

 

 兵士が俺の目の前に紙切れを二つ突きだしてきた。

 見たところ、身分証明用の写真だ。真っ正面、胸から上が写っている。

 そして――顔をしかめることでごまかすしかなかった。

 まさに、金髪ゴシックの美少女と、銀髪褐色肌の美女の顔が、それぞれ写っていた。

 

『――1階の階段を上るとき、その金髪の娘と同じ背格好の奴とすれ違ったような気がするが……顔はちゃんと見てない。

 日に焼けた女の方は知らない。というか、この都市は日に焼けた奴が多いから、見かけたとしても、区別がつかん』

『そうか』

 

 兵士は特に感情を表わすこともなく写真を懐にしまう。机の下をのぞき込んだり、部屋の奥に行って確認する様子はまだないが、すぐにその時は来る。

 二人が探されている事情はさっぱり分からないが、やるしかないようだ。

 

 俺の背中のロッカーがガタリと鳴った。

 

『おい! ロッカーの中を見せてみろ』

『え、お、俺はなにも』

『いいから開けろっ! 少しでも変な動きをしたら撃つ!』

 

 兵士二人は一斉に銃を構えた。

 ふん、運がいいな。二人ともこっちを向くなんて。

 俺はゆっくりと体の向きを変え、兵士に背中を向けた。足下に目をやると、天井のランプに照らされ、兵士の影が伸びている。

 最も近くに立つ兵士へ、背中ごしに狙いを定めていく。

 

 影の角度。

 向き合っていたときに測った兵士の背の高さ。

 自分の立っている位置。

 

 頭の中に思い浮かべた部屋の立体構造に、想像上の線を引っ張って計測する。

 右手でロッカーの扉の取っ手に手をかけ、体をほんの少し、左に寄せる。10センチばかり扉を開け、取っ手をつかむ。

 

『最後まで開けろ』

 

 影の動きを見る。兵士達は俺とロッカーに狙いを定めているため、頭を動かさなくなっている。

 俺は右手の極細ピアノ線をグッと引っ張った。

 金属がこすれた音と同時、俺の首の皮膚が射出物に削られた。

「ぐっ!」背中からくぐもった声があがると同時、

「ぐああああうわぁああ!!」わざとらしく自分も首を押さえて倒れ込む。

 

 これでもう一人も近寄ってくれれば――あっ!?

 

「がぁっ!?」

 

 半身に熱湯を浴びせられたような感覚と共に、部屋に光が満ちた。

 

『なに!?』

「リリッ!」

 

 兵士の驚きの声と甲高い声が重なった。靴音・破砕音・金属音、そして体がコンクリートにぶつかる鈍い音が続け様にあがる。

 

 そして、静かになった。

 動く半身を使って、何とか仰向けに姿勢を変え、音がした壁の方を見た。

 

 兵士が、壁に寄りかかりながら崩れ落ち、床に転がった。喉の半分はえぐり取られたように穴が空いていて、血があふれ出している。机の下にあった死体と同じだ。

 

「すまぬ、魔術を使ったが、体は大丈夫か!」

「大丈夫なわけないだろ」

 

 そう言った銀髪褐色肌の美女は、血のついたピッケルを壁に立てかけ、顔やサンダルについた血をショールで拭っている。

 

「しっかりしろ、今から起こしてやる。呼吸はできてるか」

「大丈夫だ……声も出る。自分で立てる」

 

 どうやら、金髪ゴシック美少女の使った魔術は瞬間的にしか魔粒子に影響しないものらしく、痺れはどんどんひいていった。

 

「ほんとか? ほら、立ってくれ」

 

 肩を担がれ、身を起こされる。残念ながらというか、銀髪褐色肌美女の体の柔らかさを味わえるほど感覚は戻っていない。だが、足は動くし、歩ける。

 

「ありがとう。それより、兵士が君たち二人の写真を持っていた。思い当たる節は?」

「無い……と言いたいところじゃが、一つだけあるのう」

「ちょっ、もうここで話してる暇はないよ。さすがにこれはごまかせないだろ」

 

 まったくだ。ひとことで言って、完全に血の海だ。死体を片付けても無駄だ。

 最初に俺が斃した兵士の銃の弾倉やズボンのポケットから、煙が立ち昇り始めた。さっきも嗅いだ、卵の腐ったような臭いが鼻を刺した。

 

「動いた方がよいのは確かじゃな。じゃが、少しは時間を稼ごうぞ。

 この印、おそらくは『確認中』という意味じゃろうが、書き換えてしまおう。

 兵士がチョークを持っているはずじゃ。探してくれんかのう」

 

 金髪ゴシック美少女が指さした先、扉の足下には、丸印と何らかの意味がこめられた模様がチョークで小さく書いてあった。言われたとおり、死んだ兵士の懐を漁ってみると、確かにチョークが出てきた。

 

「よし『確認済み』に書き換えておくぞ」

「ここに書いてあるのは『確認中』と言ったな。『確認済み』の記号も知っているのか」

「いいや。知識と経験に基づく推測じゃ」

 

 金髪ゴシック美少女は、得意げに自分の襟元を指でつついた。そこには『神殿』のシンボルが彫られた銀のバッジ、『系』の技士である印がついていた。

 え、技士? その歳で? いや、俺もかなり若い方だから人のことは言えないが。

 

「済んだか? 早く動こうよ」

「賛成じゃ。同じ印がついている別の部屋を探そうぞ」

 金髪ゴシック美少女と銀髪褐色肌の美女がさっさと部屋から出て行った。

 

「二人とも、行動早いのはいいが不用心だぞ。血糊の足跡がついているぞ!」

「これくらい大丈夫じゃろ、土の汚れと区別はつかぬ」

 

 そう言い残して引き返してこなかった。やれやれ。

 俺は、ロッカーから仕掛けたクロスボウ、鞄から矢筒を回収した。部屋を出ると、二人が残した血の足跡を手早く拭きとりながら後を追った。

 


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