42,行彦の香りと今夜ここに泊まることと「ママに電話する」こと
二人は、狭いベッドの上で、裸の体を寄せ合うようにして横たわっている。疲れて眠ってしまったのか、彼は、目を閉じたまま動かない。
伸は、その襟足の辺りに顔を寄せて、甘くさわやかな香りを吸い込む。あの頃と同じ、大好きな香りだ。
柔らかい髪に、そっと指先で触れていると、彼が目を開けた。
「ごめん。起こしちゃった?」
「うぅん」
彼は、目をこすりがら微笑む。
じっと見つめられ、間が持たなくなって言った。
「ねぇ、この香り」
「あぁ、シャンプーの香り?」
「あの頃と同じだね」
「うん。外国のブランドのシャンプーだよ。セレクトショップで見つけて香りをかいだとき、なんだか、すごく懐かしい気持ちになって、買って帰って、それ以来、ずっと使っている。
今日、思い出したけど、洋館でも、同じものをずっと使っていたんだ。お母さんが気に入っていて」
「そうだったのか……」
伸は、彼の髪に顔をうずめる。
「行彦の香りだ」
彼が、首をすくめながら笑い声を上げる。
「くすぐったいよ」
「行彦」
背中に手を当てて抱き寄せると、彼は素直に、伸の腕の中に収まった。
「伸くん、すごく素敵だったよ。あの頃と同じだった」
「行彦も」
そうやって裸のまま抱き合っていると、再び妖しい気分になって来る。だが伸は、ぐっとこらえて言った。
「時間は大丈夫?」
「大丈夫だよ」
彼は、時計を見もせずに言うが、すでに日付が変わっている。
「でも、お母さんが心配する」
「ママは、まだ帰っていないよ。ナイトクラブを経営しているから」
「そうなのか。何時頃に帰って来るの?」
「明け方くらいかな」
伸は、彼の背中に置いていた腕を外して起き上がる。
「タクシーを呼ぶよ。今日のところは、もう帰ったほうがいい」
彼は、横たわったまま、白けたように伸を見上げる。すべてをさらけ出した華奢な体がなまめかしいが、今は、あえて目をそらす。
彼の目が、何か言いたげだが、わざとはぐらかして言った。
「帰る前に、シャワー浴びる?」
だが彼は、勢いよく起き上がると、伸に抱きついて来た。
「おい……」
無下に振り払うことも出来ず、戸惑っている伸を抱きしめたまま、彼は、事もなげに言った。
「今夜は、ここに泊まる」
「駄目だよ!」
「どうして?」
「お母さんが帰って来たとき、行、いや、君がいなかったら心配するだろ」
「じゃあ、今からママに電話するよ」
「えっ?」
状況が飲み込めずにいるうちに、彼は、ベッドの下に脱ぎ捨てた服の中から、スマートフォンを拾い上げて、何度かタップした後、耳に当てた。
「おい、ちょっと」
伸を無視して、彼は、裸のままベッドに腰かける。
「……あ、ママ? 急にごめん。今日は、よそに泊まるよ。……うん? 恋人の家だよ。……うん、そう。……うん、わかった。……じゃあね」
電話を切り、体をひねって伸の顔を見た彼は、にっこり笑って言った。
「これでいいでしょう?」
「いいのか? あんなこと言って」
「あんなことって?」
そう言いながら、両足をベッドの上に引き上げて、再び、伸の横にぴたりと寄り添う。
「だから、恋人の家に泊まるなんて……」
「いいんだよ。ママはいつも、恋人が出来たら教えなさいって言っていた。でも僕は、一度も恋をしたことがなかったから、今日、やっと報告することが出来てうれしい」
「だけど、いきなり泊るとか、それに……」
相手は男で、しかも親子と言ってもいいくらい年が離れているのだ。
「ママは、僕のことを信じてくれているし、いつも、あなたが本気で好きになった人なら、ママは何も言わないから、責任を持って付き合いなさいって言っているよ」
「でも、多分こういうことは想定していないんじゃないかな。まさか、かわいい息子の恋人が、おじさんだとは……」
「伸くんは、おじさんじゃないったら。それに、ママのお店にはトランスジェンダーの人もいるし、友達にゲイバーのママもいるし、ママは、そういうことは気にしないよ」