106,涙が出そうになることととても幸せなことと青い顔の伸
だが、潤子は言う。
「あらそう? 私は、そんなふうに思わなかったわよ」
「はぁ……」
「あなたでよかったわ」
三秒ほど固まった後で、有希は聞き返した。
「えっ!?」
それはいったい、どういう……。
潤子は、伸とよく似た穏やかな表情で話し始める。
「伸は、とても真面目だし、優しい子だけど、誰とも親しく付き合おうとしないし、贅沢することも遊ぶこともないし、どこか人生を諦めているようなところがあって、ずっと心配していたの。
この先もずっと一人で、いつか私が死んでしまったら、あの子のことを気にかけてくれる人がいるんだろうかって」
「あ……」
「でも、あなたのような人がいてくれてよかったわ。男の子だし、親子ほども年が離れているし、最初は戸惑ったけど、こうして話してみて、伸があなたに惹かれた理由がわかった気がするし、あなたが伸を大切に思ってくれていることもわかったし」
「そんな、ほめ過ぎです」
言いながら、有希はうつむく。うれしいのと、伸を思う潤子の気持ちに胸を打たれたのとで、涙が出そうで、潤子の顔を見られない。
「有希くん?」
声をかけられ、なんとか涙を押しとどめて顔を上げると、潤子が言った。
「食べてる途中でごめんなさいね。どうぞ召し上がって」
「……はい」
その日の夜、伸と電話で話をした。
「えっ、店に行ったの?」
有希が、アンジェールにビーフシチューを食べに行ったと言うと、伸が驚いたように言った。
「相変わらず、すごい行動力だね」
「へへっ、そうだよ。だって、伸くんのビーフシチューと潤子さんのビーフシチューを食べ比べてみたかったんだもん」
「潤子さんって……」
「そう呼ぶことにしたんだよ。潤子さんが、それでいいって。だって、僕が『お母さん』って言うのはおかしいでしょう?」
「それはそうかもしれないけど……」
「それでね、どっちもすごくおいしかったし、よく似ていて、結局、味の違いはよくわからなかった」
伸が笑い声を上げる。
「そうか」
有希は、さらに言いつのる。
「それでね、潤子さんはすごく優しいし、伸くんと似てるし、僕は伸くんも潤子さんも大好き。だから、これからもずっとずっと一緒にいたいな」
「そうか。ありがとう。今、すごく幸せだ」
「伸くん……」
自分は伸のことが大好きで、その伸とは、この上なくうまくいっているし、伸の母にも二人の仲を認めてもらうことが出来た。伸がそうであるように、伸の母も優しく穏やかで、とても素敵な人だ。
伸がそう言ったように、自分も今、とても幸せだ。この幸せは、ずっと長く続くに違いない。
そう思っていたのだが。
次の日曜日、お泊りセットを持っていそいそと部屋に行くと、伸が青い顔をしていた。有希は、部屋に上がりながら尋ねる。
「伸くん。どうかした? 具合が悪いの?」
だが伸は、いつものように有希のデイパックを受け取り、棚に置きながら言う。
「そうじゃないよ」
次の言葉を待つが、伸は、なかなか口を開かない。
「伸くん?」
「あぁ、ごめん」
伸は食卓の椅子を引くと、疲れたように腰を下ろした。
「実はね、まだ先のことなんだけど、フォレストランドが営業を終了することになって」
もともと地域振興のために造られたというフォレストランドだが、以前はともかく、有希が知る限りでは、お世辞にもにぎわっているとは言い難い。最近では、休日でも人はまばらだ。
有希も、向かいの椅子に腰かけながら尋ねる。
「閉園しちゃうってこと? それって、いつなの?」
「一応、来年の春までっていうことになっている」
「それなら、まだずいぶん先だね」
伸と出会ったフォレストランドがなくなってしまうのは寂しいが、まだ時間があるし、伸の真面目さと料理の腕があれば、再就職に困ることはないだろう。
だが伸は、テーブルに視線を落としたまま言った。
「ユウには話したかな。レストランが建っているのは、洋館が建っていた、まさにその場所なんだ」




