きつね達の謀
ダリス・カレンベルク辺境伯は自身に宛がわれている客室へと戻ると、全ての使用人を部屋から下がらせた。そのまま備え付けのソファへと乱雑に腰を下ろすと、短く溜息を吐く。
(まさかあんな場所で偶然会うとはな)
彼にとっても予想外の邂逅ではあったが、接触の機会を伺っていた身としてはむしろ幸運であった。なにせルルアンナを溺愛する皇太子を始め、彼女を慕う者達でいつも周囲が固められている。不自然に思われることなく声をかけるのは容易ではなかった。今日も二人ほど従者はいたようだが、そこは気にするほどでもないだろう。
それよりも、とダリスは彼女との一連のやりとりを思い返す。あの年頃の令嬢としては確かに聡明であり、対応も落ち着いたものであったと言えるだろう。自分のようなはるかに年上で体格もいい男相手にも怯むことはなく、毅然とした姿勢は大したものである。
だが、やはりまだ甘い。教養は学ぶことで身に着けられても、経験だけはどうにもならない。彼女が積み重ねてきた経験など、倍以上の年齢である彼からしてみればお遊びのようなものだ。その証拠に、立場や肩書などを引き合いに出して少し揺さぶってやると動揺を隠しきれていなかった。今日は言質までは取れなかったが、あと何回かつついてやればこちらの提案にもいずれは頷くだろう。
(ネイジアがしてやられたと騒ぐからどんな女かと思っていたが、言うほど狡猾そうにも見えない。少々警戒し過ぎたか…)
やれやれと肩の力を抜いたところで、訪問者を告げるベルの音がした。
「どうぞ」
使用人は下げてしまったので自身が直接声をかけると、開いた扉の向こうから娘のネイジアが姿を見せた。
「お父様、お戻りだと聞きました」
「ネイジアか」
ネイジアはするりと部屋の中に入ると、そのまま父親の向かいのソファへと腰を下ろした。
「殿下は今日も相変わらずのようです。いつもこちらの使いの者を追い返してしまって。そろそろ頑なな態度を解いて下さってもいいのに……」
不満そうに零す娘をダリスはチラリと見やる。
「先ほど、皇太子の婚約者に会ったぞ」
「え、あの性悪女にですか?」
驚いたように声を上げるネイジアにダリスは微かに眉を顰めた。
「誰がどこできいているかも分からない場所だぞ。もう少し口を慎め。……お前が言うほど狡猾で性格が悪い令嬢には見えなかったがな」
「そんなわけありません!きっと身分も権力もあるお父様の前だから猫をかぶっているのです。そもそもお父様が会ったことがあるのは今日の一回だけでしょう?」
「まあ、確かにそうだな。お前の言うことも一理あるが、それほどの相手か?」
「経験豊富なお父様からすればそう思わないのかもしれませんが、とにかく傲慢で性悪で嫌味な女です!周囲の人間は見事に騙されているんですよ。帝都の人間はぬるいですね」
「ふん、そう言ってやるな。辺境で厳しい環境のなか己を磨き続ける我々と、都会でぬくぬくと暮らす平和ボケした連中では比べ物にならんさ」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、ダリスは口元を歪める。それは彼が心の内に秘めている本心だった。
誇り高き戦士である自分達と違い、いつもぬるま湯につかって着飾ることしか能のない中央貴族達のなんと滑稽なことか。ダリスの脳裏の片隅にはいつもそうした考えがあった。
そこに厳しい環境で重い使命を負って暮らす自分達に比べ、平和な場所で煌びやかに不自由なく暮らす他の貴族達への妬みや嫉みがないとは言えなかったが、ダリスは自分のそうした無意識の負の感情には気づかず、自分達こそが正しい高貴な存在で、帝都の貴族は卑しい奴らであると信じて疑わなかった。
国のために不便で厳しい環境に耐え、己を律することのできる自分達こそがこの帝国で本物の貴族なのだ。
「そこらの家門のお飾りのような令嬢に比べれば確かにそこそこの聡明さはあるようだがな。だがその程度だ。いくらでもつけ入る隙はあるだろう。現に僅かだが揺さぶりをかけたら動揺していたようだからな」
「あの女が動揺を?さすがお父様ですね」
呑気に感心している娘の様子に、ダリスは小さくため息を吐いた。確かにネイジアでは、あの令嬢の相手は少々荷が重いだろう。己から見ても腕っぷしは中々だが、頭脳面に関しては未熟な面が目立つ。
「あまり多くは話せなかったが、ちょっとした種は蒔いてきた。次に会った時にその種が芽吹いていたら、たっぷり水を注いでやればいい。それまでは、あまりつついて余計なことをするんじゃないぞ」
「分かっています。散々馬鹿にされたんだもの。お高くとまっているあの女の歪んだ顔が見られると思うと気分がいいわ」
「そう焦ることはないさ。どうせその女の場所はいずれお前のものになるんだからな」
「ふふ、楽しみです」
婚約者であるあの令嬢を動かすことができれば、煮え切らない態度で膠着状態にある皇太子達との一件もまた一歩進めることができるだろう。想定していたよりも少し余計に時間はかかってしまっているが、特に問題はない。
計画に抜かりはないし、自分には『例のモノ』があるのだ。こんな幸運をみすみす見逃してなるものか。
ダリスは楽し気に口元を歪めると、下げた使用人を呼ぶために目の前のベルへと手を伸ばした。
チルルル……と、どこかで鳥の囀る声がする。
瑠璃色の美しい小さな鳥が、近くの木々からひっそりと彼らを見ていた。




