春の感謝祭(1)
春の感謝祭当日。命の季節の訪れを祝うにふさわしい温かな日差しと澄んだ青空が広がっている。
シャレット侯爵家では早朝から皆が忙しなく動き回り、朝特有の静けさを掻き消していた。もちろん貴族の一員としても色々準備があるのだが、一番はルルアンナの準備のためだった。ルルアンナは皇太子の婚約者、ひいては次期皇太子妃として祝典での役目がある。そのため彼女の装いは普通の貴族令嬢達とは一線を画すものとなっていた。
「お化粧の時間がなくなってしまうから早く着付けを終わらせて!」
「アクセサリーもこっちに持ってきておいてくれる?」
「あら、あの飾りはどこに置いたかしら?」
ドレスに着替えているルルアンナの周りを侍女たちが慌ただしくパタパタと動き回っている。賑やかなその様子を横目にルルアンナもアンダーを丁寧に身に着けていく。少し前まではコルセットがほとんどであったが、無理な締め付けはあまり体に良くないということが分かり、コルセットに代わるアンダーと呼ばれるインナーが使われるようになった。体形を補正する下着のようなもので、他国から輸入した伸縮する素材を使って作られており、身に着けると適度にキュッと体が引き締まりスタイルが良く見えるのだ。まだ数が少ない分値段は高価だが、コルセットほど苦しくないうえに体への負担も小さいということで、お金のある高位貴族の女性達などはこぞってアンダーを身に着けるようになった。
「お嬢様は元からスタイルが良いですから、アンダーを身に着けると少し細すぎるくらいですね」
手伝っていた侍女の一人がぽつりと零すと、周りの者達も同じように頷く。
「そうかしら?これでもコルセット時代よりは食べられるようになったのよ。前は苦しくていくらも入らなかったもの」
侍女の指摘に、ドレスに腕を通しながらルルアンナは自分の体を見下ろす。フェリオルドの隣に並ぶものとして、緩んだだらしのない体形など論外である。肌のお手入れだけでなく美しいプロポーションを維持するためにルルアンナは欠かさず努力してきたし、現在も日々自分の容姿を磨くことに関しては手を抜いていない。
白く滑らかな肌の上をドレスの上質な布地が覆っていき、侍女たちの手によって素早く、しかし丁寧に着付けられていく。
先日ようやく届いた例のドレスは非常に素晴らしいものだった。幾重にも重なったドレスのスカート部分には絶妙な配置で大粒のパールが散りばめられ、裾が揺れるたびにキラリと美しい光を放つ。袖やスカートの縁、胸元を飾る白銀のレースは透け感があり主張しすぎないが淡い光を帯びていて、動きに合わせて繊細な煌めきの残像を残した。上品で落ち着いたラベンダーカラーが華やかかつ神聖な印象になり、文句なく最高の一着に仕上がっていたのだ。
「こんなに素敵なドレスに仕立ててくれて、ローズには今度お礼を言っておかなければね」
「ええ、本当に素晴らしいドレスです。しかしルルアンナ様の美しさを引き立てるならばこれくらいのものでなくては」
アクセサリーを準備していたミレットが当然とばかりに言った言葉に、身内贔屓が過ぎると苦笑する。しかし今日のルルアンナは誰よりも華やかで目を引く存在になる必要があるので、そのくらいの気概で臨まなければならない。
「ではまずこちらのネックレスをお付けいたしますね」
ルルアンナの背後に回ったミレットが首元へとあてがったのは、花の形を模したホワイトオパールがいくつも連なったネックレスだった。中央から両側に向かって徐々にモチーフの花が小さくなるデザインで、虹色の輝きを帯びた乳白色の花びらが優美な雰囲気を醸し出している。ドレスの真珠やレースとも見事に調和しており、ルルアンナの持つやわらかで清純な雰囲気を最大限に引き出している。
「次はこちらのイヤリングです」
そう言ってミレットが手にしたものを見て、ルルアンナの口元が思わずといったように綻ぶ。そのイヤリングは少し前にフェリオルドから贈られたものだった。本人ではなく使いの者が持ってきたものだが、ルルアンナはその気持ちが嬉しかった。
ぜひ感謝祭で身に付けてほしいと手紙が添えられており、美しい装飾の箱の中にはピンクダイヤモンドでできたイヤリングが納められていた。通常のダイヤモンドよりも遥かに高価で希少なピンクダイヤモンドをバラの形に加工してあり、その中心部分には青味を帯びたムーンストーンが埋め込まれている。大きさやデザインは存在感があるが、主張しすぎない色合いはどんなドレスとも合いそうで、フェリオルドの気遣いが感じられた。
ミレットが大切なものを扱うようにそっとルルアンナの耳にイヤリングを付ける。優しいピンクの淡い輝きは彼女のプラチナブロンドによく似合っていた。
「ルルアンナ様、とても素敵です。まさに花の女神アプロディアの名にふさわしいお姿です」
「本当に美しいですわ。他のご令嬢の方々に申し訳ないくらいですね」
侍女たちはルルアンナをうっとりと見つめ、口々にドレスアップした姿を称賛した。出来栄えを鏡で確認したルルアンナも満足げに微笑む。
ミレットが口にした花の女神アプロディアとは、帝国に伝わる美と豊穣を司る女神のことだ。春の感謝祭は別名『華の舞踏会』とも言われ、皇太子が主催するこの行事で次期皇太子妃となるルルアンナは女神アプロディアの化身として華々しく身を飾り挨拶をする。そして感謝祭中は花を配って回る孤児院の子供達や選ばれた数人の令嬢達に混ざって、同じように花を配るのだ。ルルアンナの配る花は特別仕様になっており、この花を手にすることができたものは幸せな一年を過ごすことができると言われている。ただし誰に限られた花を配るかはルルアンナ次第である。
「ふふ、今年もたくさんの人を笑顔にできるようにお役目はしっかり果たさないとね」
「きっと最高の感謝祭になりますよ」
最後に両手首にゴールドでできた二連のブレスレットをはめれば、着付けに関しては終了だ。
「祝典でかぶる花冠は壊れるといけませんし、向こうに着いてからでよろしいですか?」
「ええ、移動中は邪魔になってしまうしそうしてちょうだい」
今度は丁寧かつ迅速にルルアンナの顔に化粧が施されていく。しかし元が良いと濃い化粧は必要ないとの侍女たちの言葉により、感謝祭だろうがいつも通りルルアンナの化粧は控えめだ。ほんの少し頬の血色を良くし、唇を艶やかな桜色に仕上げ、目元に僅かにラメを散りばめれば、それだけでルルアンナの顔は目を奪われるほどの美しさだった。
「お疲れ様でございました。これでご支度は終了です」
「ありがとう。最高の装いになったわ」
そう言って微笑むルルアンナは身内の贔屓目がなくとも本当に女神のようだった。部屋まで迎えに来たフィニアンなど一目見た瞬間から賛辞が止まらない。今も天使だ女神だ妖精だと思いつく限りの言葉を並べている。
「お兄様、さすがにそろそろ恥ずかしいわ」
「ごめんよ。でも本当のことだから仕方ない。この美しさを前にして褒めないなんて罪だ」
相変わらずのシスコン具合には苦笑するしかない。
「でも本当に綺麗よ、ルルアンナ。さすが私たちの娘ね」
「ああ、立派な姿だ。見た目だけでなく内面も美しく育ったお前は我が家の誇りだ」
兄だけでなく両親からもおおいに褒められ、さすがのルルアンナも嬉しさと恥ずかしさで顔が赤くなった。
彼らのやりとりを微笑ましそうに見ていたミレットが時計を確認して声をかける。
「お嬢様、そろそろ出発のお時間です」
「分かったわ」
ルルアンナは改めてケイオスとサラディアに向き直った。
「それではお父様、お母様、行ってまいります」
「ああ、しっかりと務めを果たしてきなさい」
「祝典には私達も行きますから、皆で見守っていますからね」
こくりと頷いて、ルルアンナはフィニアンにエスコートされながら馬車へと乗り込む。会場である城前の広場までは彼がルルアンナを送り届ける予定なのだ。
最後にミレットも乗り込み、馬車がゆっくりと動き出す。見送る両親と使用人達に一度だけ手を振ってから、ルルアンナは気持ちを切り替えるようにスッと姿勢を正して前を向いた。
多くの人間の思惑が交錯する、波乱の感謝祭が幕を開ける。




