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鏡に呪うよりも  作者: こす森キッド
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鏡に呪うよりも 11.

11.



 街のはずれ、森の中にある洋館、甲田が監禁されていたあの男の自宅まで二人が辿り着く頃には、日が傾き始めていた。

 時間がかかり過ぎると、あっという間に真っ暗闇になってしまうだろう。

 森の入り口から洋館まではやや離れており、陽が出ている時ですら薄暗いこの森の中ではぐれてしまわないよう、乙倉は甲田としっかり手を繋いだまま進んでいった。

 洋館の中に人の気配はないようだった。

 甲田によると、車庫にあったはずの黒い車がなくなっているという。

 男がどこかに出かけているのだろう。

 運の良いことに、玄関の扉に鍵はかかってなかった。

 どう考えても不法侵入なのだが、考えている時間はない、構わず中へ踏み入る。

 まだ、家宅捜索が行われた感じでもない。

 甲田は気が進まない様子だったが、半ば無理やり、雌蕊を置いてきた部屋へと案内させる。

 室内の様子を見た甲田が言うには、今朝ここを出て行った時よりも、家の中の物がゴッソリ減っているという。

 もしかしたら、警察に勘付かれたことに気づき、必要な荷物をまとめて逃げ去ってしまったのかもしれなかった。


 程なく、雌蕊を置いてきたという一室に辿り着く。

 そこは、間取り自体は他の部屋と似たような造りであるものの、置いてある道具一式を見た感じでは、植物栽培のための作業部屋であるようだった。

 今朝部屋を出ていく時にはあった肥料類や汲み置き水などがなくなっているとのことだ。

 そして、その部屋の一番奥、アクリル板で仕切られた大きなラックの中に、栄養液で養生された状態で、甲田の残りの十パーセントは鎮座していた。

 厳密には、甲田自身の意思で置いていった訳ではなく、男が“仲間”を連れてくるまでは預かっておくと言って、甲田から引き抜いたものらしい。

 引き抜かれる瞬間にはとてつもない恐怖を感じたものの、身体から切り離された爪や髪の毛のように、だんだんと情の念が抜けていっている感じがするという。


 ラックを開くと、その中には他にも様々な植物の種やら球根やらが保管されていた。

 ふと、甲田の雌蕊のすぐ横に置いてある、真空パックの袋に目が行った。

 袋一杯に、何やら黄色い粉末がパンパンに詰まっていて、劣化を防ぐためだろう、丁寧に密閉処理が施されていた。

 つい出来心で、乙倉はその内容物について記載されているラベル面を、裏返して見てしまった。

「……!?」

 見なければ良かったと、乙倉は即、裏返し直す。

「どうしたの?」

 甲田が尋ねてくる。

「いや……、大した物じゃなかった。

 ただ、これは見ない方が良い」

 気になる様子の甲田を、良心から乙倉は制する。

 ラベルに書いてあったのは、日付と……、あの男の氏名と『花粉』という二文字だった。

 つまり、中身の黄色い粉末は全て、あの男の体から採取された花粉だった。

 そして、それが甲田の雌蕊のすぐ横に意味ありげに置かれていたという事実……。

 そのことが表す意味に、乙倉は戦慄していた。

 助けを急いで良かったと、心から思う。


 さて、雌蕊を再度身体に取り入れること自体は簡単なことだと言う。

 さっきの花粉のこともあるため、念のため雌蕊自体に変わったところなどないか、甲田に確認させる。

 雌蕊自体に問題はないようだったが、やはり甲田はまだ、元通りの自分に戻ることに気乗りしないようだった。

 というのは、この雌蕊がない状態の方が、甲田としても気持ちが楽だという。

 乙倉も、ここまで甲田の様子を見てきた感じから、その言わんとすることが分かる気がした。


 雌蕊がない状態の甲田は、なんというか、いつもより“軽い”感じなのだ。

 例えば、普段の甲田なら時折考え込んで返事に数拍かかるところでも、軽いノリでポンポンとやり取りが進む。

 悪く言えば、深く考えていない感じがする。

 甲田が高校に入ってからイメチェンによって身につけた性質、それをより濃縮したような感じ。

 サービス精神が旺盛というか、こちらが何かを尋ねたのに対し、自分の内面を晒すことに抵抗がないようだった。

 その点については、究極的に受け身な態度、つまり昔から甲田が持っていた性質をより顕著にしたものでもあった。

 もしかしたら、甲田はこういう自分を理想像としていたのかもしれない。


 しかし、それらは言い換えれば、甲田自身の“芯”が感じられないということでもあった。

 今の甲田と話していると、まるで魂が抜けたような、そういう人間と話している気分になる。

 相手をしていて楽だろうと言われれば、それは否定できない。

 いつもの甲田とやり取りしている時に見られる、考えや不安を巡らせて言い淀む間、自分の好みやこだわりに反するものに露骨に嫌がる態度、内面のプライドの高さが微かに滲んでいる雰囲気、そういった重たさや鈍さ、引っ掛かりなどがないのだ。

 こっちが求めているものをスッと差し出されるような。

 なんというか、引っかかりやストレスを一切感じない。

 甲田が言っていた『自分を捨てる』というのは、そういうことなのだろうか。

 しかし、人間の感覚というのはわがままな物のようで、甲田自身の感情が感じられないこと、そこに酷く寂しさを覚えている自分が、乙倉の中にいるのだった。

 何より、甲田自身は本当にそれでいいのか、と問いたくなる。

 近づいてきた自身の身体に呼応しているのか、ラックの中では雌蕊が、甲田自身の鼓動のパルスを表すかのように明滅し始めた。

 まるで、心電図のような。

 乙倉は、病院の中で見た、自分よりも遥かに重い症状と戦っている他の患者さん達のことを思い出していた。


「調子が悪くなって、身体が植物化し始めて、そんな状況になってもウジウジしているばかりの自分に、いよいよ嫌気が差したんだよ」

 甲田は独り言のように言う。

 イメチェンで克服できたと思っていたコンプレックスと自己嫌悪は、実際は自分の中に横たわったままだった。

 それどころか、上手くいけばいくほど、次はあれが欲しい、これが欲しいと、湧いてくる欲望に際限はなかった。

 それに見合うだけの努力などできていないのに。

 やがて調子が悪くなってきてもなお、誰かに相談する勇気も出せないまま、結局は自分の中に抱え込んだだけだった。

 結局、自分の中の悪い部分は全然変わっていないのだと突きつけられた。

 その事実だけが、自分の手元に残されたような。

 だから、最後まで残った自分の中の嫌いな部分、それを捨てていく良い機会なのだと。

 甲田は、自分の胸の内を淡々と晒け出す。

 それを聞いていて乙倉は、やっぱり寂しいよ、と思っていた。


 どう説得すれば、甲田は考え直してくれるだろう。

 色々考えてみるが、本心には本心で返さないと、今の甲田には響かない気がした。

 ただ、せめて言い方と順番は工夫しようと、乙倉は口を開く。


「俺は、元の甲田に戻ってほしいけどな。

 一応、用意してる理由は二つある。

 一つ目は、多分こう言っても今の甲田は納得しないだろうなっていうやつ。

 もう一つは、割と自信があるやつ」

 少しでも甲田の聞き耳を立たせようと苦心する。

「まず一つ目。

 今の甲田は、昨日今日と色んなことがあり過ぎて、疲れてるだろ?

 しばらく植物化について悩まされていたこともあって、心労が積もってるんだ。

 そういう状態の時に、重要な判断は下さない方がいい。

 まだ高校生で若いんだし、自分の中の嫌いな部分はこれから時間をかけてゆっくり直していけばいい。

 そのままの自分を、受け入れてくれる場所だってきっとどこかにある。

 だから、今のところは元の自分に戻って、家に帰ろう。

 以上。」

 多分、今の甲田が欲している言葉はこういうことじゃないんだろうなと思いながら、自信がない方の理由を挙げた。

 理屈上はおかしくはないはずだが、一般論的というか、当たり障りがないというか。

 自分としても、甲田が晒け出した本心に対して本心で向き合っている感じはしない。

 やはり、甲田にはあまり響いてない様子だった。

 なので、もう片方、理屈も何もあってないような方を甲田に開示する。

「もう一つは……。

 確かに、今の甲田と話してると、すごく楽だなと思う。

 久しぶりに話をするようになったのもあるし、高校に入ってからの甲田はメチャクチャ遠い存在になってしまったって内心思ってたから、最近は結構気を使って話してたってのは、正直ある。

 でも今の甲田とは、確かに気安く話せてるかもしれない。

 それと、これまで甲田と話してるとたまにイラッとさせられることが時々あったけど、今の甲田からはそんな感じはしない。

 あとついでに、さっきマ◯クで身体をくっつけてきたアレは、正直グッときたぞ」

 それを聞くと、それまで大して動揺を見せなかった甲田は、自分からやったことにも関わらず、なんだか恥ずかしそうに俯いていた。

「でも」

 乙倉は、ラックの中の雌蕊の方へ向き直る。

「それでも、お前がいなくなるのは嫌だ。

 寂しい。

 いなくならないでくれ」

 甲田は、目を丸くしていた。


 それを見て、乙倉は言葉を重ねる。

 中学校で卓球部に入った時、こんな可愛くてお淑やかな子と一緒の部活に入れてラッキー!と実は思ってた。

 その時の甲田がいなくなるのは、寂しい。

 実際に友達になってみると、思ってたよりも性格が捻くれてて、プライドが高い感じがいけすかないなと気づいた。

 あの時の甲田がいなくなるのは、寂しい。

 弱小の公立中学なのに顧問がやたら厳しくて、その下で愚痴や文句を言い合いながら、それぞれに頑張って、一緒に駆け抜けられた。

 あの三年間の甲田がいなくなるのは、寂しい。

 高校に入ってから、いつの間にか雰囲気がすごく変わっていて、その変化を初めて見た時に、ドキッとした。

 イメチェンしようと頑張っていた、あの時の甲田がいなくなるのは、寂しい。

 勉強も部活も調子が良さそうで、うだつの上がらない自分からは遠く眩しい存在に変わっていく過程を見ていた。

 あの時の、輝いていた甲田がいなくなるのは、寂しい。

 以前とは全然違う存在に生まれ変わってしまったかと思いきや、久しぶりに話してみると中身は大して変わってなくて、相変わらずだなぁと思ってた。

 スイーツを美味しそうに食べていた、あの時の甲田がいなくなるのは、寂しい。

 だんだん調子がおかしくなっていって、どん底の状態に陥っても、それでもなんとか堪えて、今日まで生き永らえてきてくれた。

 その甲田がいなくなるのは、寂しい。

 不器用すぎて、自分からはっきりとした言葉で助けを求めることは結局できなくて、それでも精一杯、俺にサインを送ろうとしてくれてたのを知ってる。

 その甲田がいなくなるのは、寂しい。

 寂しい!


 自分の気持ちを一通り打ち明けて、その上で、甲田に前を向いてほしいと願って、言葉を続ける。

「俺だって、本当は自分のことが嫌いになったことが、何度もあったよ。

 中学の時はずっと、学校に良い思い出なんかなくて、サボらずに通い続けたのだって、せいぜい大人に怒られるのが嫌だからってぐらいの理由しかなかった。

 高校に入って男子卓球部がなくなっていた時、純粋に自分が好きで打ち込んできたと思っていたものが、実際は周りの環境とか空気とかに合わせた打算のために惰性で続けてただけだったんだって気付いて、ガッカリした。

 高校生活に慣れてきても、勉強も部活もずっとボロボロだった。

 周りには楽をしてる奴らも沢山いるのに、今の自分の頑張りは不毛なんじゃないか、ダサすぎるんじゃないか、そんなふうに何度も思った。

 ……それでも、俺は今の自分が好きだって、自信を持って言える。

 些細な、小さな死を何個も乗り越えてみて気付いた。

 完全に閉じてしまわなければ、また何度でも開き直せるんだって。

 今ならそう思える。

 霧の中からはボンヤリとしか見えない、そんな微かな光だって、それこそが希望なんだって思える。

 大きな山の頂上を目指して突き進んで、躓いて、崖から落っこちてしまったとしても。

 そこで即、力尽きてしまうほど自分は弱くないって、信じられる。

 頂上からの景色も魅力的だけれど、麓の湖やそこに咲く小さな草花みたいな、そんな何気ない景色も、負けないくらい素晴らしいものなんだって、感じられる。

 だから」

 目の前の甲田の手を取って、でも目はラックの中の雌蕊に向けたままで、乙倉は言う。

「どん底のまま、嫌いな自分のまま、なんとか踏ん張ってみてくれ!

 面倒臭いまま、中途半端のまま、生き続けてみてくれ!

 嫌いな自分のまま這い続けて、その先でやっと自分を好きになれた俺に賭けてみてくれ!

 お前と言う人間を、ここで、完全に閉じてしまわないでくれ!」

 ほとんど叫ぶように、甲田に語りかけていた。

 どうか、消えてしまわないでくれ。

 これが、乙倉自身の本心だった。


 どうだろう。

 自分を捨てることを、思いとどまってくれるだろうか。

 甲田の答えをじっと待つ。


 甲田は、考えの読み取りにくい表情で、徐に口を開く。

「……どっちかって言うと最初のやつの方が、言ってることは分かりやすかったかも。

 後のやつは、意味は正直よく分かんなかった」

「えっ!?」

 乙倉は思わずズッコケる。

 折角、一生懸命、言葉にしたのに!

「でも」

 甲田の顔に、見慣れたあのニヤニヤした表情が帰ってきた。

「意味は分かんなかったけど、分かんないまま、深く刺さってきた気がする」

 そう言って、甲田はラックから雌蕊を取り出した。

「今から一旦植物化して、私の花の中に戻すから、終わるまで部屋の外で待ってて」

 良かった。

 思わずその場でしゃがみ込んでしまいそうになるが、頷いて、甲田の気が変わらないうちに部屋の外に出ようと歩き出す。

 甲田に言われなくても、乙倉はその場から一度席を外していたと思う。

 両目に滲む涙を、甲田にからかわれてしまう気がしたから。


 頭のどこかに、一時期好きでよく聴いていた曲、その一節が響いた。


“遠い昔 死んだ星の放った光が 僕の胸に届く”

歌詞の引用元

・堀込高樹(2005).絶交(アルバム『Home Ground』収録曲)

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