3「笑いもの」
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「ごめんね、突然呼び出したりして……」
校舎裏のフェンスを背に、三ヶ峯悠亜はもじもじと指先を合わせていた。
「大丈夫だけど……」
教室で声をかけてきた三ヶ峯は、『ここじゃちょっと……校舎裏に来てもらえる、かな?』と、周りをうかがいながら言った。
そんな彼女の背を追ってここまで来た。校舎裏に来るのは初めてかもしれない。さびれた倉庫があるだけで、人影ひとつない。
「それで、話って……?」
放課後、校舎裏、クラスの女子と二人きり。
真っ先に思いついたのは、『まるで告白でもされそうなシチュエーションだな』と。
そう思う自分に内心で自嘲する。三ヶ峯とはこれまで全く関わりがない。言葉を交わした記憶すらないのだから、そもそも告白されるような関係性がないのだ。
話したこともない女子から好意を向けられるほど、自分ができた人間でないことは俺自身がいちばん分かっている。
……なのに、どこか期待してしまう自分がいる。
彩沙に告白されたから。曲がりなりにも彼女がいたから。だから、もしかしたらなんて。
俺は『自分になにか価値があるんじゃないか』と、誰かからの承認を欲しがっているのかもしれない。
「あ、えっと……ごめん、ちょっと待ってくれる、かな? えっと……心の準備が……」
上目遣いで見上げつつ、チラチラと視線を逸らす三ヶ峯。彷徨っているというより、何かを確認しているような。
なんだ? 後ろになにかあるのか? さっき三ヶ峯の背を追って歩いた時は、ボロい倉庫と植えられた木々が並んでたが——。
「あっ、あのっ!」
後ろを振り返ろうとした俺を裏返ったような、慌てたような声が止める。
生ぬるい風が木々を揺らし、三ヶ峯が長い黒茶髪を押さえた。
風が収まると乱れた前髪を整え、意を決したように俺を見上げる。
「弾木くんのこと、前から好きで……わたしと付き合ってくれない、かな?」
「え……?」
「だめ、かな……?」
コクリと首をかしげる姿に、俺は返す言葉を失ってしまう。
三ヶ峯の顔は真っ赤になっていて、それが移ってしまったように俺の頬も熱くなっていく。
「えっと……。俺と三ヶ峯さん、ほとんど話したことすら——」
「弾木くん、美化委員だよね?」
「え……? ああ……そう、だけど」
困惑する俺の言葉を、三ヶ峯が遮った。
「朝とか放課後に掃除してるの、いつも見てたの。いちばん最後まで残って道具の整理とかしてたよね? そういうの、いいなって思って」
言われて、ドクンと胸の奥でなにか振動が奔る。
「あと、梅雨に入ってからも雑巾が臭くならないように毎回ちゃんと干し直してたり。この前は、一年生になんか教えてたりして……見てて、優しい人だなって」
見られてた、のか。係だし誰もやらないからやっていただけで、褒めてもらうようなことでもない。
けど。
けど、誰かが俺のことを見てくれていた。
なんの取り柄もない俺を。目の前の三ヶ峯はちゃんと見ていてくれた。その事実が、冷え切っていた胸の奥にじんわりと温かく広がっていく。
「前から気になってたんだけど……彼女がいるみたいだったから……言い出せなくて。別れたって聞いたんだけど……ホント?」
「ああ……まあ、うん」
彩沙と付き合っていたことを知っているのが少し意外だった。
『あんまり人に言いふらさないで』と彩沙が言っていたからクラスメイトにも言っていなかったし、二人で教室で話すことはなかった。伝えたのは、陸にだけ。
だから誰も知らないのだろうと思っていた。実際、ここ数日で『別れたの?』的な言葉が飛んで来ることもなかった。それは俺が誰とも話していないだけかもしれないけど。
まあ、クラスの隅の置物である俺にすら、話したこともない後ろの席の男子が『先輩と付き合っている』という情報が勝手に耳に入ってきたぐらいだし。
クラスの噂なんて勝手なところで回るものなのだろうか。
「どう、かな……?」
「えっと……」
好きだと言われて嫌だとは思わない。ただなんと返せばいいのか分からない。ほとんど話したこともない相手で、相手のこともわからない。
分かっていることは……俺を見てくれている人が、いた。
気づけば、自然と言葉が漏れていた。
「俺、でいいのか……?」
「ぷっ……!」
背後から、吹き出すような声がした。
校舎の陰から人影が現れる。陸と彩沙がいて、後ろに見覚えのあるクラスメイトの顔。その中の一人がスマホを構えていた。
いまの、撮っていた……のか?
「お前うますぎ!」
「でしょ? 未来の大女優様をナメないでよね」
陸が近寄ると、三ヶ峯は得意げな顔で答えた。その表情は先ほど見たものが全部まぼろしかと思うほどに別物で、ゴミを見るように俺を一瞥した。
「一瞬、マジかと思ったわ。顔、赤くなってたくね?」
「そういうテクがあるのよ。ほら」
うつむいた三ヶ峯が顔を上げると、頬を赤く染めていた。周りで歓声が上がる。
「ちっ、賭けは陸の勝ちだなー。ほい」
「だから言っただろ。絶対オーケーするって」
クラスメイトの一人が、ヘラヘラと笑いながら1,000円札を陸に差し出す。
未だ状況をうまく飲み込めない俺を置いて、目の前ではどんどん話が進んでいく。
「陸……? なにを……?」
かろうじて絞り出したのはそれだけ。
「なにって、説だよ。『彼女に捨てられた日陰者、クラスの可愛い女子に告白されたら受ける説』的な。賭けだよ、賭け」
さらっと言う陸。言っている意味が分からなかった。賭け? いや賭けという言葉の意味は分かる。ただ、なんでこんなことをするのか分からなかった。
今回のことも、彩沙のことも。ここ数日あった陸の行動が不可解で、頭に浮かぶのは『なぜ?』ばかりだった。
だって、
「俺たち……親友、じゃなかったのか? なんでこんなこと……」
『親友』と言ってもらえて嬉しかった。彩沙の件は堪えたけど、二人が互いに好き合っているならそれでいい、と飲み込もうとしたのに。
「あー、お前のことを親友だと思ったことはないよ」
俺の問いかけに返ってきたのは、吐き捨てるような言葉だった。
「えっ……?」
「ムカつくんだよお前。恵まれた環境に生まれたくせに、被害者ですみたいな面して生きやがって」
急に人が変わったような陸の様子に、俺は言葉を失う。
「なんだよ……それ。もしかして全部、最初から……?」
俺に話しかけてくれたのも、一緒に遊んだことも。まさか、彩沙が告白してきたのも——。
彩沙を見やると、三ヶ峯と一緒に先ほど俺に向けられていたスマホを覗いていた。
「いや、彩沙が告ったのは関係ないぜ。そこはハッキリしておかないと俺が全部悪いみたいだろ。なあ?」
「え? あ、うんうん。空に告白したのは、えーと——」
画面を見つめながら、話半分に言う彩沙。
「お前の顔が歪むの見たくて、ついな。まあ、ここだけの話さ。俺、べつに彩沙に興味ねーんだ」
俺の肩に手を置き、俺にだけ聞こえるように耳元で言う陸。彩沙のこと、好きじゃないってことか。でも、彩沙は陸のことが好きそうで。
「お前……不誠実だろ。彩沙は——」
俺が陸の言葉に反応した瞬間、三ヶ峯が口を挟んできた。
「つーかさ、アンタみたいな奴があたしと付き合えるわけないじゃん。まず分をわきまえろよクソ陰キャが。キモいんだよ、彩沙に告白されて勘違いしちゃった?」
「ちょっと、悠亜ちゃん言い過ぎー」
彩沙が笑いながら腕を叩くと、三ヶ峯は冷たい目つきで俺を見たまま続ける。
「彩沙だって昨日、言ってたじゃん『親の財布から金抜いてこい』って思ってたって。『医者の息子じゃないのかよ。損した』って」
「なにそれ財布ってこと? 弾木くんかわいそー」
クラスメイトの一人が大して思ってもいないような声音で言う。
「いま言わなくていいじゃん。あはは、空、冗談だよ? ジョークジョーク」
ひらひらと手を振る彩沙。
冗談。どこから、どこまでが。金の話が? 今、俺を見て笑っていることが? それとも、半年前に好きだと言ってくれたことから、全部。
「…………」
俺はなにか言おうとして、口が開いた。なにも出てこなかった。
彩沙は俺の返事を待たず、三ヶ峯の方へ向き直る。誰かがなにかを言って、また笑い声が上がる。
「あ、じゃあ弾木くん。最後になんか一言」
立ち尽くす俺に、再びスマホが向けられる。
「やめてくれ」それすら口に出せず、俺は気づけばその場から走り去っていた。
さっきまで、三ヶ峯は俺を見てくれていたと思っていた。違った。彩沙も陸も、クラスメイトも。
誰も、俺を見ていなかった。
◇ ◇ ◇
校門を出て少ししたところで、頬に水が一滴。ぽつ、ぽつ。一つ、また一つ。ぱたぱたと、徐々に歩道の色が濃くなっていく。
雨だ。カバンに折りたたみ傘が——カバンは教室に置いたままだった。いまさら取りに戻るには足が重い。それに陸たちが、まだいるかもしれない。
早く帰ろう。そう思うたびに、陸の声が頭の中へ戻ってきた。
『親友だと思ったことはない』
あのときのあいつの顔。たぶんあいつにとっては、本当のことなのだろう。俺がなにを覚えていようが、なにを信じていようがどうでもよくて。
あのときの俺は、どんな顔をしていたんだろう。
彩沙も、三ヶ峯も。今ごろ、撮った動画を見ながら笑っているのだろうか。
あのときの俺は、どんな顔をしていたんだろう。
まさか本当に告白されるなんて、と驚いて。誰かが俺を好きになってくれたことが嬉しくて、顔も赤くなっていたはずだ。
「……バカみたいだ」
乾いた声が、雨の音に紛れた。
話したこともない相手。最初に自分でもそう思っていたじゃないか。なのに、掃除をしているところを見ていたと言われただけで。
俺を見ていてくれた、なんて。
雨脚が強くなって、地面を叩く音が大きくなっていた。濡れた靴の中が気持ち悪い。
どこへ向かっているのか、自分でもよく分からない。
さっきまで本屋に寄ろうか、茶道具屋を見に行こうかと考えていたのに。
もうなにを見たいとも思わなかった。
歩いているうちに、公園の入り口が目に入った。
雨に濡れた遊具の向こう、屋根の下にベンチがある。
雨宿りできそうだ。あそこまで。
ベンチに腰を下ろすつもりだったのに、途中で力が抜けて、そのままへたり込む。水たまりに尻もちをついた。
しぶきが跳ねて、泥が顔につく。
「…………」
一人でいるのは苦手じゃなかったはずだ。教室でも、一人で弁当を食べられた。文字を読んで過ごすことだってできた。
もう二人とは関わらず、いつも通りにしていればいい。そのうち慣れると思っていた。
視線の先にあるベンチをぼんやりと眺める。
このまま雨ざらしになっていても、どうにもならない。帰った方がいいに決まっている。なのに、立ち上がろうとしても身体が動かなかった。
「——空っ!」
雨の音に混じって、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた気がした。
「……莉音?」
顔を上げると、公園の入り口から淡い金色の髪を揺らし、まっすぐ俺の方へ駆けてくる莉音の姿。
学校も違うのに、なんでここに。




