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「走る」

 食の指スマを見た翌日。


 牡蠣は朝から山頂に立っていた。


 昨日見た光景が、まだ頭から離れない。


 巨大な岩山を一瞬で吹き飛ばした一撃。


 自分が初めて撃った指スマとは、あまりにも違っていた。威力だけではない。食が生命エネルギーを扱う姿には、長い年月をかけて身につけた技術があった。


 そして、その一撃ですら食の寿命を削っている。


「……。」


 牡蠣は自分の右手を見る。


 片方の親指は、もうない。


 昨日まであった指が消えたことで、右手の感覚も少し変わっていた。


「じいさん。」


「なんじゃ。」


「俺も、あんな指スマが撃てるようになるのか?」


「修行を続ければな。」


「どれくらい?」


「さあな。」


「分からないのかよ。」


「人によって違う。」


 食はそう答えると、山道の方へ歩き始めた。


「ついてこい。」


「どこ行くんだ?」


「修行じゃ。」


 牡蠣も後を追う。


 そして山道へ入ったところで、食が足を止めた。


「走れ。」


「……え?」


「山を一周してこい。」


 牡蠣は目を丸くした。


「指スマは?」


「今日は走る。」


「昨日、あんなすげえ指スマ見せたのに?」


「だからこそじゃ。」


 食は振り返る。


「今のおぬしには、あの力を受け止める身体がない。」


「身体?」


「指スマは指だけで撃つ技ではない。生命エネルギーを身体から引き出し、それを指へ集める。強い力を扱うなら、それだけの身体が必要になる。」


 牡蠣は昨日の自分を思い出す。


 もっと強くしようとして生命エネルギーを集めた。


 その結果、親指を失った。


「……。」


「走れ。」


「分かったよ。」


 牡蠣は山道を走り始めた。


 最初はそれほど苦しくなかった。


 だが、坂道に入った瞬間、足が重くなる。


「はぁ……!」


 土を踏みしめる。


 足を前へ出す。


 また一歩。


 さらに一歩。


 山道は平坦ではない。急な坂もあれば、大きな石が転がっている場所もある。少しでも気を抜けば足を取られる。


「くそ……!」


 牡蠣は歯を食いしばった。


 後ろから食が歩いてくる。


 それなのに距離が縮まらない。


「じいさん……!」


「なんじゃ。」


「遅くないか!?」


「おぬしが速くなればよい。」


「そういう問題かよ!」


 牡蠣はさらに足を速めた。


 だが、すぐに息が苦しくなる。


「はぁ……はぁ……!」


 肺が熱い。


 足が重い。


 何度も止まりそうになる。


 それでも走った。


 山を一周して戻ってきた頃には、牡蠣はその場に座り込んでいた。


「……もう……無理……。」


「立て。」


「無理だって……。」


「では、もう一周じゃ。」


「はぁ!?」


 牡蠣が顔を上げる。


「今のが一周だろ!」


「そうじゃ。」


「じゃあ終わりだろ!」


「終わりではない。」


「なんでだよ!」


 食は何でもないことのように言った。


「身体が弱いからじゃ。」


「……。」


 牡蠣は言葉を失う。


「指スマを覚えたからといって、それだけで強くなったと思うな。」


 食の声が静かに響く。


「今のおぬしが持っている力は、まだ小さい。それでも、無理をすれば親指を失うほどの負担がかかる。」


「……。」


「ならば、まず身体を鍛えろ。」


 牡蠣は右手を見る。


 失った親指。


 その原因は、自分が力を求めすぎたことだった。


 もし、もっと身体が強かったら。


 もし、もっと生命エネルギーを扱うことが上手かったら。


 あんなことにはならなかったのだろうか。


「身体を強くしたら、もっと安全に使える?」


「安全になるわけではない。」


「じゃあ意味ないじゃん。」


「違う。」


 食は首を横に振った。


「身体が強くなれば、耐えられる範囲が広がる。それに、力を扱うための土台にもなる。」


 牡蠣は黙って聞いていた。


「強い力を手に入れたいなら、強い身体を作れ。」


「……分かった。」


 牡蠣は立ち上がった。


 足は震えている。


 それでも、山道へ向かった。


「もう一周だな。」


「ああ。」


「……絶対、強くなるからな。」


「なら走れ。」


 牡蠣は走り出した。


 その日から、修行の中心に走ることが加わった。


 朝になれば山を走る。


 坂道を駆け上がり、山を下り、また登る。


 最初は一周するだけで息が切れていた。


 二周目には足が動かなくなった。


 三周目には地面に倒れた。


 それでも食は、牡蠣が立ち上がるのを待った。


 無理に引っ張ることはしない。


 ただ、立ち上がったらまた走らせる。


 牡蠣も何度も転びながら、それについていった。


 数日が経った。


 少しずつ、変化が現れ始めた。


 以前なら途中で何度も立ち止まっていた坂道を、一度も止まらずに登れるようになった。


「……はぁ……。」


 山頂へ戻ってきた牡蠣は、膝に手をついて呼吸を整える。


 苦しい。


 それでも、以前ほどではない。


「少し楽になった。」


「そうじゃろう。」


「俺、強くなってる?」


「少しずつな。」


 牡蠣は嬉しそうに笑った。


 その日の午後。


 食は久しぶりに生命エネルギーの修行をさせた。


「右手を出せ。」


 牡蠣は構える。


 まだ失った親指の感覚には慣れていない。


 だが、残ったもう一本の親指へ意識を向ける。


 生命エネルギーを感じる。


 身体の奥から、ゆっくりと力を動かす。


 以前よりも、少しだけ安定していた。


「……前より動かしやすい。」


「走ったからじゃ。」


「走るだけで?」


「身体の感覚が変われば、生命エネルギーの扱いも変わる。」


 牡蠣は自分の身体を見つめた。


 走ること。


 生命エネルギーを扱うこと。


 指スマを撃つこと。


 全部、別々の修行だと思っていた。


 けれど違う。


 全部が繋がっている。


「じゃあ、もっと走ればもっと強くなれる?」


「そう単純ではない。」


「……。」


「じゃが、走らねば始まらん。」


 牡蠣は笑った。


「じゃあ、走る。」


 また山道へ向かう。


 足はまだ疲れている。


 身体も重い。


 それでも、止まらなかった。


 昨日より今日。


 今日より明日。


 少しずつでも強くなる。


 そしていつか、食のような指スマを撃つ。


 そのために。


 牡蠣は走り続けた。


 まだ十歳の身体には、あまりにも厳しい修行だった。


 それでも牡蠣は知らなかった。


 これから先、生命エネルギーを扱う技術だけではなく、自分自身の「怒り」とも向き合うことになることを。


 その感情こそが――あの日、隕石を砕いた力の始まりだった。

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