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歴史人物ノベル-フランス革命編  作者: Miris
マリーアントワネット

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第6話 若すぎる王妃

 1774年5月10日、ヴェルサイユで、わたしは知らせを聞く前に世界が変わったことを知った。


 廊下の空気が一方向へ流れた。人の足音が揃い、低い声が重なり、誰もがこちらを見ないふりでこちらを意識している。老王ルイ15世が亡くなった。そう告げられる前から、もう答えは宮殿中に広がっていた。


 ルイ=オーギュストが、わたしを見た。


 顔が青かった。逃げる顔ではない。逃げられない人の顔だった。


「陛下」


 誰かがそう呼んだ。


 その一言で、夫は王になった。


 そして、わたしは王妃になった。


 王冠はまだ頭に載っていない。けれど重さだけが先に肩へ落ちてきた。昨日まで王太子妃だったわたしが、今日は王妃と呼ばれる。なんて乱暴な変わり方だろうと思った。


 わたしたちはまだ若かった。


 若いままでいられる場所は、もうどこにもなかった。


 ******


 1774年のヴェルサイユで、王妃の朝は目を開ける前から始まっていた。


 寝室の外に、すでに人の気配がある。誰が先に入るか。誰が挨拶するか。誰が髪に触れ、誰が袖を直すか。王妃になれば、少しは自由になるのだと思っていた。けれど違った。王冠は扉を開ける鍵ではない。もっと重い金の格子だった。


「陛下、本日はどちらのお色を」


「軽いものにしたいわ」


 ただそれだけの返事にも、女官たちの目が動く。軽いもの。若い王妃らしい。軽すぎる。明るい。派手だ。落ち着きがない。言われる前から、言われる言葉が想像できる。


 鏡の前に座るたび、思う。


 首飾りが重いのではない。


 重いのは、それを見ている目のほうだ。


 ルイは王になっても、やはり静かだった。善良で、誠実で、迷いがちで、人を疑うことが苦手だった。わたしはその不器用さを責めきれない。彼もまた、望んで王冠の下に生まれたわけではないのだから。


 けれど、国は待ってくれない。


 王が迷えば、人々は王妃を見る。


 王妃が笑えば、軽いと言う。


 王妃が黙れば、冷たいと言う。


 わたしはまだ、どう立てばよいのかを探していた。


 ******


 1775年、王としてのルイの姿が国の前に示されるたび、わたしは夫の横顔を見ていた。


 儀式は美しい。祈りも、衣装も、古い王国の言葉も、すべてが重々しく整っている。けれど、その中心に立つ人間がどれほど若いかを、わたしは知っている。ルイは王として扱われる。けれど、部屋へ戻れば疲れた肩をしている。迷いを言葉にするのが苦手で、優しさを命令の形に変えるのも苦手だった。


「人々は、よい王を望んでいます」


 わたしが言うと、彼は頷いた。


「私も、そうありたい」


「なら、迷っていることを隠しすぎないで」


 言ってから、少し踏み込みすぎたと思った。


 ルイは怒らなかった。ただ、困ったように微笑んだ。


「王が迷えば、人は不安になる」


「迷わない王など、本当にいるのかしら」


 彼は答えなかった。


 その沈黙を見て、わたしは胸が痛んだ。夫を支えたい。けれど、支えようと前に出れば、王妃が政治に口を出したと言われる。黙っていれば、冷たいと言われる。


 若すぎる王妃の立ち位置は、いつも少しだけ足場が足りなかった。


 ******


 1775年から1777年にかけて、ヴェルサイユでは世継ぎの話がさらに重くなった。


 夫婦の部屋へ、王国の期待が入り込んでくる。扉を閉めても残る。壁の向こうにいる。誰も露骨には言わない日もあった。けれど言わないから消えるわけではない。むしろ沈黙のほうが、こちらを追いつめる。


 母からの手紙も届く。


 夫を信頼しなさい。役目を忘れてはなりません。軽率に見られてはなりません。


 母らしい。すべて正しい。だから逃げ場がない。


「またお手紙ですか」


 侍女が尋ねた。


「ええ。母は遠くにいるのに、わたしの部屋の空気まで見えているみたい」


 手紙を畳む指に、少し力が入った。


 正しい言葉は、人を支える。けれど時々、正しいからこそ息を詰まらせる。


 そのころ、兄ヨーゼフがフランスを訪れ、夫婦の問題へ踏み込んだ。兄は率直だった。率直すぎるほどだった。ウィーンから来た血の近い人の言葉は、慰めになるはずなのに、時にいちばん深い場所へ刺さる。


「あなたは王妃なのです」


 そう言われなくても分かっている。


 でも、王妃である前に、わたしはまだ若い女だった。


 そこを誰も、あまり見てくれなかった。


 ******


 王妃になったあと、わたしはヴェルサイユの奥へ奥へと目を向けるようになった。


 大広間ではない。人が並ぶ部屋でもない。公式の眩しさから少し外れた、小さな部屋。そこでは、息を吐いてもすぐ誰かの解釈に変えられない気がした。


 わたしは音楽が好きだった。


 芝居も、踊りも、親しい人と笑う時間も好きだった。けれど王妃が好みを持てば、すぐに意味を持つ。誰を呼んだか。誰を呼ばなかったか。何に金を使ったか。どれくらい笑ったか。


 わたしは自由を欲しがっていた。


 けれどその自由は、王妃が持つには目立ちすぎるものだった。


 ルイはある時、プチ・トリアノンをわたしに委ねた。


 ヴェルサイユから遠く離れているわけではない。馬車で届く距離だ。けれど、ほんの少し本宮から離れているというだけで、空気の重さが変わって見えた。あそこなら、朝の支度の順番より先に、窓から入る風の向きを気にしてもよいのではないか。誰を呼ぶかを、王妃ではなくわたし自身が選んでもよいのではないか。


 もちろん、そんな願いが簡単に赦される場所ではないと分かっていた。


 王妃が楽しめば、浪費と言われる。


 王妃が人を選べば、排他的と言われる。


 王妃が息をしたいだけでも、わがままと読まれる。


 それでも、何も求めずに浅く息をしているよりはましだった。


 王冠は重い。


 けれど、その重さに潰されないための場所を、わたしは探し始めていた。


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