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歴史人物ノベル-フランス革命編  作者: Miris
ルイ16世

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第6話 改革したい王、選べない王

 1774年の秋、ヴェルサイユ宮殿の執務室で、私は国王ルイ16世として初めて改革という言葉に向き合っていた。


 机の上には書類が積まれている。数字、請願、地方からの報告、役人の意見。どれも紙なのに、触れるたび手のひらが重くなる。戴冠式で聞いた歓声はまだ耳に残っていた。よい王になりたい。その思いは変わっていない。けれど、よい王になるために何を選ぶべきかは、紙の上でも簡単には見えなかった。


 テュルゴーは、静かに立っていた。


 派手な男ではない。言葉も飾らず、宮廷の機嫌を取るために笑う人でもなかった。だからこそ、私はその人の声を信じたくなった。彼は私を喜ばせるためではなく、国の詰まりを示すために話しているように見えた。


「陛下、国の負担は偏っております」


 テュルゴーは書類を示した。


「働く者が重く負い、特権を持つ者が軽く逃れております。このままでは、王権そのものが民の不満を受けることになります」


 王権そのもの。


 その言葉が胸に引っかかった。


 私は王である。だが、国の隅々で誰がどれだけ負担しているのかを、すべて見ているわけではない。私が知らない場所で、私の名によって税が集められる。私が知らない痛みが、王の制度の一部として存在する。


「民を苦しめたいわけではない」


 思わず、私はそう言った。


 テュルゴーはうなずいた。


「存じております。だからこそ、変えねばなりません」


 変える。


 その言葉は、鍵を回す音に似ていた。閉じていたものが開くかもしれない。だが同時に、固く噛み合っていたものが壊れる音にも聞こえた。


 私は書類を見つめた。


「進めましょう」


 声は静かだった。


 けれど、その瞬間の私は本気だった。若い王として、何かを正せると思っていた。民の苦しみを減らし、王国を軽くし、父に言った努力を形にできるのではないかと。


 改革は、紙の上では正しく見えた。


 まだ私は、紙の外にいる人々の抵抗を知らなかった。


 ******


 数週間後、同じ執務室で、私は別の顔をした改革を見た。


 そこにはテュルゴーだけでなく、古くから宮廷に仕える者たちもいた。彼らは丁寧に礼をし、王への忠誠を疑わせない声で話す。だが、その言葉は改革の前に置かれる石のようだった。


「陛下、民を思われる御心は尊いものでございます」


 その前置きで、私は少し身構えた。


 褒め言葉の後には、たいてい反対が来る。


「しかし、古い制度には古い理由がございます。急に取り払えば、地方の秩序は混乱いたします」


 地方の秩序。


 私はその言葉をすぐには退けられなかった。秩序は大切だ。秩序が崩れれば、最初に傷つくのは弱い者かもしれない。そう考えると、改革に反対する声もただの利己心とは言い切れなくなる。


 テュルゴーは表情を変えなかった。


「陛下、秩序という名で不公平を守れば、いずれ秩序そのものが疑われます」


 今度は、そちらの言葉も正しかった。


 私は二つの正しさの間に座っていた。民の負担を軽くしたい。だが、急ぎすぎて国を乱したくない。特権を正したい。だが、王を支えてきた層を一度に敵にしたくない。


 若い王なら、大胆に変えられる。


 人々はそう期待した。


 けれど実際の私は、変える前に壊れる音を想像してしまう王だった。


 会議が終わったあと、テュルゴーが残った。


「陛下は、お優しい」


 彼はそう言った。


 私は褒め言葉として受け取れなかった。


「優しさで国は救えますか」


 テュルゴーは少し黙った。


「優しさだけでは救えません。しかし、優しさのない改革もまた人を傷つけます」


 私はうなずいた。


 その二つを同時に持つことが、これほど難しいとは思っていなかった。


 会議のあと、私は机に残った二種類の書類を見比べた。


 一つは民の負担を軽くするための案。もう一つは、その案によって不利益を受ける者たちの訴え。どちらの紙にも、国のためという言葉があった。民のため、王のため、秩序のため。美しい言葉は、時に互いを押しつぶす。


 私はペンを取ったが、すぐには書けなかった。


 若い王に必要なのは、勢いだと人は言う。


 だが、勢いで傷つく者の顔が浮かぶと、手が止まる。


 そして手が止まる間にも、別の誰かが傷ついている。


 その輪から抜け出す方法を、私はまだ知らなかった。


 知らないまま王座にいることが、何より恐ろしかった。


 ******


 1775年、ヴェルサイユに届く穀物の話は、祈りの声より険しくなっていた。


 パンは民の腹に直につながる。宮廷の食卓に並ぶ白いパンと、町の人々が求めるパンは同じ小麦からできているはずなのに、その距離はあまりにも遠かった。穀物の取引を自由にすれば、流れがよくなり、やがて価格も落ち着く。そう聞けば、私はうなずきたくなる。


 だが、民の腹は理論を食べない。


 価格が上がったという報告が届いた日、私は書類を握りしめた。地方で騒ぎが起きた。市場で怒号が飛んだ。王は民を飢えさせるつもりか。そんな言葉が、報告の中に混じっていた。


「陛下、改革には一時の混乱が伴います」


 テュルゴーは言った。


「一時で済むのか」


 私の問いは、自分で思ったより鋭かった。


 テュルゴーはすぐには答えなかった。


 その沈黙で、私はさらに不安になった。正しい道でも、途中で人が傷つくことはある。そんなことは理解できる。だが、王である私がそれを「途中」と呼んでよいのか。飢えている人に、未来の安定を待てと言ってよいのか。


「陛下が揺らげば、反対する者はそこを突きます」


「揺らがないことが、民を救うことになるのですか」


 テュルゴーの目が少し細くなった。


「時には」


 時には。


 私はその言葉が怖かった。時には強く進むべきで、時には退くべきだ。その見分けが王に求められる。けれど、どちらを選んでも痛みは出る。


 錠前なら、壊れる前に手を止めればいい。


 国は、手を止めても痛む。


 私は窓の外を見た。ヴェルサイユの庭は整っている。木々は刈られ、道はまっすぐで、水は形を与えられて流れる。ここだけ見れば、フランスは美しい秩序の中にある。


 だが、その庭の外で、誰かがパンを求めて叫んでいる。


 私はその声を直接聞いていない。


 聞いていないからこそ、余計に想像が膨らんだ。


 ******


 特権に触れようとした時、宮廷の笑顔は一斉に硬くなった。


 1776年のヴェルサイユで、改革は書類の言葉ではなく、人々の顔になって私の前に現れた。ある者は伝統を守るためと言い、ある者は王権の尊厳を損なうと言い、ある者は地方の混乱を恐れると言った。誰も自分の利益だけを守りたいとは言わない。皆、もっと立派な言葉を着てくる。


 その立派さが厄介だった。


「陛下、急ぎすぎてはなりません」


 古い貴族の一人が、深く頭を下げた。


「王国は長い時間をかけて今の形になりました。軽々しく変えれば、根が傷つきます」


 根。


 私はその言葉に弱かった。父の信仰、祖父の王政、歴代の王たちが守ってきたもの。私はそれを壊したいわけではない。むしろ守りたい。守るために直したいのだと、何度も自分に言い聞かせてきた。


 だが相手は、その思いをよく知っているように言葉を選んでくる。


「テュルゴー殿は優れた方でしょう。しかし、国は机上の理屈だけでは動きません」


 私は反論しようとした。


 テュルゴーは机上だけの人ではない。少なくとも、国の詰まりを見ようとしている。民の負担を軽くしようとしている。そう言いたかった。


 けれど、別の声が胸の内で囁く。


 本当にそうか。


 混乱が広がれば、苦しむのは民ではないのか。改革を支えるために王権が揺らげば、もっと大きな不幸が来るのではないか。正しい者を支えるつもりで、国全体を危うくするのではないか。


 私は黙った。


 相手は、その沈黙を同意と受け取ったように微笑んだ。


 まただ。


 私は自分の沈黙が、私の考えとは違う形で相手の手に渡っていくのを感じた。言葉にしなければ、誰かが勝手に意味を入れる。王の沈黙ならなおさらだ。


 それでも、言葉は出なかった。


 何を言えばよいのか分からない時、私はまだ黙ってしまう。


 少年のころ身につけた癖は、王冠をかぶっても消えなかった。


 ******


 テュルゴーを退ける決断の日、私は執務室で長く手紙を見つめていた。


 部屋には誰もいない。蝋燭の火だけが揺れている。書くべき言葉は決まっている。政治の言葉は、感情を隠すのが得意だ。信頼を失ったとは書かない。怖くなったとも書かない。国のため、秩序のため、必要な判断として形を整える。


 だが、私には分かっていた。


 私は選びきれなかったのだ。


 テュルゴーがすべて正しかったとは言えない。改革の痛みを彼がどこまで見ていたのか、私には判断しきれない。反対する者たちがすべて私利私欲だけで動いたとも言えない。王国の古い形には、確かに多くの人の生活が絡んでいる。


 だからこそ、決めなければならなかった。


 誰かが完全に正しく、誰かが完全に間違っているなら、まだ楽だった。だが現実はそうではない。どちらにも理があり、どちらにも傷があり、その真ん中で王は選ばなければならない。


 私は紙に向かってペンを置いた。


 手が重い。


 この一筆で、改革の道は止まる。少なくとも、大きく曲がる。民の期待も、若い王への期待も、少しずつ別の色に変わるだろう。


 私は怖かった。


 だが、ここで迷い続けることもまた選択だった。迷いは中立ではない。誰かを待たせ、誰かを失望させ、誰かを勢いづかせる。


 そのことを理解していながら、私は遅すぎた。


 ペン先が紙に触れた。


 書き終えた時、部屋の中は何も変わっていなかった。机も、椅子も、蝋燭も、そのままだ。けれど、私の中で何かが沈んだ。


 よい王になりたい。


 その願いだけでは、人を支えきれない。


 支えるとは、誰かを選ぶことでもあるのだと知った。改革を選べば、特権を持つ者を傷つける。反対を選べば、民を待たせる。全員を同じ手で支えようとして、私はその手を空中に止めてしまった。


 私は手紙を閉じ、しばらく動けなかった。


 正しいと信じた者を最後まで支えられない王に、民はどれほど待ってくれるのだろう。


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