第4章 瞳の章 序章【特別な子の育てられ方】
彼女の無意識 ―指揮者と雑音―
――あるいは、「特別」という呪いの果てに
序章「特別な子の育てられ方」
瞳が初めて「自分は特別だ」と教えられたのは、五歳の時だった。
幼稚園の発表会で、瞳はお遊戯のセンターを任された。他の子たちは端っこで手を振っているだけなのに、自分だけが前に立って、みんなから見られている。それは怖くもあったけれど、なぜか心地よかった。
終演後、母が駆け寄ってきた。その目は潤んでいた。
「瞳はできる子ね。あの子たちとは違うの。特別なのよ。」
その言葉が、瞳の心に深く刻まれた。
(私は特別なんだ。あの子たちとは違う)
その瞬間から、彼女の中で「特別」という言葉が、自分の核になった。
それからというもの、母は事あるごとにそう言った。
テストで100点を取れば「あの子たちは80点で喜んでいるのに、瞳は100点。やっぱり違うわね」。
ピアノの発表会で上手に弾ければ「瞳は特別な才能があるのよ」。
逆に、何かがうまくいかない時は「瞳はできる子なんだから、次は頑張りなさい」と言った。
(私は特別なんだから、できて当然。できなければ、それは私のせい)
そのプレッシャーは、時に重くのしかかった。間違えてはいけない。失敗してはいけない。周りと同じではいけない。なぜなら、私は特別だから。
でも、それ以上に、「特別」という言葉が気持ちよかった。
他の子たちとは違う。自分は選ばれた存在だ。その感覚が、彼女の行動の根底に流れていた。
何かを「選ぶ」とき、彼女は無意識に「特別な自分」にふさわしい方を選んだ。誰かに「認められる」ことを、知らず知らずのうちに求めていた。
小学三年生の秋。クラスで役員決めがあった。
瞳は特に何になりたいわけではなかった。飼育係もうさぎが可愛いし、図書係も静かで良さそうだ。でも、母の言葉が頭に浮かんだ。
「瞳はできる子。特別なのよ。」
(できる子は、そういう役割じゃダメなのかな。もっと上の役割をやらなきゃいけないのかな)
クラス委員長の席が空いている。誰も立候補しない。でも、自分が立候補すれば、きっとみんなが認めてくれる。それが「特別な子」の役割なのではないか。
その時、先生が言った。
「誰か、クラス委員長、やりませんか?」
瞳の手が上がった。少し震えていた。でも、誰にも気づかれなかった。
「はい、私やります」
周りの子たちが拍手する。「じゃあ、瞳さんにお願いしよう」と先生も気持ちよく受け入れてくれた。瞳は少しだけ誇らしかった。母に言ったら、きっと喜んでくれる。
その日、家に帰って母に言った。
「今日、クラス委員長になったよ」
母は嬉しそうに言った。「やっぱり瞳はできる子ね。特別なんだから、クラス委員長くらいやらなきゃね」
(そうだ。私は特別なんだ。だから、こういう役割をやらなきゃいけないんだ)
その時、瞳は飼育係のうさぎの世話をしている子を見て、少しだけ羨ましいと思った。あの子はただうさぎと触れ合っている。誰かに認められるためじゃなく、ただ「やりたい」からやっている。その姿が、なぜかまぶしかった。
でも、すぐにその気持ちを打ち消した。自分は特別なんだから。特別な子は、特別な役割を担わなければならない。
中学二年生の秋。生徒会役員の選挙の季節が来た。
瞳は、特に何になりたいとは思っていなかった。むしろ、面倒だと思っていた。でも、いつの間にか、周りの子たちが「瞳さんがいいんじゃない?」と言い始めていた。
「瞳さん、生徒会長向きだよね」
「そうそう。あの人、なんかまとめられそうだし」
「成績もいいし、先生からの信頼も厚いし」
瞳は何も言わなかった。でも、その言葉を聞いて、自分の胸の奥で何かが動いた。
(私が生徒会長? そう言われてみれば……)
(みんながそう言うなら、私がやるべきなのかもしれない)
(だって、私は特別だから)
選挙の日、瞳は立候補しなかった。でも、投票用紙には彼女の名前がたくさん書かれていた。
結果、瞳は生徒会長に選ばれた。
「え、私?」
驚いたふりをした。その驚きは、本当でもあり、演技でもあった。自分が立候補したわけじゃない。みんなが選んでくれた。それなら、私がなってもいいよね。
でも、ふと気づいた。
「瞳さんがいいんじゃない?」と言い出したのは誰だったっけ。自分が何かしたわけじゃない。ただ、そこにいただけだ。でも、いつの間にか周りがそういう方向に動いていた。
(私は、何もしていない。でも、なぜかそうなっている)
(これが「特別」ってことなのかな)
その夜、日記に書いた。
「今日、生徒会長になった。立候補したわけじゃないのに。私は何も言っていないし、何もしていない。でも、なぜかそうなった。
母は『特別だから』と言う。でも、これが特別なんだとしたら、特別ってなんだろう。自分が手を挙げなくても、誰かが選んでくれること? 自分が望まなくても、役割が与えられること?
わからない。
でも、これでいいんだ。母が喜んでいるから。みんなが私を選んでくれたから。」
その「わからない」という感覚を、彼女はその日、初めて日記に書き残した。でも、その問いを深掘りすることはしなかった。深掘りしたら、何かが壊れる気がしたから。
高校生になっても、その傾向は変わらなかった。
修学旅行の班決め。瞳には行きたい場所があった。京都の某寺院。でも、その班はすでに人数が決まっていた。立候補は締め切られていた。
瞳は何も言わなかった。ただ、その班の子たちと一緒に昼食を取るようになった。休み時間に話すようになった。何気なく「あそこ、いいよね」と呟いた。
気づけば、その班の子たちは「瞳も一緒にどう?」と言い出した。先生も「じゃあ、瞳さんもその班で」と許可した。誰も、瞳が「入りたい」と言ったわけではなかった。でも、結果として瞳はその班に入っていた。
その日、家に帰って、瞳は考えた。
(私は、また手を挙げなかった。でも、自分の行きたい場所に入れた)
(これは、ずるいことなのか?)
(でも、私は何もしていない。ただ、そこにいただけだ。みんなが勝手にそうしただけだ)
(そう、私が何かしたわけじゃない)
その夜、日記に書こうとして、ペンが止まった。何を書けばいいのかわからなかった。自分が「何もしていない」のに、なぜか望む方向に物事が動いていく。それを書くべきなのか。書かないべきなのか。
結局、その日は何も書かなかった。
でも、心のどこかで、ずっと引っかかっていた。その引っかかりを、彼女は「気のせい」と片付けることを覚えた。
(私は、本当に何もしていないのか?)
(何もしていないのに、なぜ結果は私の望む方向に進むのか)
(それは、私が無意識に何かをしているからじゃないのか)
その問いが、彼女の中で初めて形になったのは、ずっと後のことだった。
※完結済【彼女の計画】も合わせてご覧ください。より深く物語を堪能できます。




