08
ファーストリアの町の中央。ログイン直後に立っていた場所の近くでハルトは目を覚ました。正確に言えば目を覚ましたのとは違うのかもしれないが、ハルトはまるで先ほどまで眠っていたようだと感じていたのでそう表現する。ただし寝ぼけてはいないし、直前に起きた戦闘が夢だったとも思わなかった。
「リスポーン云々は嘘じゃなかったか。こんなに早く自分の身で確かめることになるとは思わなかったなあ」
そんなことを言いながら体調の確認を進める。
結果としては毒を受けていたはずの右腕は快調であり、気味が悪いくらいだった。
「あー、何もできずに負けたな」
一通り状況を確認した後、ようやくその実感がわいてくる。せめて一撃。そう思っていたがあっさりと負けた。多くの人はレベル差があるから勝てるわけがなかった。だから気落ちするなと言うだろう。しかし正論を突き付けられても納得できないものがあった。
道理の外側にある悔しいという感情。それは彼の胸の内を焼く。
「次は絶対に勝つ」
ぶつぶつとつぶやきながら、ハルトは西の門へと向かう。ステータスが半減していることなどお構いなしに、一刻も早くレベルを上げなければという衝動に突き動かされていた。
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ステータスが半減していても、スライムやゴブリンは敵ではない。依頼を受けていないのはもったいないとか、本来であれば適正経験値を貰える次の狩場を探すべきだとかいう話は頭ではわかっている。しかしハルトは調べ物をする時間があるなら少しでも経験値を稼ぎたい。そんな思いで敵を狩り続ける。
そして30分ほどが経過した。他プレイヤーが立ち去った影響か気配の数は以前にもまして多く、あっさりとスライムの討伐数が10を超えた頃、彼は通常のスライム3体を引き連れた大きなスライムと遭遇する。
「レアか? さすがにこいつを倒せば、足しになるはずだ」
スライムだけでも10体以上倒している。ゴブリンも含めれば20体近い。それでも上がったレベルは2つだけ。ハイドアンドアサルトを使い隠密行動からの一撃で倒せる格下相手に得られる経験値ではレベルが上がりにくくなっていた。
これを逃せば次の遭遇はいつになるかもわからない。本来パーティを組む前提の敵を前に、ハルトはステータスが半減した身で躊躇もなく挑む。
ただのスライムは体当たりしかしてこない。そして打撃には強いが刺突には弱い。拾い上げた石を投げて1体を倒すと、一回り大きなそのスライムがハルトに気づく。そいつはぷるぷると震え、直後水鉄砲のように体液を噴射した。
あの毒ガエルをほうふつとさせる攻撃に、ハルトの内心は荒れる。次は勝つと決めている相手がいるにもかかわらずそれよりも弱そうな相手の攻撃で後退する。そんな後ろ向きな戦い方で勝てるのか。答えは否だ。ハルトは迷いを振り切り踏み込み、隙間を縫うようにして敵に接近する。
「ここで負けてる場合じゃないんだよ!」
水鉄砲が体の近くを掠めていく。当たった扱いになるのか、HPは減っているのか。そういったことを確認する余裕もなく、接近したそのスライムに短剣を突き立てる。
水鉄砲で吐き出した分と傷跡から噴き出す体液のせいで一回り大きかったスライムは普通のスライムよりも萎む。しかし普通のスライムであれば永遠と体液が零れそのまま消えるところを傷がふさがりまだ動いていた。
対してハルトは大量のスライムの体液を浴びてドロドロになっていた。酸や毒ではない。あるいは毒耐性で無効化できる程度に弱いのか、不快感だけではあるが、足が滑り動きにくい。相手を倒せば乾くのだろうが、それまではこの状態で戦い続けなければならないことに不快感を覚える。そんな状況で顔についた液を払おうと一瞬目を閉じた隙に取り巻きのスライム2体からの体当たりを食らってしまう。それは普段なら1か2のHP消失だけで済みほとんど意味のない攻撃だ。そのうえ見え透いた体当たりなんてふつうは食らわない。しかし今回に限ってはスライムの体液で滑りしりもちをついてしまった。
【Fatal Hit!】
弱った彼に寄ってたかるスライム。それをハルトは短剣を振り回して追い払う。そうして邪魔がいなくなってから滑る足元に注意して慎重に立ち上がる。しかし四苦八苦している間に萎んだレアっぽいスライムはどこかへと姿を消してしまった。戦闘終了扱いだからか体にまとわりついたスライムの体液は揮発していく。
スライムにいいようにあしらわれたことに恥辱を覚えながら、気持ちを切り替えようと深呼吸をする。それから現状確認を兼ねてHPを確認してみる。先ほどの致命的な一撃という表記はおそらく決定的な一撃を受けた側に表示されるダメージ演出なのだろう。ただのスライムの攻撃でHPが4減り、それが2体分でHPが8も削れていた。いくらステータス半減中とはいえ減りすぎている。
焦りから間違った行動を繰り返し、挙句の果てにレアを取り逃がす。もしこれがパーティ行動なら戦犯としてつるし上げられる大失態だ。
「これじゃあダメだな。よし、いったん落ち着こう。そのためには戦闘エリアから出るべきだな」
無様な敗北を晒したことで逆に頭が冷めたハルトは、落ち着いて一度ギルドに向かうことにした。今度こそ正しいレベルを上げる行為のための場所を知ろう。そう思いハルトは最初の戦闘エリアを後にする。
レアなスライムを取り逃がした後、ハルトはギルドの受付に出向いていた。
「町の近くの魔物の強さについて知りたい、ですか?」
「はい」
まず初めに訪ねたのはギルドの受付係だった。ギルドが持っている情報を会員に教えてくれるのではないか。そんな期待を込めて話をしてみる。
「西の門の先にあるのが一番弱い魔物の出るエリア、『ファーストリア草原』です。スライムやゴブリンを討伐されたあなたであればご存じかと思いますので説明は省きます」
「北の門は普段は閉鎖されています。今回の防衛戦中は行き来が可能です。魔物のレベルは平均20以上でしたが、今回の天災級魔獣出現に伴い魔物が活性化。平均レベルが40程度、現在観測されている最高レベルは45となっています」
「南の門の先には『砂礫の荒野』と呼ばれる荒れ地が広がっています。肉食の魔物が多く生息し、気配を消して獲物を狙う狡猾な魔物もいるため危険度が高いです。また嵐により整備した街道が一夜にして無に帰すため、行路として使用されることは少ないです。魔物の平均レベルは20程度。本来であれば西の門から出た先にあるセカンダリアの町付近でレベルを上げた方に推奨されるエリアです」
「東には門はありません。北の門と南の門から町の壁を見ることができますがとくにはなにもありません」
話を聞く限り、順当にレベルを上げるのであればセカンダールという町にある別の戦闘エリアを使用するべきなのだろう。しかしセカンダールは遠いらしい。そのうえ今はファーストリアからの避難民が寄り集まっているはずだ。往復に時間がかかる上に到着したところでまともに身動きが取れるかどうかわからない。
となると、南の門の先にある砂礫の荒野に向かうべきだろう。しかしレアのスライムに苦戦していた身でレベル20の相手に勝てるのかは疑問だ。しかし北部で戦闘をこなすにはレベル40の魔物と戦える実力が要る。レベル20であっても倒してレベルを上げなければいけない。
ハルトは自身のレベルを確認する。現在のレベルは11だ。ファーストリアの武器屋の店主から青の短剣を買ったときから2レベル上がっている。今なら青の短剣を使えるだろうか。使えないのであれば、初めに買った粗悪な短剣でレベル20の相手に挑むのは無謀だ。だが今のハルトには武器を買い替える予算はない。
受付係に情報の礼を言ってギルドを出る。
青の短剣に賭けるしかない状況に追い込まれたハルトは迷いながらもひとまずは南に向かって歩き始めるのだった。
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道の途中、粗悪品のレーションを売っている露天商がいたのでそこで2Gのレーションを2つ購入する。4Gしか手持ちがなかったハルトはこの支払いで本当に一文無しになった。ギルドも通常依頼が機能しているか怪しく、ゴブリンやスライムの討伐で稼ぐことはできないだろう。といっても明日にはイベントボス、NPCたちからは天災級魔獣と呼ばれていたものがギルド含め町ごと破壊しつくしてしまうのだから文句を言うのも酷な話かもしれない。
歩き食いは行儀がわるいと注意されることかもしれないが、今は悠長にしている時間はない。誰を相手にするわけでもない言い訳を用意して先ほど買ったレーションを口に含む。味は砂やレンガっぽいなと思う。砂が口に入ったことはあってもレンガを食んだことはないのであくまでイメージでしかないが、そう表現するのがしっくりくる気がするような味だった。
「痛覚と違って不味いと感じる味覚は表現規制の対象外、か。噛む触感だけで無味無臭な食料のほうが気味悪いってことなのかな」
【毒耐性がレベル2に上がりました】
「……」
不味いのは栄養価が高いから。そんなことを考えていたが、半分くらい食べたところでそんなアナウンスが表示され愕然とする。どうやら毒扱いされるようなものが混じっていたらしい。動揺しすぎて吐き気を覚えたが、貴重な2Gを使い手に入れたものを吐いて捨てるのはもったいない。ハルトは意地で喉元までせりあがったものを抑えこむ。それはおそらくレベルの上がった毒耐性なら何とかなるだろうと見込んでの行動だった。あくまで食品に交じっている毒であり、毒といっても体に悪い程度のものだろう。腐りかけの食材を使っていたというのでもいい。ハルトは自分を狙って毒を盛られたとは思えず、意図的に毒が混ぜられていたわけではないのだろうと考える。そしてこれは安物を買ったリスクの範疇だと彼は自分に言い聞かせた。
それでも先行きが悪いなという思いは消せない。この先青の短剣が使えないなんて話になれば最後の希望が潰える。それだけはないようにと願うハルトだった。