愛しの公爵令息Ⅰ
瞳の色とおなじ、晴れやかな秋の午後を思わせる茶色の髪がなびく。襟足は短めで、かすかに波のかかった細毛は光を透かしてきらめいて見えた。
都でしかお目にかけないような流行りの服を着こなす様も印象的で、『洗練』という言葉は彼のために存在するのだと考え直してしまう。それでいて、鼻につかないさわやかな顔立ちがずるい……一番魅力を感じたのは、わたしだけに向けられたその微笑であった。
つい、熱を入れて語ってしまった。
けれど、けしてお世辞などではない。
水に浸かりながら、いまだ呆然とまばたきをくり返す令嬢も、おなじように胸を動かしていたはずだ。
絵物語に登場する王子さまとは、まさしく彼のことを指すのだろう。いまでも、わたしは心からそう思っている。
「起き上がれそうですか?」
「えっ、あ……」
差し伸べられた手に、おずおずと自分の手を重ねる。あぁ、そんなに見つめられたら……引き寄せられるままに、銀の白鳥は水辺から這い上がった。
途中、腕のなかの子犬がひょいと、東屋の床に下りる。不意に若者の視線が子犬を追ったかと思うと、彼は子どもっぽく白い歯を見せた。
「やぁ、誰かと思えば、僕の可愛いカトレアじゃないか。まったく、悪い子だ。門の前で迷子になったかと思えば、こんなところまでお散歩しにきていたなんて」
令嬢を引き上げたのち、彼はしなやかに体を折って子犬の頭に手を触れた。フワフワの白毛を優しく撫でまわせば、犬も照れているのだろう「クゥ……」と控えめに鳴いた。
「おかげさまで、僕は今夜の夜会に遅刻してしまったよ。困ったなぁ、いまさら顔を出しにいっても気まずいだろうし……かといって『ずっと犬の尻尾を追いかけていました』じゃ、どうにも格好がつかない……」
最後にひと撫でして、彼は身を起こす。
唐突に令嬢と向かい合って、「それじゃあ、こうしようか?」といたずらっぽく片目をつむった。
「僕とあなた、ここで巡り会ったのもなにかの縁だ。お互いのため、今夜は特別な夜であったということにしませんか?」
まわりくどい言い方……だが、自然と心地がよい。
そう言って、彼は再び令嬢の手を取る。積極的な距離の詰め方に、胸の鼓動が跳ね上がった。
「そう、たとえば……あなたは心なき者に呪いをかけられ、水鳥に姿を変えられてしまった美しい姫君」
「…………」
「今宵はその呪いが解ける、魔法の夜。真実の姿を取り戻したあなたを、たまたま水辺を通りがかった僕が目に留めた、とか……ははっ、少しロマンが過ぎるかな?」
「……続けてくださる?」
促せば、彼の瞳がきらりと光った。
「では……そのあまりに可憐な姿に、愚かな僕は心を奪われて──」
「今宵の会など、忘れてしまい……」
「時の流れるままに、二人きりの時間を過ごしていた……というのは、お気に召されますか?」
ベンチに敷いていたハンカチを彼の手がさらって、令嬢の頬の水気をぬぐう。布越しの指の感触に、十七歳のわたしはうっとりと目を細めた。
それから、はっと気づく。
彼の首元を飾るブローチ──その紋章が、公爵家の家紋であることを。
彼の名は、エリオール・シルクス。
我が国の王族の血筋を引く、五大公爵家のうちの一つに当たる『シルクス家』のご令息である。侯爵の位を授かるベルベット家よりも身分の高い、大変高貴なお方なのであった。
ああ、エリオール!
格好のつかない出会い方ではあったけれど、これを運命と呼ばずしてなんと言うのかしら……!
わたしはひと目で彼に恋をした。
断っておくが、公爵家の出という身分の高さだけに惚れたのではない。
わたしは彼の人柄に心を惹かれた。育ちのよい品性と独自のユーモアを両立させ、初対面の相手にも気さくに振る舞う姿に強く好感を 抱いたのだ。
彼はとても優しかった。
その後も水に濡れたわたしを丁重にエスコートし、彼の馬車で家まで送り届けてくださった。狭い空間で始終にこやかな顔を向けられ、親切に外套まで借していただき……あのひと時は、一生のうちで忘れようにも忘れえぬ思い出となるだろう。
──ちなみに、わたしを水に落とした不出来な従者ディオスは、いつの間にかその場からいなくなっていた。
主の恋に気を利かせたのか、はたまた水に落としたばつの悪さから隠れていたのか……真意はいまもわからない。
ただ、馬車が館に到着した直後に、ディオスはその漆黒の姿を現した。間近にいたのは確かなようで、護衛としての役目は律儀に果たしていたらしい。
説教はしたものの、このときのわたしは相当浮かれていたこともあって、普段よりも手短に済んだ。こればかりはディオスも、エリオールに感謝すべきである。
ともかく。
この一夜を経て、わたしの世界は変わった。
秋にも春はやってくる。
銀の白鳥などと揶揄されても、もう気を落とすことはない。
信じてさえいれば夢は叶うことを知った。
その曇りなき真実が、令嬢の背中を押すのであった。
狙いさえ定まってしまえば、こちらのもの。すべての迷いが塵と化したいま、攻勢に転じる時が来たのだ。
以降、わたし──フィオナ・ベルベット侯爵令嬢は、己の燃える愛の熱を一人の男性に捧げた。
公爵家のご令息、エリオール・シルクスに。
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