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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
2010年代

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第89説 詩人の茨木のり子の著書を……

 詩人の茨木のり子の著書を最近集中的に読んだ。きっかけはしばらく遠ざかっていた詩に久しぶりに向き合おうと思ったことだ。この二年間ほど小説を書き、読み、小説について考えることが多く、詩は意識から遠のいていた。ある機会に詩作についてももっと腰を据えて勉強しなければならないなと思った。図書館に行って詩の書架の前に立って、目についたのが茨木の著書だった。それは金子光晴と山之口獏について書かれたもので、どちらの詩人も私が好きな詩人だったので、茨木のり子はこんな本も書くのかと思いながら手に取ったのだ。二冊とも借りて読んでみるとなかなか面白い。二人の詩人それぞれが愛情深く見つめられ、しかもその本質的なものが的確に捉えられている。共感するところ大だった。この二人の詩人が腹を割って交流した親友だったこともこの著書で知った。茨木のり子という詩人の人間的基盤に触れたように思った。

 それで彼女の詩集や花神ブックスの彼女の特集などを読んでみた。茨木のり子についてはその代表作のいくつかは読んでいて、未知ではなかった。好きな方の詩人だったが、中央詩壇でときめく詩人たちに覚える胡散臭さを彼女についても感じていた。颯爽としていてかっこいいが、どこまで信用できるかなという思いがあった。しかし、彼女は思っていたより骨の太い、芯のしっかりした人であり、詩人であったようだ。出発は戯曲であったが、二十四歳で詩作を始めた。私生活では医師の妻であり、来客には手料理を出してもてなす気配りの行き届いた主婦だったらしい。

 彼女の著書「詩のこころを読む」を読むと茨木の詩観が明確に伝わってくる。詩作で最も大切なもの、詩で味わうべきものは「こころ」であると彼女は断固として宣言している。男性詩人にはこういう人は少ない。「こころ」の大切さを認めても、いろいろな留保をつける人が多い。茨木はきっぱりしている。茨木の著書を読んでいて、私は自分がいわゆる言語至上主義に対して強い劣等意識を抱いていたことを自覚した。その意味不明な難解詩を批判しながらも、どこかで、その言葉の結びつきにのみ面白さを見出す立場こそ、言葉の芸術である詩作の正統的な立場なのではないかという思いがあった。 人生的な要素と詩とを分離しない己の詩観にどこか不安心を抱いていた。しかし茨木はきっぱり「詩はこころである」と言っている。私は彼女から勇気をもらったように思う。

 さて、彼女の詩集を読み直すと戦争をくぐりぬけてきたことの重みが刻印されていることが分かる。自分の青春時代が埋め込まれている戦中の日本社会の負の諸相を凝視し、己のなかにあるその残滓をも見つめ、その愚をきっぱりと批判し、二度とそこに戻るまいと決意するところから彼女の戦後は始まっている。彼女の詩はその決意をバックボーンにしているのだ。


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