第九十六話
続きです
鬱蒼と生い茂る木々の間を、その根に足を取られない様に気を付けながら進む
その道行きに少しの違和感を覚えながらも、俺はそれ以上に考え感じる必要のある事へ思考と感覚を傾ける
「………山はこっちかな」
森の中では、容易に方向感覚を喪失する
先の状況が解らない状態では、人は真っ直ぐ進む事すら困難となる
陽の光は揺れる木の葉にかき乱されて、その向きを探る事も難儀する
そんな調子だから、影が伸びる方向で進行方向を定める事も不可能だ
俺は鍛えた感覚と技術で、確信を持って森の中を突き進む
途中、何度か魔物の気配を感じたが、こちらに襲い掛かって来ることは無かった
恐らく、距離が離れていた為に、向こうはこちらに気付かなかったのだろう
時間としてはそれほど長くは無いが、距離としてはそれなりに進んでようやく山に入る
森は途切れないが、平野が途端に強い勾配に変化したのがそう判断した理由だ
「遠目に見た感じ、標高はそれほど高く無さそうだったが………」
恐らく1000mは無いだろう
7、800m程度だろうか
この程度なら、高山病を発症してしまう危険性は薄いだろう
鍛えたこの身体なら、そんな事を気に留める必要すらない
だが
「アイギナに鍛錬を施す時に、山を使うなら気を付けないとな」
素人を装備無くいきなり山の中に放り出せば、待つのは速やかな死だ
遅くとも数日で死に至るだろう
山中では、水の確保すら一苦労なのだから
「その点は、魔法道具があるから心配は無いんだがな」
これは実に便利な道具である
俺は、乾いた喉に程よく冷えた水を流し込む
分かり易い形をしている為、効率よく水分補給を完了させた俺は、しっかりと袋に戻す
替えは無い以上、無くしてしまう訳にはいかない
俺は布袋に破れなどが無いかを確かめて、肩越しに背負う
歩くたびに揺れて、その存在を主張する
その紐を強く手に巻き付け、前を見据えて歩を進めた
「………ここは」
山の中腹辺りまで昇ってきた
そこで、小さな入り口を開けた洞穴を見付ける事が出来た
「中は大丈夫か?」
脆く、今にも崩れそうだという事が無いなら、ここは風雨を凌げる丁度良い拠点になる
落ちた枯葉にでも埋もれれば、寒さは十分に防げるが、それでも周囲を壁に覆われているという安心感は格別のものだ
野宿に慣れている者でもそうなのだから、慣れていない者なら尚更だ
中に入り、特に入り口辺りの壁の強度を確認する
「特に問題は無さそうだが……」
撫で擦り、突き、叩き
徐々に中に入りながら、その強度を確認していく
中はそれほど広くは無いが、些か縦長でも大体6畳間くらいの広さがある
野宿するなら、これ以上ないくらいの好条件の物件だと言えるだろう
「足元も石ころが散乱しているという事も無いし」
例え小さな石ころでも、肌に当たれば相応に痛いし不快にも感じてしまう
その点、ここは細かな砂が薄く敷かれた平らかな地面で、寝心地も悪くはなさそうだ
「ここを拠点にするのが良さそうだな」
そう決めると、俺は早速荷を下ろす
その中から必要な物を取り出し、残りを袋の中に入れたままにして、洞穴を出た
「先ずすべき事は、食料の確保だな」
幸運な事に住居は真っ先に確保出来た
最悪、森の中で少し拓けた場所を拠点にするつもりだったので、これはとても助かったと言える
飲み水は魔法道具という反則アイテムが一発で解決してくれる
それは懐に入れて、大事に失くさず壊さない様に持っている
なので、当面解決すべき問題は、食糧確保、またはその手段の確立だ
その方法は、大きく分けて二つ
一つは植物由来の物を見付ける事
植物は動かず、常にそこに在る
豊かに食べられる木の実を成らす木を一つ見付ければ、それだけで完了するお仕事だ
ただ、植物というのは基本的に毒性を持つ物が多い
そして、毒を持たない物を見付けても、今度はそれに類似した物に気を付ける必要が出てくる
こうしたものは、専門知識を豊富に持つ専門家でも無ければ、基本的に手を出さない方が無難だ
「…………今思い付いたが、こっちの植生とか全く知らないな」
そして、致命的な事に気付いてしまう
俺の持つ知識は地球のもので、オースベルの植物の知識は全く無いのだという事に
「まあ、最悪その辺の魔物にでも食わせてみて、確かめればいいか!」
それも確定では無いのだが、まあ非常時の手段として準備しておくのは間違いでは無いだろう
記憶の片隅に留めておくことにする
「じゃあ、必然的に動物……魔物を狩って食べる事になるんだが……」
辺りを見回す……居ない
次に気配を探る……居ない
「森の中では一、二度気配を感じたんだがな……」
森より更に豊富な資源があり、生物の坩堝である山中で、未だに一度も動く生き物に出会っていない
その気配すら捉えられない
これは明らかに異常だ
もしかしたら、俺を恐れて近づかないのかと思ったが、真っ先にゴブリンの襲撃を受けた事を考えれば、その可能性は極小と言えるだろう
次々と頓挫する企画を目の当たりにし、先行き不安になる
「とにかく、出来る事から始めるしかないな」
一か所に留まる事は、自発的な事態の解決に一切寄与しない
救援を待たなければならない状況でない限り、外で動きを止める事は寝る時と死ぬ時だけでいい
周囲の状況を把握し、先ずは燃料を確保しようと動き出す
そのついでに、周辺を散策して目的の代物が見つかればいいくらいの、軽い考えで行動する
重苦しく未来を悲観しても、精神に負担になるだけだ
それは、適切な判断を狂わせてしまう事に繋がる
努めて平静を保ちつつ、足元を探りながら歩き回る
細かく周囲の状況を確認しながら進む
その為だろうか
またも明らかな異常があったにも関わらず、それに気付かず流してしまっていた
気付いた時の戦慄は、その迂闊さへの後悔と自責の念に流されて気付かれることは無かった
「……落ち葉が無い……枯れ枝も」
木々の中に居て、それらが見当たらない
それは、卵料理をして卵の殻をゴミとして出さない事に似ているかもしれない
在るべきものがそこに無い
それだけなら、まだ受け流せた
だが、その在るべきものは、今の俺にとって重要な生活物資なのだ
無ければ困るではなく、無ければ何れ生活が頓挫する程の重要な物資
文明とは火の獲得から始まったという説がある
火を得た事で、人は多くの危険を遠ざけ、多くの技術の礎を築いた
それほど、火は人間的な生活に必要不可欠な代物なのだ
「参ったな……火を熾す魔法道具は持って来てないぞ」
そもそも、持ち運びの出来る代物では無かった筈
仮に火起こしは出来ても、それを燃やし続けられる燃料が無い
その為に落ち葉や枯れ枝を求めていたのだ
「……しょうがない。数日は我慢するとして、今から作るしかないか」
火を熾すのは、原始的な方法が出来ないでも無い
それでも、燃料だけは自前で用意はできない
有る物を加工するしかない以上、自然と俺の行動は決定される
「……さてさて、どれがいいかな」
俺は周囲を見回し、条件に合致した木を探す
その条件とは、登り易い木である
直接飛び乗る事も出来るが、それでは風情が無い
色々と精神的にキテいるからこそ、楽しむ心を大事にしたい
「お、あれがいいかな?」
目に留まったのは、結構低い位置から枝分かれしていて、尚且つ幹も枝も太く、それでいて太い枝から更に細い枝が分かれている
そんな木だ
「じゃあ、失礼して」
ひとつ、木に向かって拝む
これからその御身体の一部を頂戴するのだから、せめてもの感謝を捧げておく
そして、一番下の枝に手を掛けると、一気に身体を持ち上げて飛び乗る
木の枝は下より上の方が細い
太い枝を折るのは一苦労だが、細ければ楽に折れるだろう
生木である以上、その苦労は更に増す事を考えれば、出来るだけ楽な方を選びたいのが人の性情というものだ
スイスイと登り、大体中頃で止まる
これ以上は、体重に枝が耐え切れない可能性が高くなると判断した
「では」
腰のベルトに差しておいたナイフを鞘から抜き、細い枝に添えて切りにかかる
のこぎりでは無いから難しいが、生木を一刀両断になど出来る訳も無いのだから、何度も何度も刃を往復させて切るしかない
「ふっ……ふっ……ふっ……ふっ」
何度も何度も刃を押し付け往復させる
自然と息が乱れてくる
「……おかしい」
いや、それにはとっくに気が付いていた
だが、事実を認める事を、俺の常識は受け入れられなかった
それでも、いい加減に認めなければならない
「……やっぱり」
刃を収め、今の今までその押し付けられていたところを注視する
その異常性は、一目見てそれと解る姿をしていた
「切れ目が入っていない……削り滓も……」
例えどれほど強固な樹皮をしていても、頑丈な金属を何度も押し当てて傷跡一つ付かないなんて事はあり得ない
僅かでも削れているなら、削り滓が出るのが普通だ
だが、それも無い
「全く切れない……どういう事だ?」
これがこっちの普通なのか?
俺は更に細い枝へ手を伸ばし、圧し折ろうと力を加える
「んっ!……折れない……もう一度……」
しかし、当然の様に折れる筈の枝はしなるのみで、折れる事は無かった
ならばもう一度、と更なる力を込めて圧し折りに掛かるも、枝はただ僅かにしなり曲がるのみ
手が痛くなってきたので、諦めて手を放す
枝は、何事もなかったかのように元の位置へ戻っていった
「じゃあ、葉っぱは」
もう答えは出ている様なものだが、それでも諦め切れない俺は、枝から無数に芽を出し天を仰ぐ葉っぱを毟りに掛かる
出ている様だった答えが出た
「葉っぱも無理と……成程ね」
骨折り損のくたびれ儲けだが、一つ疑問が解消された
地面に落ち葉も枯れ枝も無かった理由は、これだったのだ
「葉も枝も木から落ちないなら、そりゃあ地面に残ってる訳も無いな」
余程綺麗に攫って行く、蝗害の様な現象でも発生したのかとも思ったが、答えは実に単純だった
そして、そこから連鎖的にもう一つの疑問も解消される
「参ったな……つまり、迷宮が無いと生活も成り立たんって事か」
どうして、この世界の経済は迷宮に完全に依存しているのか
その疑問の答えがこれだ
天然資源が得られないのなら、大自然などただの邪魔者に過ぎない
傲慢だが、繁栄を求める人の見地ではそれが当たり前の考え方だ
のみならず、獣であろうと住居を適した形に加工するのは当然の事である
ならば、この世界は
「野生生物にはとことん優しくない世界だな……」
魔物が野性に生きている以上は、それだけではないだろうが、今ある判断材料ではそうと考えるしかない
そして、そうであるなら、自分の浅慮さを呪わずにはおれない
「ご飯どうしようか……」
結構格好つけて出て来た手前、このままとんぼ返りを決心するには、まだまだ自尊心が邪魔をする
「…………この辺で迷宮を探す……のは現実的じゃないしなぁ」
率直に言って、それは不可能だ
この世界に於いて、迷宮とは最大の資材供給源であり、それそのものが一つの資本であると考えられる
建国ですら、その迷宮の影響を多分に受けるだろう事は、今直面している事態からも容易に想像可能だ
最早国家的な戦略物資と表現しても過言では無いだろう
そんなものが、未発見乃至廃棄状態で残っているとは考え難い
「迷宮がどういう状態で発見されるのかは知らないが」
もしかしたら、という天文学的確率に賭けるのは馬鹿らしい
そもそも、未発見の迷宮の状態も知らないのだ
そんな状態で探索に入るなど、砂漠の中で砂金一粒を探すよりも困難であるだろう
「ヤバいな……考えれば考えるほど、袋小路に入り込んでいくぞ」
尤も、その袋は自尊心という感情で口を縛っただけの粗末な代物なのだが
「とりあえず水はある。腹具合も、二日程度なら保つだろう」
こういう時、焦っても良い事は無い
冷静に、努めて冷静に物事に対処していくのが最適解だ
先ず、自分の目的を優先順位を付けて整理する
1番は勿論鍛錬の適した方法の模索と、その確立だ
この為には、何より思考こそが大事になる
要は考えられればどこでもいいという事でもある訳だ
2番は自身の鍛錬、及びその成果の獲得だ
これは1番の序でに行うつもりだった
必要なのは相応の広さを持つ場所
人目に付きたくないというのは、単に羞恥心と諸々の些事が関わった末の結論に過ぎない
最悪、おっさんに頼んで適当な場所を用意してもらえば済む話だ
3番は後々のアイギナへの鍛錬に於いて、適した場所を選定する事
安直に山を選択したが、これは山という環境が鍛錬に適しているという大前提がある為だった
その前提は、既に大きく崩れてしまったが、それでも、山が一種のアスレチック施設の様な様相を呈しているのは変わる事は無い
ここで走り回るだけで、素晴らしい鍛錬になるだろうと確信している
「それだけに、何とも惜しい話だよなぁ………」
大自然という存在が持つ最大の利点が、この世界では殆ど潰れてしまっている
これでは、始めから考え直す必要があるだろう
「……はぁ。なんかやる気無くなって来たな」
やらなければならないというのは解っているが、これだけ意気軒昂とやって来ただけに、この肩透かしは大いにその意気を削り取っていく
今この瞬間も、総身に満ちていた使命感が萎えているのが理解出来た
「……食料が得られない以上、あまり身体を動かさない方がいいな」
一先ずの方針として、拠点への帰路を選択する
その足取りは、やはりというか、実に力無いものであった
何故街の外を出歩かないのか
それは、何も得るものが無いから
この世界の大自然は何も与えてはくれません
それはこの世界がデザインされた世界であるからです
ビオトープという言葉があります
生物が継続的に生存可能な空間を指しますが、これらを人工的に調整した空間を指すこともあります
生命球がそうですね
これ以上詳しく話しても、特に意味は無いので終わりにしますが
そうした、特定の目的の為に調整された世界が、このオースベルである訳です
次回投稿は8月14日です
夏も真っ盛りのクッソ暑い只中ですね
執筆速度は著しく低下しているでしょう
ですが、ストックがそれなりに在るので、更新停止は無いです
ご安心下さい




