第七十五話
続きです
複数視点は非常に難しい
「もういいかい?」
どれだけ抱きしめていただろうか
この喜びに耽溺していた俺の意識を、愛しき呆れ声がひっぱたいた
「お、お母様……」
ああ、娘が俺の腕の中から逃げていく
恥ずかしそうに頬を染めて、俺から距離を取るアイギナ
そんなアイギナを求める様に手を伸ばす俺
「女々しいよ、程々にしときな」
そんな俺のいじましい父心を、女々しいの一言で叩き落す最愛の妻
地味に傷つく
「で?なんか用があってここまで来たんだろ?わざわざ院内を走ってまで」
気のせいか、走ってまで、の部分に嫌に力が籠もっていた気がする
気のせいという事にしておこう
「ああ、いや、なに」
全く気のせいという事に出来ていない
動揺を隠せない俺の様子に、リアは満足げにいやらしく笑みを浮かべると
「おおかたこの坊やの様子を見に来たんだろう?」
判っているなら揶揄わないでほしい
それを口にすると、どこかから「お前が言うな」と言われそうなので黙っておく
具体的には、今俺の視界の端っこでこちらを睨んでいる頬を染めたアイギナ辺りから言われそうだ
(涙目のアイギナ、可愛いなぁ)
親馬鹿と言われても、こればかりは止められない
我が娘は世界一可愛い
「こら」
「いてっ」
実際には痛く無いが、叩かれるとつい痛いと言ってしまう
叩いたのはリアだ
何故叩かれたのか理解出来ない俺は、軽く非難の視線を向けて抗議の意思を示す
「程々にしなって言ったよ」
どうやら俺の思考は筒抜けらしい
伊達に付き合いが長い訳では無いという事か
「すまん」
とりあえず謝っておく
真摯な謝意が必要な訳ではないので、これで十分だろう
「まあいいさ。で?その子の様子が知りたいって事で良いのかい?」
そうだ、用件を済ませてしまおう
アイギナの無事は知っていた
その実感も得た
後はサトルの無事を確認すれば、それで終いだ
この後も、それなりに用はある
サトルからも話を聞きたい以上は、その容態を知る事は決して無駄ではない
「ああ、それで?サトルの容態はどうなんだ?かなりの激戦だと聞いているのだが」
軍部が当事者であるアイギナとアルベルト、そして襲撃者達から聴取した内容では、相当に暴れまわったと聞いている
怪我をしてはいないとの話も聞いているが、それは専門的な知識を持たない者の視点に過ぎない
実際に診察した結果は、まだ届いていなかったので確認しておきたかった
「見るのはこれからさ」
「何?何故まだ見ていない?」
仕事の遅さを指摘する
リアらしくもない失態だ
「アンタは報告をちゃんと聞いていないのかい?襲撃者の中に一人とんでもない重傷者が居たんだよ。それ以外にも、何人か死んでもおかしくない様な怪我人がいっぱいさ。全部この坊やがしたんだよ」
リアが怒りを滲ませ、俺を睨みつける
「……つまり、それらの治療に当たっていたから、今までサトルを見る事が出来なかったと?」
だが、俺とて怒りはある
その様な有象無象より、明らかにサトルの方が大事だ
それは個人的な感情に限らず、政治的な意味でもだ
だからこそ、リアの優先順位の付け方に文句をつける事を躊躇いはしない
「そんな連中に構うより、サトルの容態の方がより大事だろう。そもそも、お前が治療に参加する必要があったのか?」
リアは間違いなく我が国一番の回復魔法士だ
ステータスに恵まれ、また誰も見向きもしなかった人間の身体構造に着目し、その研究にも余念がない
その結果、リアの回復魔法は従来のものとは遥かにその効率を上げ、魔法士の負担軽減と傷病者の生存率の向上を同時に成し遂げた
その偉業は、俺の改革など比べ物にならない程で、間違いなく三人の探検王に並び後世に名を遺すと言われている
俺もその事は誇りに思っているが、それとこれとは話が別なのだ
「見た感じ、一番重傷だったのは、太ももを剣でぶち抜かれてた奴だったね。でも、それはあくまで表面的な話さ。寧ろ、そいつは一番軽傷だったね。実際には、それ以上に重傷の奴がゴロゴロしていたさ。ねぇ、ギュー?」
リアが俺の愛称を呼ぶ
この愛称は、俺の幼少期から使われていたもので、その頃を思い出すから正直好きではない
使っていいのは、リアと三大臣くらいだ
「何だ?」
話が少し拙そうな方向へ行きそうだが、それでも納得出来ない俺は結果を求めて先を促す
「あの坊やは一体何なんだい?」
だが、返って来たのは要領を得ない、漠然とした質問だった
それは俺が寧ろ知りたいくらいだが……
「女神様が遣わした使徒だよ。お前も知っているだろう?」
とりあえず、通り一遍に当たり障りのない答えを返しておく
「アタシもね。ここの責任者として、その女神様の使徒とやらの事は、一通り把握してる。確かに凄まじい身体能力値だね、彼らがもしこの国、或いはこの世界に叛旗を翻したなら、東の帝国が辿った末路を、アタシ達も辿る事になるだろうさ」
「それが解っているなら「でもね」……何だ?」
リアの言い分に、諸々言い返したい事はあるが、一先ず最後まで話を聞く事にする
「でもね、それはあくまでもアタシらの常識の範囲の話さ。あの食堂の坊やがしてる新しい調理方法の開発や、その普及。それは確かに常識外れさ。だけど、それでもアタシらの常識から外れていると理解出来る行為でもある訳さ」
「……何が言いたいのか、はっきり言ってくれ」
今一つ、言っている事が婉曲的だ
答えの輪郭をなぞって、どんな形かを示している様な話し方
はっきりと四角なら四角、三角なら三角、丸なら丸、と告げられた方が余程いい
「ならはっきりと言おうか。あの子はどうやって今回の事を成したのか。話は聞いてるよ、あの子もアイギナと同じなんだってね。で?その子がどうやって、レベル30の襲撃者を倒したんだい?人間同士の小競り合いは珍しいこの世の中だけどね。流石に今回みたいな突拍子も無い例は他に無いよ」
「そういう事か……」
だが、それは
「解ってるよ。アンタも解らないんだろう?当然だねぇ、こんな事が可能ならこの世は大混乱さ。アンタも、何時貴族連中にその命を取られるか知れたもんじゃない」
そうだ
考えない様にしていたが、その可能性は大いにある
俺は自身の強さに絶対の自信がある
表される数値は絶対だ
レベル差が生む身体能力値の厳然たる格差は、社会における絶対の格差と結びついている
それを否定したい
何より我が愛娘の為に
しかし、それこそが我が身を守る盾でもある
連中より圧倒的に強い俺だからこそ、貴族共は大人しくしているという面も確かにあるのだから
それを覆せるなら、覆せると知ったなら
その方法をどうあっても求めるだろう
それはつまり
「やっと理解したみたいだね」
「ああ……貴族共の横槍が入る可能性を考えているんだな?」
「そうさ。最悪、何人か向こうに味方するかもしれないね」
その可能性は否定できない
現状だけを客観的に見れば、貴族連中は俺に迫害されている様にも見えるだろう
それを責める事は出来ない
過去の事情を説明する、と言うのは容易いが、それが真実であると証明する事は極めて難しい
俺と彼らの間に信頼関係が構築出来ていても、やはり彼らの良心に期待する部分が多くを占めるだろう
逆に被害者と自身を定義したなら、同情を買う事はそれほど難しくない
涙を流して情に訴えかけるなど、過去に”人の形をした魔物”と称された貴族共なら、容易くこなしてみせるだろう
そこに真実など無くていい
ただ、無責任な他人にとって耳障りのいい御託を並べ立てられればそれでいいのだ
「そして、その横槍第一候補は……」
サトル
そのきっかけを生み出した、最初の男
俺なら、間違いなくアイツに手を出すだろう
「あの……お父さん、お母さん。その話は……」
唐突に聞こえたその声に、初めて周囲に意識が向く
そうして、やっとここには俺とリア、寝ているサトル以外も居たのだと思い出した
「あ、いや……アイギナ、今の話は」
聞かせるつもりは無かった
ただでさえ、貴族関係の話はアイギナには知られたくないのだ
「そうさ。アンタの惚れた男は、アンタを助けたから、これから苦境に立たされる事になるだろうね。その事をどう思う?」
「リア!」
適当な誤魔化しをしない女だとは知っていたが、何もそこまで辛辣に言う事は無い
その非情さに、反射的に大声で怒鳴りつける
「何だい?ここには寝てる子も居るんだよ。煩くするなら出ていきな」
相も変わらぬ物言いが、しかし今は神経を逆撫でする
「お前、アイギナの気持ちも考えろ!ただでさえ、襲撃で神経を擦り減らしているだろうに、更に負担をかける様な事を……それも、そんなキツイ言い方で!」
「それがどうしたね?この子ももう大人さ。自分のした事には責任を取るべき。違うかい?」
「襲撃された事がアイギナのせいだと言うのか!?そんな馬鹿な話があるか!!」
「アンタは常に自分の行為がどういった結果を齎して、どこそこに恨みを、ここあそこには恩を、って考えて行動してるのかい?そりゃあ凄いねぇ」
嫌味な事を言う
そうして話を煙に巻くつもりなのだ
「そういう話ではない!他者の思惑の責任まで取る必要など無いと言っているのだ!」
「そうかもね。で?アイギナ。アンタはそれで納得できるのかい?アンタの惚れた男は、これから苦しい立場になるけど、それに関してアンタに責任は無いから気にしませんって思うのかい?」
「……」
それは確かに、そうは思えないだろう
「だが、何も今でなくても良い筈……」
「遅いか早いかなら、アタシは早い方がいいってだけさ。アンタが、問題を先送りにしたいって言うなら別に構わないけどね。それをアタシにまで押し付けないでおくれ」
……返す言葉が無い
確かに、知るなら早い方がいいとは思う
それがどれ程心を苛み、頭を悩ませる事でも、早く知れれば……
そう思う事はまず間違いないのだから
「で?アイギナ。アタシの質問に答えてくれるかい?アンタはあの坊やに何が出来る?」
「……質問が変わっているぞ」
「煩いね、国王とも在ろうお方が、小さい事を気にすんじゃないよ」
……小さくないと思うが
まあ、この場はリアに任せよう
何やら存念が有りそうだ
「アンタがあの坊やを大切に想うなら、この質問には心して答えな」
……いや、俺もサトルの事は気に入ってるし、アイギナの夫になってくれないかな?と思っているが
だが、こうして外側から見ると、実に、そう実に気に食わないと言いますか
有り体に言って、俺の娘に手を出す野郎は許さん
そんな気分
「あ、そ、それは……」
子供は結局、親の手を離れて行ってしまうものなのかもしれない
成程、俺もそうだったと、昔を振り返りながら思う
だが、愛娘が選んだ道の険しさは、過去の俺の比では無い
「出来るのか?アイギナ」
視線は机の上の書類に向かうが、それとは別に、意識の一部は今も忘れられない過去に向かう
愛娘を縛る絶対の鎖
俺には、それを打ち破れる未来が全く見えなかった
代わりに思い浮かぶのは未知の世界
その希望を見せてくれたのは
「……結局は他人任せか……頼む、サトル」
娘が救われる未来を俺に見せてくれ
これを投稿した時点で、アイギナ視点も書き終えていますが
三者の視点の整合性を取るのが非常に難しい
理視点は既に投稿している為に、思い付きで書くと合わなくなる事がちらほらと
ここに、更に最後の理の病室での場面の、王妃様視点まで書こうとしていたんだから、もうやってられない
王妃様がこの部屋で何を思い、何を考えていたのか
それは、読者諸氏のお考えに任せます
私は力尽きました
いい加減本筋を書きたいんです
最後にアイギナが何やらの選択をしましたが、それについてはアイギナ視点にて
彼女の決断が今後に与える影響は?
それは第4部にて
次回投稿は3月27日です
予告通りアイギナ視点ですね
やはり時間は巻き戻り、第二部の最後、百合と美樹の小さな壮行会から始まります




