第十二話:死神包囲網
窓からの日光に冬治は瞼をこする。少し長いあくびをかましてから、上半身を起こした。ぐっすり眠ったはずなのに、身体のどこかが重い。ジンジャーエキス配合の入浴剤でも買ってこようか……すこし年老いたことを考えていたりする。
「さて、起きるか」
アラームが鳴る十分前、まだ時計は眠っていた。
事前にアラームが鳴らないようにオフにすると冬治は立ち上がる。日課となったことは近くに置いて居る携帯電話で日付の確認。そしてタロットカードの有無を確認することだった。朝起きてなくなっていればいいのにとちょっと思っていたものの、今は違う。出来るだけ盗られないほうがいいと獣三人組に出会って実感した。
「なにはともあれ、今日も四月一日だなぁ」
五日目の四月一日である。エイプリルフールが五日目だなんて、それ自体が嘘くさかった。感慨深くはなるものの、それ以上は面倒くさいの一言だ。本来なら、もう少しで女学園とはお別れのはずだった。
最初は面倒なことに巻き込まれたと単純に感じていた。今は他のカード所持者に出会い、話して、こういうのも悪くないと思えてきた。
「いつまでもこのままってわけにはいかないんだろうよ」
化け狸、化け猫、化け狐との出会い。本来あり得る事のない二枚の死神、そして、世界を使用した際に裏返されたタロットカード達。
カードに秘められている特殊能力等、分からないことも多い。運命の輪というカードが無ければ時間的に行きつくことは不可能だった。
「そろそろ学園に行く準備をしなくちゃな」
そう言って冬治は学園へと向かう準備を始める。準備と言っても、鞄の準備を簡単なものだ。
初日が続いているわけで、冬治がやるべきことは日本史、数学、現代国語と英語の教科書を入れるだけである。どれも、一年の頃の復習程度で、本格的な授業ではない。
「でも、この程度の授業だからタロットカードの事を考えられるんだよな」
最初に出会った悪魔の柴乃、塔の千、皇帝の慧とはあまり出会えなくなっていた。柴乃と昌に会えると言っても、授業中に居るだけだ。休み時間になると二人ともどこかに行くのである。
「へぇへぇ、冬治の旦那は逢瀬が忙しいようで」
柴乃からいわれた言葉であった。冬治が他のカードと協力関係を結ぼうとしているのが気に食わないらしい。そして、それは千、彗も一緒のようだ。
まぁ、冬治の方もあれから正義の昌、刑死者の早苗、司祭の鳴子等と出会っていたり、化け動物たちと出会っていたのできちんと話す時間が無かったりする。
「今日も、誰かと出会えるのだろうか」
冬治の疑問に答えてくれるものはいなかった。
朝食を準備し終えたところで、冬治はニュースを見る。メジャーリーグに行った選手の不調を軽く伝えると、記者が記事を読み始める。
「……空から、ペットボトルが降ってくると言う珍現象が羽津市で確認されており……」
「ぶっ」
テレビの中にはペットボトルの写真があった。映し出されているペットボトルは昨日、化け猫である美穂が蹴っ飛ばしたものである。
「人に当たっていなくて良かったぜ」
お星様になったペットボトルが自分を蹴っ飛ばした人類に復讐する。なんともB級で、つまらない作品になるだろう。そして、ラストはペットボトルが人類を壊滅寸前まで追いやって初めて気づくのだ。自分を蹴り飛ばしたのが人間じゃなかったということを。
「幸い、落ちた際にけがはなく、猫の集会が行われていた空き地に落ちてきたとのことです」
落ちてきたときに猫が散り散りになって逃げ出す様は容易に想像できる。さぞ、びっくりしたことだろう。
「まぁ、猫撃退ペットボトルとしての効果はあったということか」
本来の用途とは多少、違う気もする。
ため息をついて冬治は茶碗を片付けた。シンクに浸かっている食器をすべて洗い、歯磨きをする、
鏡にはぬれた自分の顔しかない。
「……これで俺以外の誰かの顔が、そうだな、長い髪で女性、白い服装だったら幽霊だろうなぁ。そうなったら、面白いんだろうなぁ」
別に、面白いことにはならない。冬治は軽く疲れているのだ。
ボーっとしている間に学園へと向かう準備は出来ていた。
「初日から徐々に登校する時間が早くなっている気がする」
一日の時間は決められており、冬治は学園の生徒だ。自由に使用できる時間は限られていて、その時間を増やすには何かしらの努力をしなくてはいけない。
早く起きて、遅くに寝る。遅い時間帯にタロットカードの持ち主に遭うことはないかもしれないが、早起きの人物たちはそこそこ、いることだろう。
使命感と言うわけでもないが、知り合い達が裏返しにされているかもしれないと思うと少し不安だった。世界のカードを使用した際に見えた裏返しのカードは多かった。
準備を終えると106号室からでる。とりあえずこのアパートに住んでいる悪魔と正義を待っておこうかなと考えていた。
「あ、柴乃さん」
待つ必要は無かったらしい。扉を開けた先に柴乃がいた。
「……や、冬治君」
そして、その隣には昌が立っている。こちらも硬い表情をしていた。
「ありゃ、昌さんも?」
「うん。おはよう」
冬治の目の前にはカードの所有者が二人もいた。新しいカード所持者と出会えるかもしれないと思ったが、どうやら原点回帰のお時間らしい。
「黙って、私達に付いてきてほしいんだ」
「え? ああ、いいけど」
こちらも用事があった。都合はいい。二人ともちょっと冬治の事を睨んでいた。
あれ、俺、何か睨まれるような事をしたかなと考える。しかし、特に思いつく事もない。強いて言うのなら、一日そこら、会っていなかった程度だ。一日千秋の恋人同士ならまだしも、ただのクラスメートだ。睨まれるなんてあり得ないだろう。
「さ、学園に行こう」
更なる理由を考えようとして、柴乃の言葉が思考の邪魔をする。
「え? ちょ、何だか柴乃さん怖いんだけど」
冬治の右隣に柴乃がやってきて腕を組む。
「ほら、はやく」
「え、昌さんもか」
昌は冬治の左腕で腕を組むのだった。
朝からなんていい事があるのだろうか、微かに押しあてられる二人の柔らかい感触に間抜けな表情をしていたのも束の間である。普通の状態なら確実にラッキーと思って通り越していたことだろう。美穂たちとやった手前、これが普通じゃないとすぐに理解した。
事実、両脇の二人はかなり険しい表情をしていた。おおかた、逃げないように拘束しているつもりなのだろう。
「で、一体これはどういう事なんでしょうか」
どうせ答えなんて返ってこないだろう。そう思いながらも、一応聞いてみた。
「縛ってる」
「そうですか」
生徒会室まで連れて来られた冬治は刑死者、昌の姉である早苗にクサリで本当に縛られた。
「せめて、縄にしてくれませんかね」
「死神相手に遠慮は無用かなーっと。それにね、冬治君に遠慮しちゃうと会長さんに怒られるから」
悪魔、皇帝、塔、正義、刑死者を両脇に揃えた状態の司祭、羽津鳴子が残念そうな表情をしている。
「本当に、残念です」
そして、言葉でもいってくれた。厳しい表情が裁くもののそれに似ていた。
「何が残念なのでしょう」
縛られた冬治を見下ろすようにして、鳴子は言う。
「まさか、カードを裏返しにしていたのが冬治君だったなんて」
言われた言葉が冬治の頭に入ってきて、瞬時に頭が回転する。浮かんだ言葉はいくつかある。違う、おれはやってないっ、やってないんだぁ。そうだよ、皆を裏返していたのはこの俺さぁ。このまま土下座からのぱんちらを狙う。
俺の頭はあまり出来が良くないらしい。それが冬治の出した結論だった。
「落ち付きましょう」
「落ち付いてるわ。全員ね」
そうか、それなら慌てて判断することは無いだろう。真実というのはいつだって一つだよとどこかの誰かも言っていた。周囲を見渡し、情報を交換すれば相手はきっと分かってくれる。
もっとも、聞く耳を持たない者や、妄信している者には何も通じなかったりするので注意だ。
「じゃあ、一旦、情報を整理しましょう。カードの裏返しが起きているってことですよね」
「冬治君が裏返しの事を知っているとは意外でした。知っているのは襲われた人と一部の人だけかと思っていましたけど」
何だか、正しい事を言った気がしたのに墓穴を掘っている……掘らされている気がしてならない。
「え、えーと、それはですね、死神と会って、退けたからです」
どうだ、これなら納得していただけるだろうと周りの人物たちを見てみた。
「死神と?」
「うんうん、大きな鎌を持っていて……黒い靄を纏っていて……」
言っていて、説得力がねぇなと悲しくなってきた。冬治が裁く側だったのなら、そんなことありえるかっての、問答無用で粛清だといっていただろう。
「で、死神のカードを所持しているのは?」
「俺です」
「それで、カードの裏返しの事を知っているのは?」
「俺です」
「普通は教われないように集団を作って行動しそうなものです。冬治さんは……此処にいる全員と知り合いですよねぇ?」
柴乃、千、慧、昌、早苗、鳴子……ここにはいないが、興野、美穂、柚子とも知り合いだった。
そこで冬治はひらめいた。簡単だったのだ。
「あのー……信田柚子先輩って知っていますか?」
助けた人物の名前を言えば、どうにかなるのは間違いない。ここに柚子を連れてくれば事態は間違いなく、いい方向に転がるだろう。
「信田、柚子?」
苦々しげに鳴子がその言葉を口にする。
「も、もしかして知ってますかっ」
「超、不良ね」
早苗がそう答えてみせた。よりにもよって、その名前を出すのか、そんな表情をして冬治の事を見ていた。
「手癖が悪くて、教師に対しても態度が悪い、注意をしてもどこ吹く風の……」
ああ、それは不良だ。柚子の話はしないほうがいいなと冬治はばっさりと切り捨てる。美穂も確か柚子に対する警告を冬治にしていたではないか。
勝手に名前を出して柚子の責任にするのも酷い話だ。ただ、冬治にとっては死活問題である。
「実はまだ、他の人も助けていまして……一条美穂って知っていますか。一年生で、癪だけど、可愛い……あ、いや、そこそこ、可愛い女子生徒です」
この質問には昌と柴乃、慧が苦々しげに口を開く。
「ああ、あの出鱈目っ子か」
柴乃がため息をついた。
「え?」
「この学園は三月終わりに入学式をやるんだけど……その時、大暴れ。信田先輩の親戚だか何だかで、もう、ね。相手するのも疲れるよ」
昌は頭を抱えていたりする。
「僕も面倒だったよ。胸触られて色々言われたし……おかまじゃないっつーの」
可哀想になぁと冬治は彗に手を合わせておいた。あまり他人に興味を抱かない人が彗のことを見ると基本、男に見えるらしい。こちらの学園に彗が転校してきたのも(うわさでは共学制度の一環として)、冬治がきたのとほとんど変わらない。
「信田の知り合いだけあって、悪い子なのね」
レッテルというのは自分が貼るものではない。誰かが貼るものだ。こうして、不必要な情報が追加されていくのである。
「あ、じゃ、じゃあ……興野っ。尾坂興野を知っている人はっ」
臆病で、大人しい。他の二人と比べて特に問題は無いどこにでもいそうな人物像ではある。狸だが。
生徒会長、そして千が反応した。
「あ、興野のことは知っていますよね」
「うーん、名前ぐらいは知っています。他のことは、ちょっと」
鳴子は眉をひそめてふっ、と軽いため息をついた。
「……尾坂、興野っ」
それまで大人しくしていた千が眉根をあげる。基本的にこの人物も大人しい感じがする。もしかすると興野と友達かもしれないんだぜ……冬治はそんな希望を胸に抱いた。
「お、よかった。千さん知ってるのかぁ」
「……う、うう、まんじゅうの代わりに石をかじらされたぁ。まんじゅう怖い」
ああ、狸だからか。たまに、人をだましたくなるんだろう。ちょっとした、茶目っ気じゃないか。
石のことをまんじゅうだと思ってかじった人は分かると思う。非常に、精神的にくるダメージと肉体的に来るダメージは大きい。普通の人はこりゃ石だと思うよりも先に異物だと感じ、吐き出す。そして石だったことに気づいて愕然とするのだ。
「ふーむ、なるほど。つまり、この三人の前はあれですか、どっちかと言うとあまり良くない印象の方々?」
冬治の言葉に関して、うんうん、とその場にいる全員が頷いて居た。
代表をして、早苗が冬治の肩を叩く。
「付き合う友達は、考えたほうがいい。なんて、私が言えるような立場ではないけど、名前を出すタイミングは考えたほうがいいから」
「いや、友達づきあいはきちんと考えたほうがいいから」
昌はびしっと指をつきつけていた。
「悪い人と付き合っちゃったから冬治君も悪い事をしただけです。カードを取り上げ、矯正し、言う事をちゃんと聞くように躾けるべきです。そうすればまた、人としてやっていけます」
本当だろうか、それってほいほい言う事を聞いてしまうだけの人間が出来あがりそうだぞ。冬治はそう思いつつ、ため息をついた。
「ともかく、自分が死神ではないと言うのであれば、こちらにカードを渡してください。カードを持っていなければ効果は使用できませんからね」
「あ、なるほど」
その言葉に冬治は頷いてカードを取り出そうとする。おいおい、これじゃ教育される前からほいほい言うことを聞いているじゃないか。
幸か不幸か、冬治の意思はどの道却下された。なにせ、今は縛られているのだ。これでは、縄抜けの術を体得していないとカードを取り出せない。
「……なるほど、出してくれないところを見ると拒否ですか」
「縛られてとれないだけでしょうに」
昌を押しのけ、柴乃が冬治に近づいてくる。
「もう、馬鹿なんだから」
「馬鹿じゃないぞ」
「君じゃなくて、昌だよ。それで、カードはどこにあるの?」
「右ポケット」
クサリの間から手を突っ込んで冬治の身体を柴乃はまさぐり始める。
「ここ?」
「んがっ、ちょっ……そ、そんなところ掴んじゃ駄目だって」
半分涙目になりながら冬治は情けない声をあげる。柴乃を除き、全員が一体ナニを掴んだのか理解したが、誰も喋らなかった。分からなければ上品も下品も存在しないのである。
「ごめんごめん。こっち?」
「そ、そっちはお尻だってばよっ」
「ん、んっ? ここがいいのっ」
「あ、くそっ、最初からカードなんて取る気はないんだな?」
「今更気づいたところで、遅いよ。うりゃりゃりゃあっ」
「あっひゃっひゃひゃあっ、だ、誰か、たすけれぇ」
冬治が動けない事をいい事に柴乃は冬治に悪戯を開始する。
周りの女子たちは何だかいけないものでも見るような、でもちょっと興味はあるような感じで見ていた。
「ふ、ふふふっ、動けない男子をクサリで縛ってみんなで見つめるなんて……」
「はっ」
その一言で鳴子はこほんと咳払いをして柴乃を引きはがす。
「宇津味さん。冬治君のカードをとってあげて」
「え、ええっ」
息も絶え絶えの冬治を見て、千は頬を掻いた。出来れば、触りたくない類だ。
「何だか触りたくないんですが……そもそも、わたしが触ってしまって大丈夫ですか?」
「あ、そっか。塔のカードだもんね。冬治に何かあったら大変だから僕が取るよ」
「慧、か……」
何かされそうだったが、あっさりとカードを抜き取った。
「ふふーん、僕が冬治の嫌がるような事、するわけないじゃん」
「そうか、てっきり慧のことだからやりたい放題やるかと思ったよ」
やりたい放題やった人物は何故だかつやつやしていた。予は満足じゃなどと、のたまっている。
「がーん」
「口で言う人、はじめてみたかも……彗さん、カードを渡して」
「うう、先輩、どうぞ、カードです」
よよよと泣き崩れるようにして慧は鳴子へカードを渡す。
「あの、俺って解放してもらえるんですかね。これで、俺が死神だったとしても問題はありませんよね」
冬治がそう言うと同時に、生徒会室の窓が開く。
其処に居たのは、死神だった。
来るのが遅いっ……初デートで遅刻を喰らった乙女っぽくなりながらも、冬治は信じられない気持ちで死神のことを見るのであった。




