隔離世界
「そもそもな話、悪い人だからといって一方的に裁くこと自体が間違いなんですよ」
今回訪れた娘は過去のデータを閲覧し、そう結論づけた。
『ならばどうする?』
「決まっています、悪い人を別の区画へ転送するんです。そうすれば良い人達は被害を受けずに済むんです」
得意げに胸を張るが、その内容はあまりにも既視感のあるものだった。
『………それは『必罰世界』とどう違うのだ?』
「全然違います!」
『自分』の問いに娘は栗鼠のように頬を膨らませながら怒鳴る。
「あっちは悪いことをした瞬間に闇雲に殺していましたけど、私はそんな野蛮なことはしません。あくまで別の地域に収容するだけです。そして自分がどんな悪いことをしたのかをしっかり教えて更正させるんです」
悪人の更正を願う者はそれこそ飽きるほど見てきたが、娘の案はそれらと比較しても平和ボケした答えだった。そんなことで彼らが改心するならば、今までの者達だって失敗しなかったことだろうに。
『………ただの無知や劣悪な環境で捻くれた輩なら希望はあるかもしれないが、それでも悔い改めない輩もそこそこいると思うぞ』
「勝手に決めつけないでください! 彼らはちゃんと導いてくれる人や愛してくれる人がいなかったから、悪い人になってしまっただけです。真実の愛を知り互いを尊重しあう心があれば、きっと変われるはずです」
彼女が手を組んで祈る姿は、人間達が聖女と呼ぶ姿に酷似している。今までの者達が『自分』に強い敵対心を向けていたのを考慮すれば、彼女は比較的穏健と言えなくもないだろう。
「貴方は予知能力でその人その人の可能性の有無を見ているつもりでしょうけど、私はそんなものを信じません。絶対に全ての人が手を取り合う世界にしてみせます」
『ふむ………まあやってみるといい』
また時間が経ち、そろそろ経過を観察しようとしたところ、『自分』の未来視がなにかを感知する。
「………?」
なんとなく嫌な感じがしたため、念のため何重ものフィルターを重ねてから空間を開くと、そこから黒く濁った呪いの力が溢れてきた。
フィルターのおかげでこちらの世界に漏れることは一切ないが、このような現象は初めて見る。
一度穴を小さくして漏れ出る呪いを消去しながら世界を覗けば、そこにはドロドロに醜く崩れた生き物達が許しを乞う言葉や怨みの言葉を喚きながら這い回る姿があった。
そして、呪いの源泉にいたのはあの娘だった。
『あああああアアアあアアアああアあああ!!』
喉から絞り出される叫びは怒りや憎悪に溢れ、かつて『自分』に性善説を説いた面影はどこにもない。
一体これはどういうことだと、『自分』はこの世界に何が起こったのかを確かめるべく過去を閲覧していく。
女神となった娘は未来予知と併用し、その人間が罪を犯しそうになった瞬間に指定した地域に転移させる法則を世界に敷いた。
彼らは女神直々に慈愛の精神を教えるカリキュラムを受け、個人差こそあれどしかと更正すれば元の地域に帰ることができた。
なのでこれまでと比べれば救済措置が高い分、善良な人々の幸福度は高かったと見える。
だが悲しきかな、こんな世界にもある致命的な欠点が存在していた。
しかと己の咎を理解し、心から反省出来るものは無事に帰れるが、己の咎を全く理解しようとしない愚か者達はそんな彼らを見て「なぜ自分がダメであいつはいいんだ」「きっとあいつらはズルをしているに決まっている」と女神や外に戻った人間達に対し逆恨みを募らせていく。
彼女はどんな人間でも腹を割って話し合えば理解しあえると考えていたが、中には生まれつき自己愛が強く、他者を見下して嬉々して陥れる輩も数多くいる。
そんな者達に女神がどれだけ根気よく正しさと慈愛を教えても、生来の認知の歪みや根本的な価値観の相違から理解することが出来ず、それどころか自分の考えを押し付けようとする彼女を嫌悪していった。
さらには長く居続ける咎人達が新参者に女神への不信感や悪意を吹き込んでいき、その話を信じた彼らは女神を「罪を犯した自分達にも救いの手を差し伸べてくれる慈悲深い存在」ではなく、「自身の傲慢を押しつける身勝手な悪女」という歪んだ先入観を植え付けられていく。
そうやって古い咎人から教えられた歪んだ意思は、代を重ねるごとに咎人達の悪意をより凶悪に育て、その性根を自分本位で身勝手なものへと固めていった。
そしてそんな人種ばかりが集えば必然的に争いが絶えなくなり、より強く、より身勝手で、より狡猾で、より悪辣な人間のみが生き残っていく。それはさながら蠱毒のような有様だった。
そして鋭く研ぎ澄まされた悪意の刃は隔離区域を圧迫するほどに増え続け、ある時ついに爆発した。
平和な世界に解き放たれてしまった悪人達が雪崩のように押し寄せ、自らの醜悪な欲求を満たすために善良な人々を蹂躙し始める。さらに間が悪かったのは、善良な国の人間達の精神性にあった。
彼らは物心ついた時から悪意を受けないで育ったために、生まれながらに悪い人間はいない、話し合えば人間は分かり合えるという価値観が根付いてしまい、ドス黒い悪意に抵抗する方法を学ばずに育ってしまった。
悪い言い方をするならば、『脳内お花畑』というやつである。
これが必罰世界や抑圧世界の常人達であれば、大なり小なり抵抗する意思を見せたことだろう。
だが彼らは悪意そのものに免疫がなく、暴力や悪口という概念すら失ってしまったため、殴られ辱められても殴り返すことも逃げることも悪人達に怨みを抱くこともなく、ただ理不尽に嬲られるのを受けるしかない。
やがて生き地獄にたえられなくなった者達は、最終的に自ら命を絶っていくようになっていった。
そして彼ら悪人達の中でもイレギュラーとして逸脱した力を得てしまった者達は、力に酔い狂ったまま女神すら蹂躙していく。彼女は暴力を受けながらも悪人達の善性を信じて愛を説いていたが、悪人達はそれを鼻で笑い彼女の目の前で大事なものを壊していった。
身を汚され殴られ辱められた彼女は、自身の絶対の指針であった性善説が粉々に砕け、絶望は憎しみへと変わり人間達を呪いだす。
『貴方達のためにやってあげたのに! 貴方達が真っ当になってくれるのを待ってあげたのに! どうして悪いことばっかりするのよおおおおお!!』
溜まりに溜まった怒りが決壊した彼女の悲痛な叫びが世界中に木霊し、呪いを受けた人間達の姿は醜く歪んで常に苦痛を受け続けるようになってしまった。
愛を尊んだ女神の世界の末路は、結果だけを見れば抑圧世界よりひどい有様となってしまった。
悪の芽を早々に刈り取って巨悪の誕生を阻止するのであれば、必罰世界のほうがまだマシに思えるほどである。
それにしても……神となったイレギュラーの呪いは、世界一つを穢せるということなのか。
もし未来視が働かず不用意に世界を繋いでしまえば、今頃自分の世界まで被害が広がっていたことだろう。危ないところだった。
呪いを垂れ流し続ける彼女をこれ以上生かしても無意味と判断した『自分』は、あふれる呪いをかき集めて密閉すると、そのまま空間ごと世界を消去するのだった。
もしお花畑ヒロインが『人類みな兄弟』精神を本当にやり始めたらなお話。




