②「気付いたらあの世の配達員にされていました」
最悪の目覚めって、だいたい布団の外が寒いとか、月曜の朝だとか、その程度の話だと思ってた。
甘かった。
「……え?」
目を開けた俺の視界一面に広がっていたのは、灰色の霧だった。
上も下も右も左も、ぐるぐる回してみても、全部がもやもやだ。
「夢か……? にしては質が悪いな」
手を伸ばせば、霧は指の間をすり抜けていく。湿っているのかと思えば、乾いてもいる。不快指数だけは高い、謎空間。
そこでふと、自分が何をしていたかを思い出そうとする。
たしか、残業明けで、コンビニの袋提げて横断歩道を渡って――。
クラクション。
急ブレーキ。
横から飛び込んできたヘッドライトの白。
「……あ」
思い出した瞬間、胃のあたりがぎゅっとなる。
「いやいやいや、ちょっと待て。まさかとは思うけど――」
「はい、そこまででーす」
後ろから、やたら明るい声が降ってきた。
振り返ると、そこに立っていたのはひとりの少女。
真っ白なワンピース。
ふわふわと浮いているような長い髪。
背中には、教科書に載ってそうなくらいテンプレな白い翼。
「初めまして、霧島ハルさん。ご来場ありがとうございます!」
「ご来場って何だよ。どこのイベント会場だここは」
「死後の世界、冥界配送センターの入口になります!」
笑顔でさらっと怖いこと言ったぞこの人。
「……えっと。今、“死後の世界”って言った?」
「言いました! はっきりと!」
満面の笑みで親指を立てるな。こっちは笑えないんだよ。
「落ち着いてくださいね。えーっと……自動車事故による即死、死亡時刻は二十三時四十二分。年齢は二十三歳。独身、一人暮らし、貯金残高――」
「待った待った待った! 最後のいるかそれ!? ていうか本当に死んでるの俺!?」
「はい。綺麗さっぱり亡くなっております!」
「どんな言い方だよ!」
思わず全力でツッコむ。が、彼女は「ふふ」と楽しそうに笑っただけだった。
「改めまして。私は天使の白雪と申します。霧島さんを、次のステージへご案内する係です」
「次のステージ……って、天国か地獄か、みたいな?」
「そういうのもありますが、その前に」
白雪はぱん、と手を叩く。
――霧が、音を合図に割れた。
目の前に現れたのは、巨大な建物だった。
無機質な灰色の壁、やたら広い駐車スペース、コンテナが積み上がり、フォークリフトっぽい何かがひっきりなしに走り回っている。
そして、入口の上には大きな看板。
『冥界総合配送センター 本館』
「…………」
俺はしばし言葉を失い、それから絞り出す。
「……えーっと。ここ、本当に死後の世界?」
「はい! 死後の世界です! よくあるイメージとは少し違うかもしれませんが!」
いや、少しどころじゃない。
俺の中の“あの世”観は、音をたてて崩れている。
「ここではですね、生者と死者の間を行き交う“荷物”を管理・配送しています。未練、怨念、徳ポイント、転生特典、来世スキル申請書……などなど」
「ラインナップが物騒すぎない?」
「大丈夫です! みんなで力を合わせて管理してますから!」
白雪は胸を張る。
視線の先で、フォークリフトに積まれているコンテナの側面が目に入った。
『危険! 開封厳禁:怨念レベル★★★』
「“みんなで力を合わせて”の結果がそれかよ!?」
思わず叫ぶと、白雪は困ったように頬に指を当てた。
「まあ、多少の事故はありますが……」
「“多少”のレベルじゃないだろ、絶対」
「霧島さんなら大丈夫です!」
「なんで今、俺に話が飛んだ!?」
かみ合わない会話に頭を抱えたくなる。
だが、ここで一つ、引っかかった単語があった。
「……さっき“ご案内する”って言ってたよな。どこに?」
「はい。霧島ハルさんは、本日付で――」
彼女は、すっと俺の手首を取り、ぴょん、と一歩進む。
世界がふわりと浮き上がり、次の瞬間には、さっきの建物の中に立っていた。
広い。
とにかく広い。
天井の見えない倉庫のような空間に、棚、棚、棚。
ベルトコンベアがうなりを上げ、天使やら鬼やら、よくわからない連中が書類を抱えて走り回っている。
「ここに配属になります!」
「配属?」
「はい! 冥界配送センター・トラブル案件対応班!」
白雪は、近くのデスクに立てかけられていたプレートを指差す。
『トラブル案件専門配達員 只今人手不足につき大募集中☆』
「いや、“大募集中”じゃなくて既に配属されてるけど、俺!!」
「おめでとうございます、採用です!」
「何一つめでたくないからな!?」
叫んでいると、奥からドスドスと重い足音が近づいてきた。
「おお、来たか。新人くんだな」
現れたのは、大柄なスーツ姿の男だった。
額には小さな角。
威圧感はあるが、目の下には深いクマ、手には胃薬の瓶。
「冥界総合配送センター、トラブル案件対応班・責任者の閻魔だ。よろしく、霧島ハルくん」
「あの、俺まだ働くって一言も――」
「人手が足りないんだ」
食い気味に即答された。
その声音があまりにも真剣で、思わず口をつぐんでしまう。
閻魔は書類を一枚取り出し、俺の胸に押し付けてきた。
「説明は後回しだ。ちょうどいい、“お試し”案件がある」
「お試し? いやいや、まず労働条件から――」
「霊一名、未練荷物一件。配達先は現世。担当は――霧島ハル」
俺の名前がさらっと読み上げられる。
「ちょっと待て、決定権どこいった俺の!? それもう“お試し”じゃなくて本番――」
「大丈夫です。私も同行しますから!」
隣で白雪がにっこりと微笑む。
この笑顔が一番怖い。直感でそう思った。
◆
そうして連れてこられたのは、センターの一角。
半透明の扉がずらりと並び、その前に、薄く光る人影が一つ、座り込んでいた。
「こちら、本日のご依頼主です」
白雪が指し示した先の人影は、スーツ姿の男だった。
年齢は三十代くらいだろうか。
目の下にはクマ、ネクタイは曲がっていて、シャツは皺だらけ。
俺の死亡直前の自分と、どこか重なる。
「……あの、誰?」
恐る恐る声をかけると、男はゆっくりと顔を上げた。
「……あれ。ここ、どこ?」
「お客さんも状況把握してないのかよ!」
無意識にツッコミが出る。
「えーとですね、あなたはすでにお亡くなりになってまして――」
白雪が笑顔で告げると、男の表情が凍りついた。
「し、死んだ!? え、俺、さっきまで会議室で……部長に資料投げられて……」
「ブラック企業からの死後世界直行、お疲れ様です」
「そんなテンションで言うな!」
今度は男がツッコんだ。
いや、お前そこ突っ込みどころ違うだろ。
「お名前と、未練の確認をさせていただきますね」
白雪が淡々と聞き取りを始める。
男――名札を見ると「山田」らしい――は、しょんぼりと肩を落として答えた。
「……山田です。未練は……これ、かな」
彼の膝の上に、小さな箱が乗っていることに気づいた。
地味な茶色の箱。上には「未練荷物」とスタンプが押されている。
「中身、なんです?」
「……娘の誕生日プレゼント。買ったのに、渡す暇なくて。残業続きで……気づいたら、ここに」
目を伏せる山田の指先が、箱の角をぎゅっと握りしめる。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
さっきまで、この世界の全部が冗談みたいに見えていたけれど、ここだけは笑えない。
「この未練荷物を、現世のご自宅へ“代わりに”お届けする。それが今回の案件だ」
閻魔の声が背後から飛んでくる。
「……そんなこと、できるのか?」
思わず聞き返すと、閻魔は肩をすくめた。
「全部は無理だ。ルールもある。ただ、こういう“ささやかな未練”なら、たまに特例でな」
「特例って、かなり人情味あふれてるなここ」
「まあ、地獄ばっかりじゃあんまりだろう?」
そう言って閻魔は胃薬をひとつ飲み込む。
どこまでもブラックな世界だ。
「で、その配達をするのが――霧島くん、君だ」
「なぜ俺!?」
「たまたま空いてたからだ」
「理由軽っ!!」
即座にツッコむが、閻魔は微動だにしない。
白雪は「大丈夫です大丈夫です」と脳天気に頷いている。
「山田さんはここでお待ちください。霧島さんがちゃんと届けてくれるので!」
「本当に……届くんですか?」
山田が、かすれた声で問う。
俺は言葉に詰まりそうになりながら、それでも箱を受け取って、しっかりと両手で抱いた。
「……あー……その、努力は、します」
プロでもないのに軽々しく「絶対」とは言えなかった。
けど、これだけははっきりしている。
「(投げ出したら、後悔するのは多分、俺だ)」
自分でもよくわからない感情が、胸の中でじわりと広がった。
「では、行きましょうか、霧島さん!」
白雪が俺の腕を掴む。
半透明の扉の前に立つと、その向こう側にぼんやりと、見覚えのある街並みが揺れていた。
「……怖くない?」
白雪が小さく問う。
「怖いに決まってるだろ。初出勤がこれって、どんなブラックだよ」
そう言いながらも、足は前に出ていた。
扉をくぐる。
世界が、一瞬で色を取り戻した。
◆
そこは、雨の夜の街だった。
アスファルトに雨粒が跳ね、信号機の光がぼやけている。
車の走る音、遠くの踏切の警報。
さっきまでいた霧の世界が嘘みたいに、現実味がある。
「ここ、山田さんの世界線の“現在”です。見えるのは霊だけですけど」
「“世界線”とかさらっと言うな」
辺りを見回していると、白雪が「あ」と小さく声を上げて指さした。
「ほら、あそこです!」
低いマンションの一室。
薄暗い窓の中に、小さな女の子がひとり、テーブルの前で座っていた。
テーブルには、ホールケーキ。
ろうそくが歳の数だけ刺さっている。
「……お父さん、今日も帰ってこないの?」
小さくつぶやく声が、雨音の隙間から漏れ聞こえてきた。
胸がぎゅっと掴まれる。
「霧島さん、窓、開けますね」
白雪が手を伸ばすと、鍵のかかった窓が、音もなくふわりと開いた。
「それ、許されてるの?」
「グレーゾーンです!」
「自分で言っちゃったよこの天使!」
ツッコみながらも、俺は窓辺へと駆け寄る。
女の子はろうそくを見つめたまま、じっと動かない。
「……届くの、か?」
「“未練荷物”には、少しだけ物理干渉を許される権限が付与されてます。強く願えば、大丈夫です」
白雪の声にうながされ、俺は段ボール箱をぎゅっと抱き直した。
「(届けなきゃ。ここまで来て、失敗は出来ない)」
そっと、窓枠に箱を乗せる。
意識を集中すると、箱が薄く光を帯び、ゆっくりと室内へと滑り込んでいった。
女の子が顔を上げる。
「……え?」
テーブルの上に、ぽん、と箱が現れた。
「お、お父さんの、いたずら?」
女の子はおそるおそる箱に手を触れ、ゆっくりと開ける。
中から出てきたのは、小さなぬいぐるみ。
首元に赤いリボンをつけたテディベアだ。
「……あ」
女の子の表情が、花が咲くみたいにぱっと明るくなる。
「これ、この前、欲しいって言った……!」
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる彼女の頬に、涙が一粒転がった。
「お父さん、ばか。遅い……」
泣きながら笑うその姿に、俺は何も言えなくなる。女の子は台所にいた母親にぬいぐるみを見せに駆けていく。
この子の誕生日が少しでもいい日になりますように。
そう願わずにはいられなかった。
「……任務完了、ですね」
白雪が静かに呟く。
「そう、だな」
俺は小さく息を吐いた。
肩から力が抜けるのと同時に、どこか温かいものが胸に満ちていく。
「(悪くない、かもしれない)」
そう思った瞬間、足元の景色がふわりと揺らいだ。
◆
気がつけば、またあの倉庫のような広間に立っていた。
山田は、さっきと同じ場所で座っていたが、その表情は少し柔らかくなっていた。
「……届いたんですね」
「ああ。受け取ってたぞ、ちゃんと」
そう告げると、山田は深く頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に……」
彼の輪郭が、薄い光を帯び始める。
「お、成仏の準備ですね!」
白雪が嬉しそうに手を叩く。
山田は俺たちに、もう一度頭を下げてから、静かに光の中へと消えていった。
残された空間に、しばしの静寂が落ちる。
「……どうでした、霧島さん。初仕事の感想は?」
「……疲れた」
正直な感想だった。
死んでからのほうが疲れるって、どういう理不尽だよ。
だが、それでも。
「……悪くは、ないかもしれない」
ぼそりと漏らした言葉に、白雪がぱっと笑顔を向けてくる。
「ですよね! やっぱり霧島さん、向いてます!」
「どこをどう見てそう思ったんだよ」
「ツッコミが上手い人は、トラブル対応に向いてるんです!」
「そんな採用基準聞いたことないわ!」
その時だった。
「おお、無事に戻ったか」
閻魔が近づいてきて、俺の肩をぽん、と叩いた。
「初案件としては、なかなかの出来だったようだな。さすがだ、霧島くん」
「いや、まだ何も理解してないんですけど」
「理解しないまま走れるのも、いい素質だ」
「ブラック企業の上司かお前は」
思わず毒づくと、閻魔は少しだけ笑った。
「改めて言おう。霧島ハルくん。君には、トラブル案件専門配達員としての素質がある」
その言葉は、冗談半分、というには少しだけ真剣で。
からかい半分、というには、どこか期待がこもっていた。
「……今なら、断れる?」
「明日から繁忙期だ」
「断れる空気ゼロだな!!」
俺の悲鳴じみたツッコミに、白雪が楽しそうに笑う。
「ようこそ、冥界配送センターへ! 霧島さん!」
こうして、俺の“死後の”社会人生活が、幕を開けた――。




