【3】「声を聞かせて?」 4
どこに食べに行こうか話し合って、結局やって来たのはテンペストだった。微妙な反応だった駅員さんを押し切ったのはもちろんわたしだ。
わたしと駅員さんが連れ立って現れたのを見て、織田さんは楽しそうに目を細めた。時間のせいか店内は適当に混んでいる。それでもちょうど前に座ったカウンターの同じ場所が空いていて、そこに案内されるまま腰を下ろした。
「これはこれは。……いらっしゃい」
織田さんの口元が何か言いたげに歪むのを見て、駅員さんが先制する。
「余計なことは何もいうな」
「……なるほど?」
何か色々察した様子で、織田さんはしっかりお仕事モードに切り替えてからわたしにおしぼりを差し出して、何にしますか? と問いかけてくれる。
「あ、じゃあ、この間のデュベルで。おいしかったから」
「それはうれしい。……お前は?」
「生」
「ホントお前って面白みのないやつ」
やがて目の前にグラスが置かれてわたしと駅員さんはグラスを合わせた。二人とも一気に半分以上飲み干す。今日のお通しはナッツとドライフルーツぎっしりのスパイシーな甘くないチョコレートだった。初めての味だ。びっくり。でもビールになぜか合う。
「はー。美味しい」
「それで? 今日は二人でお出かけだったのかな? ……ってか、いつそんな約束したんだよ真哉」
「うるさい」
「お前には聞いてねえよ。それで?」
「あ、はい。リサイタルに行ってきました。ヴァイオリンの」
「ヴァイオリンの、リサイタル?」
瞬間織田さんの顔色が変わった。
「真哉、まさかと思うがあいつのじゃないだろうな」
咎めるような織田さんの鋭い問いかけに、駅員さんは肩をすくめてみせた。あいつ、ってあのソリストのことだよね?
「……ったー。……彼女連れてったのか? そこへ?」
そこで織田さんはわたしを気の毒そうに見つめた。
なんで?
ため息をついてちらりと駅員さんを見ると、特に気にすることじゃありませんよ、って感じに首を振る。
「迂闊なやつ。知らねえぞ」
どういうことだろう。それでもそれ以上二人ともそのことについて話す気はないようだった。だからわたしもそれ以上は踏み込めない。
微妙な空気を遮るようにタイミング良くそこへ料理が運ばれて来た。ソーセージの盛り合わせと、パルミジャーノレッジャーノをふんだんに使ったパスタ。それからやたらとてんこ盛りのサラダには細切りのパリパリのポテトが散らしてある。美味しそう。
それを手際よくお皿にサーブしたのは、わたしではなく駅員さんだった。わたしが動くよりも早く、わたしがサーブするよりもずっと手際が良かった。女子力、多分駅員さんの方が高い。
「んーっ。美味しいっ」
心の底から満足そうな顔で頬張ったわたしを、二人が満足そうに見つめる。
「にしても、デートのシメがここってのは色気がないんじゃないの? 俺が言うのもなんだけど」
「あ、わたしが来たいって言ったんです。すごく美味しかったし」
「へーえ。光栄だね。真哉と二人でいるよりうちのビールをとってくれたわけだ」
「……え? えーと……そういう、わけでは」
お世辞ヌキでここに来たいと思ったのはホントだ。料理もお酒も美味しいし。それにここまで来てしまえば帰りの電車の時間を気にしないですむし。まあ、実を言えば駅員さんとの距離を一気に縮めてしまう可能性があったのも少し怖かったのかもしれない。まだわたしは何も決めてないままだから。
唯史ちゃんに返事をしていない。——また悩み始めようとしたわたしを織田さんの明るい声が引き戻した。
「クリスマスの週にはクリスマスビール特集やるからぜひ来て下さい」
「クリスマスビール?」
「各醸造所で冬季限定で特別に仕込むビールです。通常のものとは違ってスパイスやハーブを使用したりする、醸造所の個性が楽しめる季節ビールでね。ラベルもクリスマス仕様なんですよ」
「へえ。面白そう」
「お前も来てもいいぞ真哉」
「偉そうに言うな」
やっぱり仲がいいな。ここに来ると素の駅員さんが見られるのもいいと思ったのも確かだ。〝男の人〟モードの駅員さんは、まだ少し近づくのが怖い。
ひとしきり楽しく飲んだり食べたりお喋りしたりして、気がつくともういい時間だった。いくら明日が遅番でもそろそろ頃合だろう。
「すみません。わたしそろそろ帰ります」
立ち上がってコートを着たわたしを見て、駅員さんも荷物を手渡してくれながら立ち上がる。支払いをしようとお財布を出したわたしに「誘ったのは僕ですから」と頑として受け取ってもらえなかった。ここでもめ続けるのもなんだし、と不承不承仕舞う。……今度何か別な形で返そう。
「ありがとうございます。ご馳走様でした」
「またいつでも来てくださいね」
「はい」
織田さんに見送られ、駅員さんがドアを開けてくれながら「送っていきます」とわたしを外へ促した。当然とばかりのそれに慌てて両手を振る。
「大丈夫ですよ。近いし。まだゆっくり飲んでてください」
駅員さんは笑顔でそれを却下した。そして織田さんに素っ気ない言葉を放つ。
「後でまた来る」
「へいへい。ごゆっくりー」
駅員さんがわたしを送るのは決定事項らしい。申し訳ないのと嬉しいのと半々。……ううん、嬉しいが多分ちょっとだけ多い。
外に出ると、アルコールが入ったせいか少し寒さが和らいだ気がした。少しくすぐったい。今までこんな風に送ってもらったことってなかったな。あいつが帰りが一緒のときはそのまま泊まっていくときだったし。それ以外は会った駅で解散だ。まあ別の駅だから送ってもらおうとか考えたこともなかったけど。あれ? 駅員さんは最寄り駅、どこなんだろう。あの日もテンペストで飲んでたくらいだからそんなに遠くはないんじゃないかと思うんだけど。
「どっち?」
「あ、こっちです」
何だか夢心地だ。帰る道を駅員さんと並んで歩いてる。「今日はありがとうございました」とわたしがいうと、駅員さんは嬉しそうに笑った。
「こちらこそ」
もう少し、家が遠かったらよかったのに。と歩きながら思う。
「また誘ってもいいですか?」
「え? え、と……はい」
「ありがとう」
そういえば、駅員さんからは付き合おうとかそういう言葉はもらってない。嫌われてるとはさすがに思わないけど、あれ? これって付き合いに既に同意した状態じゃないよね? ……じゃあどういう状態なんだろう。多分……友達以上、だよね。人となりを知る的な……? そういえばあいつのときもはっきりとした始まりはなかった。ある日微妙な距離感をはっきりさせたくてわたしが「ねえ、これって付き合ってるの?」って聞いたら「そうなんじゃねえの」って言われてそうなのか、と思ったくらいだ。大人の恋愛の始まりってそういうものなの? 「付き合ってください」「はい」で始まらないものなの? ああっ、わからない!
ぐるぐる悩んでいるうちに、やがてアパートが見えてくる。
「あの! もうここで大丈夫です。ありがとうございました!」
部屋まで、って言われたら「お茶でも」とか言うべきなの? どうしよう、と思ったけどそれは無駄な心配だった。駅員さんはスマートにじゃあここで、と立ち止まる。
「送ってくれてありがとうございました。……おやすみなさい」
駅員さんはわたしをじっと見つめて身を屈め、あっと言う間もなくその唇が頬に触れた。耳に、甘く声が響く。
「おやすみなさい。咲紀さん」
ひゃああああっ!
反射的に唇が触れたところを手で押さえる。駅員さんは悪戯っぽくくすりと笑った。
「じゃあまた」
呆然としたままのわたしに手を振って、駅員さんは元来た道を帰っていった。
心臓が止まりそうだ。
わたしはぎくしゃくした足取りで、帰宅した。
*+*
「咲紀さん!」
月曜日。多少の戸惑いを抱えつつ職場に向かう道すがら後ろから声をかけられ、振り返ると走って来る津田ちゃんだった。これはなんだかデジャヴュだ。
「津田ちゃん! あれ? 今日休みじゃなかったの?」
だから誰かに津田ちゃんのメアドを聞こうと思っていたのだ。もしくは頼んでわたしのメアドを送ってもらって津田ちゃんから送り返してもらうか。
「病院にノート忘れちゃって」
えへへ、照れたように笑う津田ちゃんはとっても可愛い。でもこれは丁度良かった。
「あのね? 津田ちゃん、今度の金曜日の夜ヒマ?」
「金曜日? はい。ヒマですけど」
「あ、あのね。これは断ってもいい話なんだけど、知り合いが彼女募集中の子を連れて来て飲み会したいらしくて……」
「行きます!」
瞬間ぎゅっ、と津田ちゃんがわたしの両手を握る。
「え?」
「行きます絶対。何時ですか? どこですか? あ、わたしの連絡先教えますから」
携帯、出してくださいと迫力の津田ちゃんに気圧されて自分の携帯を差し出す。てきぱきとわたしの携帯にデータを送るとにっこりと笑った。すごい。早い。
「ありがとうございます咲紀さんっ! わたし頑張りますっ」
正直、こんなに喜んでくれるなんて思ってなかった。クリスマスまでに彼氏作るって、あれ本気だったんだね。ただのノリか冗談かと思ってた。ちょっと反省。本当に嬉しそうな津田ちゃんに、江ノ上が連れて来る相手がいい人ならいいと心底願う。
中に入るといずみさんと何か話していた唯史ちゃんが顔を上げた。
うわっ。いきなりですかっ。駄目。ここで怯んじゃ駄目だっ。自然に! いつも通りに!
「「こんにちはーっ」」
津田ちゃんがいてよかった。素直に明るく笑えた気がする。唯史ちゃんもそんなわたしを見てホッと頬を緩めた。
「あれ? 津田ちゃん今日休みじゃなかった?」
首をかしげたいずみさんに、津田ちゃんはさっきわたしに説明したことを繰り返す。
「ついでだから働いてけば?」と九重先生が顔を出すと、津田ちゃんはべーっと舌を出した。
「留年したらどうするんですかっ」
「責任とってあげようか」
「けっこうですっ!」
ぷんすか! と更衣室に入り、お目当てのノートを抱えて出てくる。こういうところが津田ちゃんがここで愛される所以だろう。
「じゃあ失礼しまーす! 咲紀さんっ! 金曜日楽しみにしてますねっ」
「あー……うん」
ぶんぶん手を振って去っていく津田ちゃんを、手を振り返して見送る。ちょっと色々心配だ。でもあんなに喜んでもらえれば誘った甲斐もあるってもんか。
うまくいくといいけど。
「金曜日ってなに?」
耳元に囁かれ、何も考えずに答えていた。
「え? あー、合コンです」
「合コン?」
た、唯史ちゃん! 射るような視線を感じてたじろぐ。女性陣からはテンション高く“どことーっ!?”っていう問いかけ。そしてそれぞれ物言いたげな九重先生のにやにやと……唯史ちゃんの苦笑。
「えーと、合コンっていうか、友達の友達が彼女募集中なんで、彼氏募集中の子を連れてきて欲しいっていうから……」
我ながら言い訳がましいか? でも事実だし。
「あーなるほどー。津田ちゃん前からクリスマスまでにカレシ作るって騒いでたもんねー」
と、いつから聞いてたのか入り口に立っていた里美さんがふむふむ、と頷いていた。彼女と連れだって更衣室に入りながら問いかける。
「そういえば藤島くんに津田ちゃんは駄目、だったんですか?」
「津田ちゃんねー、悪いコじゃないんだけど、いや、いい子なんだけど」
だけど?
「雪ちゃんにはもう少し余裕のある、相手を見てあげられる子のほうがいいかなーって」
「どういうことです?」
「津田ちゃんは恋で自分しか見えなくなりそうなタイプだから」
そう、だろうか? 意外と可愛いいい彼女になりそうな気がするけど。
「あの……わたし、は?」
「咲紀ちゃんは、ちょーっと相手のことを気にしすぎちゃうタイプかもねー。相手優先にしすぎて自分のこと蔑ろにしそう」
うわ。ちょっと、当たりかも。
手早く着替えて荷物をロッカーに入れる。
「どっちがいいんでしょう」
ぷ、と里美さんが吹き出した。
「咲紀ちゃんマジメー。だからいいんだけどー」
可愛い可愛い、と頭を撫でられる。
「恋愛に正しい答えなんかないよー。人の数だけ色んな形があるよ」
だから楽しい、と里美さんは呟いた。楽しい恋愛かー。うわ、経験ないかも。
「同じくらい苦しかったりもするけどね」
「……里美さん?」
「咲紀ちゃん、なんか先週よりイイ顔してるね。休み中イイコトでもあった?」
いいこと……。あれをただいいことって一括りにしてしまっていいものだろうか。おかげでわたしの頭の中はぐちゃぐちゃでぱんぱんだ。これが他人事ならただわくわくどきどき楽しめたけど、自分のこととなるとそうはいかない。
正直過去のわたしと今のわたしがせめぎあってるみたいだ。
「……えーっと、悪いことではない、と思うんですけど」
「よかったね。若いうちは色々経験するといいよ!」
「里美さんだって若いのに」
「そう、だからあたしも色々楽しむよー。だって人生一回きりだからね!」
「……そうですね」
「そうそう! じゃー、今日も楽しくお仕事しようか」
「はい!」
二人で笑いあって、タイムカードを押すと、慌しく更衣室を出た。




