【4】「誘ってる?」 1
一週間は瞬く間に過ぎて、金曜日は生憎の雨だった。雪になってもおかしくなさそうなくらいの冷たい雨。
今日は早番で前回と同じく一度家に戻って出直した。今日はバイトが休みだった津田ちゃんは前の駅から同じ電車の同じ車両に乗ることになっている。つまりまもなくやってくる電車に既に乗っているはずだ。最後尾の車両付近にはホームの屋根がなくて、仕方なく傘をさして乗車する場所に立っていた。
そこに、スピーカーの音が響く。
「〝まもなく1番ホームに電車が参ります。雨でホームが滑りやすくなっておりますので屋根のないところにいるお客様はお気をつけ下さい〟」
あれ? ええっ!? ……今の、声、駅員さん、だよね?
思わずあたりを見回した。傘をさしてホームにいるのはわたしひとり。じゃあ、今のわたしに? わたしのこと、見てるんだ。確かホームにはモニターがあるって言ってたっけ。なんだか、嬉しいけど恥ずかしい。でもいいのか。私用で放送使って。
不意にあの日のことを思い出して、顔が赤らむ。落ち着けわたし! キスをされたのは口じゃなくてほっぺただ! 初めてのキスでもあるまいし、なんでこんなに思い出しただけでどきどきするの……。小さな頃から海外へよく行ってるって言ってた。頬にキスなんて挨拶に決まってる! 絶対そうだ! なのにまだ、顔が熱い。まるで初めての恋みたいに。どこかで駅員さんが自分を見ていると思っただけで、どんな顔をしていいかもわからなくなる。——大丈夫か? わたし。
電車に乗り込むまで、呼吸の仕方すら忘れてしまいそうだった。
「も、もうすぐですね、咲紀さんっ」
「そうだね」
「わたし緊張してきちゃいましたーっ」
そんな津田ちゃんを見てるとわたしまで緊張してくる。待ち合わせ場所に着いてからも、津田ちゃんはずっとそわそわしっぱなしだった。
ああ可愛いな。津田ちゃんはものすごい力の入れようだった。髪は可愛く綺麗に巻いてあるし(雨だけど)、ショートブーツは白のボアで可愛いし(雨だけど)、服もコートも全部可愛い。メイクもばっちりだ。対してわたしはあまりにもやる気のない服装だと言わざるをえないけど……、ま、いいよね。今日の主役は津田ちゃんだし。
「川野辺!」
わたしを呼ぶ声が聞こえてそちらを見ると、江ノ上がやって来るところだった。そしてその後ろから背の高いメガネをかけた男性がついてくる。あれが例の〝金田くん〟かな?ひょろりと縦に長い印象。カッコいいってわけじゃないけど、確かに真面目で誠実そうで優しそうだ。
「待たせたか?」
「ジャスト」
ちゃらんぽらんな江ノ上だけど、不思議といつも時間は守る。津田ちゃんを見て、どうも、と愛想良く笑った。
「江ノ上です。こいつが金田亮」
金田氏がわたしたちを眩しげに見て、ぺこりと頭を下げた。
「川野辺です」
「つ、津田優美子ですっ」
二人が初々しく挨拶しはじめたところでわたしは江ノ上の腕を引いた。
「なに、今日四人なの?」
「そ。大人数だとあんま話せない可能性があるだろ?」
わたしと江ノ上がぼそぼそーっと喋る。確かに彼はぱっと見とても大人しそうな印象だ。大人数の合コンでは何の成果もなく埋没するタイプなんだろう。
「そうだけど、なんかお見合いみたい」
人の仲人やってる場合じゃないんだけどなあ。それにこれでは逃げ場がない。お互い気に入らなかったらどうするつもりなんだろう。もしも江ノ上が津田ちゃんに手を出そうものなら鉄拳制裁してやる。絶対阻止だ。
「みたいなもんだろ。ふーん、彼女……まあまあ可愛いじゃん。胸大きいし」
「まあまあ? 何言ってんの、節穴? 何様なの? 第一どこ見てんの変態。ふざけんな」
「わ、わかった、わかったって!」
「江ノ上は津田ちゃん見るの禁止ね。穢れるから」
「あのなあ……」
こっそり津田ちゃんを見ると、どうやら第一印象はいいようだ。可愛く頬を染めている。よかった。わたしは津田ちゃんが楽しく過ごせればとりあえずそれでいい。
「じゃ、店に行くか」
江ノ上が先に行くからひょっとして、と思ったら案の定そこは江ノ上御用達の居酒屋だった。ごじんまりとしていいお酒が揃ってて、まあまあ静かで、料理も美味しくて大好きなお店ではあるんだけど、あいつともよく来た店だったので正直避けてくれると嬉しかったなーとか思いつつ、そんな気遣いを江ノ上に期待するだけ無駄か、とため息をついた。
しかも席まで定位置。奥のテーブル席。わたしの前が江ノ上、奥に座った津田ちゃんの前が金田くん。
「とりあえずビール四つ」
何も聞かずに注文する江ノ上のデリカシーの無さを睨んで、津田ちゃんを見た。
「ビールでいいの? 津田ちゃん。別なの頼みたかったらわたし飲んであげるから好きなのいいよ」
「大丈夫です! わたしビール好きです」
そういえば居酒屋が好きだと言ってたっけ。メニューを開いて二人で何がいい? と話し合う。
「そういや先輩がボトル飲んじゃっていいって言ってたんだよなー」
嬉しそうな顔でそう言う江ノ上を本気で殴りたくなった。知ってるくせにそこで振るかその話題を。
「お前も飲むだろ?」
「わたしいらない」
「酒に罪はないだろうよ」
「いいの!」
そんなやりとりをきょとんと見ている二人に、「ごめんね。なんでもないの」と曖昧に笑う。そこにちょうどビールを持ってやってきた店員さんにいくつか注文をして改めて乾杯した。
「……えーと、それで金田くんは江ノ上とはどういうお知り合い?」
「あ、大学の先輩で、バイトを紹介してもらったんです」
「ということはわたしの後輩でもあるんだ」
「はい」
「津田ちゃんはわたしの職場のバイトさんで、年は下だけどわたしの先輩でもあるの。すっごいテキパキしてて優秀なんだよ」
「咲紀さん……ッ」
恥ずかしいーっ、とドカンとわたしに体当たりしてくる。ごめん津田ちゃん。可愛いけどもう少し加減して欲しい。
「職場って?」と、金田くんが問いかけてきたので津田ちゃんが答えるかと見てみればまだ恥らっているのでわたしが代わりに答える。
「歯科医院です」
「前勤めてたの出版社だっただろ? 随分畑違いのとこ行ったよなー。なんで?」
「従兄が歯医者だったから」
「お前出版社希望だったろ?」
「……うるさい」
「おまっ、オレと金田の扱い違くねえ?」
「違うに決まってるでしょ」
多分温度で言えば二十度くらい違う。初対面の人をぞんざいに扱うほどヒドイ人間じゃないし。ひょっとしたら金田くんは津田ちゃんの彼氏になるかもしれないのだ。そして江ノ上にはたぶんに八つ当たりもある。思い出したくないこと色々思い出させて。
わたしはそもそも昔から出版社希望だった。でもこのご時世なかなか内定がもらえなくて、やっと貰えたのがあの小さな会社だったのだ。幸いあの業界は中途採用も多い。倒産したあとも色々探してみたけど、それでも一年も経験のない人間をやとってくれるようなところはなかった。……まだ諦めてない。諦めてないけど。もう一度あの辛かった就活生活に戻るモチベーションが今のわたしにはなかった。
だからこそ、駅員さんはすごいなと思った。本当に。
「あ、すみません。日本酒冷やで。銘柄は……とりあえず雨後の月で2合」
「強気だな」
とーぜんあんたのおごりね、と江ノ上に小声で囁く。なっ、と身を起こしかけて、わたしの冷ややかな一瞥に黙って頷いた。いままでどのくらい貸しがあると思ってるんだ。
よしよし。今日はこれで飲み放題。
気がつくと止まっている初々しい二人の会話を時々繋いで、ひたすら飲むことに専念する。こういう酒はいくら飲んでも頭の奥がシンと冷えているものだ。せめて津田ちゃんの恋がうまくいけば、少しはこの荒んだ気持ちも慰められるかもしれないとぼんやり思った。
*+*
さてじゃあそろそろお開き、といったところで店の外に出ると、津田ちゃんがわたしの腕をがしっと掴んだ。
「ど、どうしたの?」
「咲紀さんっ! 金田さんに連絡先聞いてもらえませんかっ」
「ええっ!?」
なんでわたしが!? ってか、聞かなかったのか! あんなに喋ってて。きゅうっとわたしに縋る津田ちゃんの姿にほだされて、仕方ないなあと思う。わたしはわりと頼られるのが好きだ。ただし女の子限定だけど。
「うん。わかった」
「ありがとう咲紀さんーっ!」
「金田くん!」
少し離れたところで江ノ上と路上で立ち話している金田くんに声をかけると、すぐに気がついてやってくる。
「なんですか?」
最初とは違い随分打ち解けた表情だ。多分人見知りするんだな。……ただ女の子慣れしてないだけかもしれないけど。
「えーと、連絡先教えてくれる?」
「いいですよ」と、金田くんが携帯を取り出したところで「はい津田ちゃん」と、津田ちゃんを金田くんの前に差し出す。選手交代だ。
「お、教えて下さいッ」
「ああ、うん」
ぎこちなくやりとりしている二人を、本気で仲人のおばさんみたいな気持ちで見つめる。いいねいいねー。こーいうの恋愛の醍醐味だよねー。そこへ「今日はお疲れ」とか言いながら気だるげに江ノ上がやってくる。手には既に今日何本目かわからない煙草。喫煙者に厳しい世の中にも関わらず相変らずのヘビースモーカーのようだ。一応店内では吸わなかったから江ノ上なりに気を使っていたのかもしれない。いや、あいつのボトルを飲むのに忙しかったからかも。気がついたら空だった。本当に遠慮がない。
「お疲れ」
「どうよ? あの二人」
ふーっと吐いた煙がこっちに来るのをみて嫌そうにぱたぱたと手で払うと、江ノ上が立ち位置を変えてくれた。
「津田ちゃんは乗り気っぽい、かな。金田くんはわかんないけどいい人っぽいね」
「だよなー。……どっちかってーと金田の好みお前なんだけど」
「はあ?」
いきなりのその発言に意味が分からない。知るもんか。そんなの。百歩譲ってたとえ好みがそうだとしても実際付き合う相手が違うタイプっていうのはよくある話だろう。それに今日彼は津田ちゃんといい感じだったじゃないか。
「なあ、オレと付き合ってることにしとくか?」
「なにそれ」
ぷ、と吹き出す。何だか変なことを言い出したぞ。話の流れがよくわからない。
「一応牽制しとく」
ふーっと煙を吐き出しながら、わたしを見る江ノ上の目は冗談なんだか本気なんだかひじょーにわかりにくい。
「意味がわかんないんだけど、とりあえずわたし江ノ上と付き合う気はぜんっぜんないよ」
金田くんともね、と付け足す。
「ダミーだよ」
「ダミーでもお断り」
素っ気なく言ったわたしに、江ノ上がいきなりしゃがみこんでタバコを咥えたまま見上げてくる。
「お前別れたばっかだろ。それとも誰かいんの? 今好きな奴」
「関係ないし」
「まだ先輩のこと……」
「それはない」
そう思われることだけはプライドが許さなくて、すぐさま却下する。そもそもあいつは今やいつまで好きだったのかを考えなきゃいけない男だ。
「オレさー……、川野辺のこと」
「それ以上は聞きたくない。わたしと友達でいたいなら言わないで。大体金田くんを理由に使おうとするあたりもこズルいし」
江ノ上が言いかけたその言葉は、学生時代いつか言われるかもしれないと思っていた言葉で。今ここで持ち出すのかと、ムカムカする。今更わたしをあんたのその他大勢の捨ててきた女に加えるつもりなのか。これは友達やめる宣言と受け取ってもいいんだろうか。
ほろ酔いでいい気分だった気持ちがいきなり萎える。
「まあ聞けよ」
「イヤだ」
「お前なら違うんじゃないかと思うんだよなー」
「錯覚だよ」
「言い切るかー?」
情けない顔で笑う江ノ上を見下ろして、ため息をつく。
「今まで何回そう思った? あんたは女を手に入れるプロセスが好きなだけで、その人を本気で好きなわけじゃないんだよ」
「キッツー」
「今までの自分の行い省みれば。あんたが好きなのは自分自身でしょ」
我ながら冷たいようだが、それだけのことをこの男はしてきた。わたしの友達や知り合いが何人かこいつのゲームでゲットした戦利品みたいになってきた。わたしだけは違うなんて脳天気なことは間違っても思えないし、そんな気もさらさらない。
「俺付き合ってるときはすげえ大事にしてるし、一途なんだけど」
「そんなの当たり前だし、あんたの場合変わるスパンが早すぎてまったく信用ならない」
「オレ就職してから誰とも付き合ってないぞ」
「まだ一年も経ってませんけどー? それに仕事が忙しかったって言ってたじゃない」
「卒業してから連絡とった女はお前だけだ」
「だから? ねえ江ノ上。あんたは友達としては好きだけど男としては最低だと思ってるしむしろ嫌いなの。会うのやめないのはまあ、逆もあるけど色々世話になったし、なんでだかあんたと付き合った子たちが悪く言わないから、ただそれだけだから。それ以上言うならもう二度と会わないけどいい?」
「……わかった」
うなだれた江ノ上を見ないようにして、まだ楽しそうに話している津田ちゃんと金田くんを見る。そろそろ終電だ。二人に水を差すようで申し訳ないけど、とりあえずわたしは帰らせてもらう。
「津田ちゃん。電車ヤバイけどどうする?」
「えっ! あ、ホントだっ。帰ります」
「じゃあね江ノ上。お疲れ」
「おう」
ちらりと目だけをこちらに向けて片手を上げる。意外とダメージ受けたのか? いやいやあれもあいつの手なんだろう。たまにはざっくり傷つけばいい、とあいつに泣かされた子たちの涙を思い出して意地の悪いことを思う。みんなどうしてあいつを嫌いにならないのかな。知りたくもないけど。それに数日経てば何もなかったみたいに普通に連絡して来るだろう。
「金田くんも、じゃあね」
「はいまたぜひ」
おー。素直ないい子だなあ。年下って可愛い。恋愛対象にはならないけど。
津田ちゃんはいつまでも名残惜しげに金田くんにさよならを言っていた。申し訳ないけどそんな津田ちゃんを追い立てるようにして駅に向かう。これはそろそろ走らないとまずいかも。
「随分盛り上がってたね。津田ちゃん」
「はいっ! 今日はありがとうございましたーっ。これは運命の出会いですッ」
「えっと、それはつまり気に入った、のかな?」
「も、すっごく! わたし頑張りますっ」
ふっと里美さんの言葉が浮かんだ。〝津田ちゃんは恋で自分しか見えなくなっちゃうタイプ……〟でもいいんじゃないかな。そんな恋だって。
わたしと津田ちゃんはぎりぎりで終電に飛び乗った。電車の中でいかに今日が楽しかったかを熱く語る津田ちゃんを見て、それだけでわたしの今日が報われる気がした。




