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駅員さんの恋  作者: 高藤みずき
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【3】「声を聞かせて?」 1



 このまま貴重なお休みを鬱々と過ごしていても仕方がないと、重い腰を上げる。冷蔵庫は空っぽだ。とりあえず買い物に行こう。


 ジーンズにざっくりニット。化粧はごく簡単に。コートを羽織ってポケットにお財布と携帯だけを突っ込んだ。さて出ようとしていつものところに見当たらない鍵を焦ってあちこち探すと、ベッドの枕元で発見する。——昨日、どんだけよろよろだったのよわたしは。でもでもだって仕方ない。昨日みたいなことが自分に起こるだなんて考えたこともなかったんだから。


 また思考の迷宮に入りかけた自分を「待て待て」と引き止める。気分転換に行くんでしょーが。


 スーパーに行くには駅の改札前を通って行くのが近道だ。それ以外だと少し離れた踏み切りを渡って行く方法があるけれど、生憎ここは開かずの踏み切りだった。駅員さんに会いたいような会いたくないような複雑な気持ちのままちょっと迷って、悩んだ挙句に改札前を通りかかると、探すまでもなく改札窓口に駅員さんを発見した。


 そもそも駅員さんが目立つのか、それともわたしの目が自然に駅員さんを捉えてしまうのか、それはもうわからない。どっちもかな。


 脳裏に唯史ちゃんの言葉がリフレインする。駅員さんに、返事をする前に——か。……わからないよ、そんなの。恋を始める予定はなかった。っていうかしばらくはごめんだと思ってたくらいだったのにどうしてこんなことになっているんだろう。いや、これが贅沢な悩みであることはわかってる。わかってるけどちょっと待ってよ、ってことはあるでしょう。


 だってわたしは……駅員さんのこと何も知らない。


 お仕事している駅員さんは相変わらず格好良くて爽やかだ。そんなわたしの視線に気づいたのか、駅員さんと視線が合ってしまう。


 うわっ、心の準備がッ!


 咄嗟にそらすこともできずに、ぺこりとお辞儀した。そのまま行ってしまおうとしたわたしに、駅員さんが口の形だけで何かを伝えてくる。


「え?」


 〝ちょっと、待ってて〟って言った。多分。問いかけるような視線で見るから、反射的に小さく頷いた。どっと改札口にやってくる乗客たちに、わたしは慌てて邪魔にならなさそうなところに避難する。駅員さんは次々窓口を訪れる人たちににこやかに対応していて、笑顔で去っていくお客さんに、やっぱりいい人だな、なんて思う。


 ……それにしても、何の用なんだろう。ひょっとして昨日の言葉は冗談です、とか? そう言われたらわたしはホッとするの? 残念に思うの? ——わからない。


 急になんだかどきどきしてくる。


「すみません。お待たせして」


「えっ」


 いつの間にか、目の前に駅員さんが立っていた。


 落ち着け。落ち着けわたし。


「いえ、大丈夫です。お忙しいんですね」


「この時間は少し。お引き止めして申し訳ありません。お時間大丈夫ですか?」


「はい。買い物に来ただけですから。……あっ! 昨日はありがとうございました」


 って、言ってから気づく。バカバカ! 自分から昨日の話を振ってどうするっ! 混乱しているわたしに、駅員さんがふっと笑った。


「いえ。何もなくてよかった」


 その柔らかな微笑みにつられるように、わたしもえへ、と笑った。


「あ、それで、ですね」


 仕事中なんだから長々と無駄話しているのは当然アウトだろう。そうは言ってもいきなりの本題に無意識に、身構えてしまう。


「はい」


「クラッシック、好きですか?」


 ……クラッシック?


「ええと、好き、ですけど?」


「急で申し訳ないんですが明日の夜、空いてませんか?」


「空いてます、けど」


 いきなりすぎて話が、見えない。


「実は友人がリサイタルを開くんですが、よかったら一緒に行きませんか」


 リサイタル……。急転直下の展開に、わたしの頭馬鹿になってる。混乱して口が利けないでいるわたしの沈黙を否定ととったのか、駅員さんが再び口を開いた。


「本当に急な話ですので断ってくれてもいいですよ」


「あ、いえっ!! そんなことないです。大丈夫です」


「「でも」」


 二人の言葉が重なった。妙に張りつめていた空気がふっと和らぐ。どうぞ、と促され、ずっと気になっていたことを口にした。


「……その前に、わたしたち名前も知らないんですけど」


 さすがにその通りだと気づいたのか、駅員さんは あ、という顔をしてちょっとだけ固まった。やがてわたしを見て、照れたように微笑む。


「そうでした。すみません。僕は栗生真哉くりゅうしんやといいます」


 どこかおろおろした様子がなんだか可愛い。多分わたしより年上だろうけど。そうか。栗生さん、って言うんだ。ようやくフルネームがわかった。


「あ、わたしは」


「カワノベサキさん」


 眩しそうな顔をして口にしたその名前はまさにわたしの名前で。


 あっけにとられる。


「どうして?」


 ……わたし名乗ったっけ?


「すみません、この間定期を」


 定期? あ。改札で引っかかった時か! あんな一瞬で?


 どんな表情をすればいいのかちょっとだけ迷って、駅員さんの、親に悪戯が見つかった時の子どもみたいに不安そうなその顔に小さく吹き出した。


「いつも、そんなことするんですか?」


「……初めてです」


 苦笑というのか、はにかんだというのか、その表情がストレートにクる。いまのやりとりで少し不安になったのか、念を押すように駅員さんがもう一度聞いた。


「明日、本当にいいんですか?」


 少し考える。……今のわたしの正直な気持ち。誰を選ぶとかじゃなくて、駅員さんのことをもう少し知りたいと思った。


「本当に、いいです」


 よかった、と駅員さんがホッと息をついて、「じゃあ駅に四時に来ていただけますか」と続ける。


「四時、ですね」


 わかりました、と答えたとき、遠くから駅員さんを呼ぶ別の年配の駅員さんの声がした。


「っと、すいません。もう行かないと」


 そりゃそうだ。駅員さんはお仕事中。何となく名残惜しいと思っても。


「お仕事頑張って下さいね」


 一瞬駅員さんはちょっとだけ目を瞠って、わたしの大好きな笑顔になった。


「ありがとうございます。気をつけて」


 仕事に戻ってゆく駅員さんを見送って、自然と頬が緩む。


 いきなりデートの約束を、してしまった。……えーと、デート、でいいんだよね? 


 外はこんなに寒いのに、なんだかホカホカな気分になった。




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