四十二話 誘導作戦
「この辺で、一旦休憩しよう」
炎の海から抜け熱風を感じなくなるまでは慣れた森の中、紫狼に乗るハルキは疾走を緩め背後を振り返る。燃え盛る炎に染まる空の彼方は、長い夜の終わりが訪れようとしていた。
「お疲れ、水飲む?」
ぜぇぜぇと全身で呼吸をするカイザックたちは、返事さえ億劫そうにハルキの申し出に頷きを返す。
気管支を焼かない程度に温度を調整されていたとはいえ、炎に熱せられた大気と地熱を完全には遮断できず、40℃近い気温の中を長距離走ればいくら普段から鍛え上げている騎士と言えど体力の消耗は激しかった。
「紫狼も、お疲れ」
紫狼の背から降り労いながら、ハルキは無造作に各自の顔前に水球を作る。戸惑う面々に構わず、ハルキと紫狼は浮いている水球に齧り付くように水を飲む。
「熱かったぁ。もう、炎の中を走るのはいいかな。面白い体験だったけど、くそ熱い」
「・・・あの生き地獄が、”面白い”ですか。そもそも、炎の中を疾走するような事態に陥る人間はいませんがね」
「ボクの場合、熱いのが難点なだけで死ぬ危険性はないからね。火傷とかしてる人いない?紫狼は、肉球大丈夫?」
年かさの騎士の突っ込みに、ハルキは笑いながら返し怪我の有無を尋ねる。肉球を舐める紫狼は大したことはないというようにハルキを見返し、他の4人も首を振ってそれに答えた。
「それじゃ、ちょっとこれからのことに関して話し合おうか」
序でと言うように、荷物を漁り軽食になりそうなものを探る。
――あ、失敗した。フォンに荷物渡すの忘れてた。・・・ま、何とかするか。子供じゃあるまいし。
アルフォンの荷物が目に入り、今更ながらに思い出しながらも気にしても仕方がないと早々に見切りをつける。
「とりあえず、これからのことだけど。ザックさんだけ?貴方たちはフォンの行き先知ってるんだよね?」
「その前に、その仮面を外してくれないか?」
干し肉を配り終えて話を切り出すハルキに、カイザックが待ったをかけた。
「悪いけど、今その必要性は感じない。貴方たちもだろうけど、ボクも君たちを信用はしていないんだよ」
仮面に隠れた表情が唯一うかがえる口角が笑みを形作るが、切り出された言葉は友好的なものとは程遠い。4人は非常事態で押し隠していた警戒を顕わにし、空気が一気に重くなる。
「切り札は、そう簡単に捨てられないものでね。もう少し君たち・・・というか、君たちの上にいる人間を見極めてからにさせてもらうよ」
「ならば、悪いけど君をこれ以上殿下の傍近くに置くことはできない」
「それを決める決定権は、君にはない。これはフォンとボクの約束の問題であって、君たちには関係ないからね。ただ一つ言えることは、今フォン側であると言っている君たちに、選り好みしている時間も余裕もないということを自覚した方がいいよ。ボクもこの国に入ったのは最近だからお国事情の詳しいことは知らないけど、後手に回っているのはフォンの側なんだから。下らない的外れな義務感で、時間を無駄にする気はない」
殺気にも似た眼光で睨むカイザックに、ハルキは穏やかながら譲らぬ視線で仮面の下で笑い返す。
静かに睨み合いがしばらく続き、諦めたのはカイザックだった。逸らされる横顔に、ハルキの指摘を認める悔しさにじみ出ていた。
今の第一皇子派は、四大公爵 ディオルグバーン公爵ただ一人。皇帝が病床に臥せって余命間近と噂され且つ継承式が2ジューン後に迫る今、クラヴィスが率いる第三皇子派が優勢となっている。
たとえ継承争いに負け蜂起するにしろ、亡命となるにしろ、どんなに胡散臭かろうがハルキ程の精霊使いを手放すことはできない。
「さて、時間は有限だ。ボクがどこの誰で、如何いう経緯でフォンと一緒にいるのかは君たちの上司と合流してから話そう。今は、ボクを登用した第一皇子殿下殿の人を見る目を信用して話を進めさせてもらう。異論は?」
ハルキの正論に引き下がるカイザックに倣い、他の3人もそれ以上の問答を諦めた。
「まず現状を話せば、森の外に何隊か追手がかかってる。今一番近場の隊があっちの方にいる」
右手で僅か後方を示しこともなげに言うハルキに、カイザックたちは緊張を高める。
「フォンたちの方は無事危険域を出たみたいだけど、ボクたちはまだまだ敵さんの網の中にいる」
「本当か!?」
アルフォンの情報に表情を明るくするカイザックに、ハルキハ頷いて返した。
「風霊で確認する限りじゃね。で、最初の質問に戻るけど、フォンの行き先は知ってる?」
「勿論」
「それなら、合流する前に少し偽装工作をしておきたい。敵側の捜索隊は、まだフォン本人を確認できていないけど、フォンがあの包囲網ないにいることを見越してこの凶行に出ていると思っていいはず」
自分の推察を話すハルキに、他全員が無言で同意する。
「そして、今彼らが第一皇子だと思っているのは、仮面をつけた吟遊詩人と一緒にいる男だ。つまり・・・」
「君と一緒に敵を殿下から離す為に誘導する。と言うことか」
作戦を察したカイザックが、興味を示したように身を乗り出す。
「そういう事。向こうも術者が精霊の動きでフォンがいると思っているみたいだけど、あくまで確率論であって、包囲網に囲い込んだのがフォンかは確証を持てていない。ここで、確認したいことが1つある」
「なんだい?」
「ここからフォンの逃亡先への距離は近い?」
「大体、歩きであと2日半といったところかな。俊足騎獣で1日で着くよ」
「なら、ここで敵側に目撃はされたくないなぁ。フォンが逃げた場所以外で逃亡先候補として上位に考えられる別方向への沿線上の街での目撃情報を作って、そっちに目を向けさせたい」
「あの、何故でしょう?殿下の追撃兵を減らすためにも、ここら一体の兵を別方向へ誘導した方がよろしいのでは?」
年若い騎士の質問に、ハルキは首を振る。
「いや。候補として有力な土地の近くで目撃されてしまうと、追う側としては追いかけるより目的地だと思われる場所への警戒態勢を強くするはずでしょ」
「あ!そうか」
「フォンの逃げ道を警戒されるのは困る。それで、君たちの方が情勢に詳しいでしょ。第一皇子としての立場上のことも。その上で、別方向で逃亡予測先となりうるフォンが目撃されてもおかしくない土地で、且つ伝令が伝わりやすい敵側の人間が収める領地はない?」
「クラヴィス側の?」
「そ。フォンとも一応、別の場所へ移動しているように見せかけて、偽装しながらここまで来た。だけど、フォンの逃げる可能性の高い領地までの道に配置される敵の駒をこちらに引付けるには、わざと提示した情報がすばやく伝導してくれないと、意味がない」
ハルキの説明に、カイザックは吟味するよう伏せていた目を上げ、重々しく口を開く。
「・・・君は、随分戦略に長けているようだけど、どこかの国に軍属していた経験が?」
「まさか。組織なんてものはね、面倒なだけなんだよ。国家なんて、その最たるものだね。戦略云々に関しては、そういう書物が好きだっただけだよ。孔明とか、ナポレオンとか、偉大だよね」
「コウメイ?ナポ?なんだって??」
首をかしげるカイザックに苦笑し、ハルキは顔を振る。
「何でもない。とにかく、目的地を決めよう。それから、ここから先はザックさんとボクが行く。君たちは、大きな街で足の速い騎獣を一匹だけ用意して違う街で待機してて」
指示を出された3人の戸惑いに、カイザックは説明するように察した意図を確認する。
「時間がないから、僕と君だけで機動力を上げるわけだね。でも、騎獣というのは?」
「目撃情報を作ったらフォンと早く合流したいけど、ザックさんまで乗せてたら紫狼に負担がかかりすぎるからね。騎獣を確保してもらって、彼らと落ち合うまで紫狼に頑張ってもらう方が負担が減っていい。ただ、気を付けるべきは騎獣の購入だと思ってる。ボクなら、逃亡手段である騎獣の売買状況は警戒するから。もしかしたら、って思っているんだけど」
機動力は警戒すべき軍事の情報。この世界の足である騎獣の売買情報は、騎士団でも常に注視される。
「その点でしたら、卸の店ではなく私の馴染みの猟師に直接交渉すれば足が付きにくいかと」
ディオルグバーンの騎士の一人が進み出る。
「これで問題はないか。僕は、君の作戦に賛同する」
こうして出現場所を打ち合わせ行動が決定した頃、空はようやく青を取り戻そうとしていた。