第1話 0
この世界では、すべての人間に《存在値》という数字がある。
俺の数字は、0だった。
俺が死んだのは、三日前だ。
夜道で車に轢かれた。
たぶん即死だったと思う。
そして今。
なぜか俺は、異世界で十六歳になっている。
「アルト。聞いてる?」
隣を歩いていた女の人が、俺を見る。
この人はミレナ。
この身体の母親だ。
つまり、俺の母親ではない。
「聞いてるよ」
「じゃあ今日、何をしに行くの?」
「……健康診断?」
「存在値の測定」
「ああ。それ」
ミレナがため息をついた。
この世界で目を覚まして三日。
俺は昔の記憶を失ったことになっている。
本当は違う。
俺はアルトという少年ではない。
三日前までは、日本で働いていた二十五歳の会社員だった。
でも、
『あなたの息子の身体に、別世界で死んだ男が入ってます』
なんて言えるわけがない。
なので記憶喪失。
便利である。
「存在値って、結局なんだっけ?」
「昨日説明したでしょ」
「昨日は火を出す魔道具の方が気になってた」
「……昔はそんなに魔道具好きじゃなかったのに」
一瞬、ミレナが変な顔をした。
「記憶なくしたからじゃない?」
「そういうもの?」
「私に聞かないで」
どうやら押し切れた。
たぶん。
「で、存在値って?」
ミレナは少し考えた。
「簡単に言えば、その人が周りにどれくらい影響を与えてるか。それが数字になったもの」
「高い方がすごい?」
「だいたいはね」
分かりやすい。
ゲームのステータスみたいなものだ。
「母さんはいくつ?」
「五十八」
「高い?」
「普通」
「じゃあ俺も五十くらい?」
「測れば分かるよ」
なるほど。
せっかく異世界に来たんだ。
百くらい出てもいい。
魔法。
剣。
城壁。
昨日なんて、何の肉か分からない串焼きまで食った。
異世界転生なんて、本当にあるらしい。
しかも二十五歳から十六歳。
今のところ、悪くない。
「着いたよ」
白い石造りの建物の前で、ミレナが止まった。
俺と同じくらいの年齢の奴らが何人も並んでいる。
「終わったらここにいるから」
「一緒に入らないの?」
「十六歳でしょ」
「記憶は三日ですけど」
「そういう時だけ子供になるのやめなさい」
冷たい。
中へ入る。
受付。
長椅子。
番号札。
異世界でも役所は役所らしい。
列の先には、透明な板が置かれていた。
少年が手を乗せる。
板が光る。
『47』
次。
『55』
次。
『41』
へえ。
本当に数字が出る。
四、五十くらいが普通っぽい。
俺はいくつだろう。
この身体のアルトがどんな奴だったかは知らない。
でも母親はいる。
家もある。
近所では何人か俺の名前を知っていた。
なら三十はあるだろ。
できれば五十。
せっかくだから百。
「次」
呼ばれた。
椅子に座る。
担当の男が紙を見る。
「アルト・レイン」
レインって名字だったのか。
今知った。
「右手を置いて」
透明な板に手を乗せる。
少し冷たい。
待つ。
何も起きない。
「ん?」
担当の男が板を叩いた。
異世界でも調子が悪い物は叩くらしい。
「もう一度」
手を離す。
置き直す。
板が光った。
数字が出る。
『0』
「……低くない?」
俺は笑った。
担当の男は笑わなかった。
「手を離して」
「はい」
もう一度。
『0』
男の顔が変わった。
別の職員が呼ばれる。
別の板を持ってくる。
「もう一度」
三回目。
『0』
周りが静かになった。
「そんなヤバいんですか?」
男は答えない。
俺と数字を何度も見比べている。
「……ありえない」
「何が?」
「0なんて出るはずがない」
「でも三回出ましたよ」
「そうじゃない」
男が首を振る。
「存在値が0まで落ちた人間は……」
そこで言葉が止まった。
「何です?」
男は、今度は俺そのものを確かめるように見た。
「普通、誰にも認識されなくなる」
俺は少し黙った。
「……でも」
自分を指さす。
「見えてますよね?」
「見えてる」
「声も?」
「聞こえてる」
「じゃあ大丈夫じゃないですか」
「大丈夫なわけあるか」
即答だった。
さっきまで数字を見て笑っていた周りの奴らも、全員こっちを見ている。
俺はもう一度、透明な板を見る。
『0』
何度見ても変わらない。
さっきまで百くらい欲しいと思っていた。
百どころじゃなかった。
「じゃあ」
急に、笑えなくなった。
「俺って、何なんですか?」
誰も答えなかった。




