第1話:クビになった日、王都の荷が止まった
「ロイド・ハーヴェン。お前は本日付けで解雇だ」
若旦那の声が、倉庫の二階に響いた。
「理由は——まあ、聞くまでもないな。台帳をつけるだけの無能に、ヴァルガ商会の給金は払えん」
私は手元の荷札から顔を上げた。インクがまだ乾いていなかったので、吸い取り紙をそっと当ててから、ペンを置いた。
「承知しました。引き継ぎはどなたに?」
「引き継ぎ?」
バルド・ヴァルガ専務——商会長のご子息で、三年前から私の上司ということになっているお方は、鼻で笑った。
「倉庫番の引き継ぎに何が要る。荷物を数えて、紙に書く。それだけの仕事だろうが」
それだけの仕事。
なるほど。三年間、この方の目に私の仕事はそう映っていたらしい。であれば、私から申し上げることは何もない。給金を払う側がそう判断したのなら、それがこの商会の決定だ。
「では、せめてこれを」
私は机の引き出しから、紐で綴じた紙の束を取り出した。この日のために——というわけではないが、毎月更新していたものだ。
「引き継ぎ書です。王都二十八路線の配送順序、荷主ごとの締め時刻、雨天時の迂回路、御者の得手不得手、東門の荷捌き場の割り振り表。それから腐りやすい荷の優先順位が三十六項目。全部で三百枚ほどありますが、最初の十枚だけでも——」
「要らん」
バルド専務は紙束を一瞥もしなかった。
「お前の落書きなんぞ、誰が読むか。明日から王都の物流は俺が直々に見る。ヴァルガの嫡男たるこの俺がだ。倉庫番の紙切れの出る幕はない」
「……左様ですか」
私は紙束を机に置いた。読まれない引き継ぎ書ほど悲しいものはないが、置いていかないという選択肢は、私の中になかった。荷は、誰かが流さなければならないのだから。
私物をまとめると、革鞄ひとつに収まった。三年勤めて鞄ひとつというのは身軽でいいのか寂しいのか、よく分からない。
倉庫を出る時、荷揚げ場の若い衆が数人、ちらりとこちらを見た。誰も声はかけてこなかった。当然だ。彼らから見ても、私は「二階で紙に何か書いている人」でしかない。
唯一、門のところで老守衛のヤコブさんが煙管を下ろした。
「ロイドさん、辞めるのかい」
「クビになりました」
「……明日の朝イチの便、東門は三番蔵からだったよな。夏場は日が昇りきる前に、足の早い荷から出すんだって、あんた言ってたが」
「ええ。荷札に赤丸をつけておきました。赤丸の順に出せば大丈夫です」
「誰がその赤丸の意味を知ってるんだい」
私は少し考えて、答えられなかった。
ヤコブさんは深いため息をつき、それから私に頭を下げた。三年間で、この商会で私に頭を下げた最初で最後の人だった。
——さて。
夜の王都を歩きながら、私は今後のことを考えた。貯えは半年分。再就職の当てはない。なにせ私の解雇理由は「無能」で、バルド専務はご丁寧にも同業の組合へその旨を回状で流すと仰っていた。王都で台帳の仕事に就く道は、たぶん塞がれる。
(であれば、王都を出ましょうか)
不思議と、腹は立っていなかった。ただ、胸の奥に小さな引っかかりがあった。
解雇の手際が、妙に良すぎたのだ。
私の解雇通知には商会長の印が捺してあった。バルド専務の独断なら、あの判は要らない。回状の手配も、退職金の即日精算も、まるで……何週間も前から、誰かが段取りを組んでいたかのように。
(考えすぎですね。無能がクビになった。それだけの話です)
私は西へ向かう乗合馬車の切符を買った。行き先は適当だ。西街道の終点近く、アルバとかいう宿場町。御者が「何もない町だよ」と笑っていた。
何もないなら、ちょうどいい。私も今、何もない。
*
翌朝。王都東門、荷捌き場。
日の出と共に、二十六台の荷馬車が一斉に到着した。いつもの朝だ。いつもと違うのは、二階の窓から割り振りを叫ぶ声が、ないことだった。
「おい、三番蔵が開かねえぞ! 鍵はどこだ!」
「果実の荷が先か? 反物が先か? 誰が決めるんだ!」
「専務はどこだよ!」
バルド・ヴァルガが二日酔いの頭を抱えて出勤してきたのは、太陽が三つ分も昇ってからだった。その時にはもう、荷捌き場は立ち往生した馬車で二重三重に塞がり、北の市場へ届くはずだった朝採れの魚が、日向でゆっくりと温まり始めていた。
誰も気づいていなかった。
王都の物流が——今この瞬間、止まったことに。
お読みいただきありがとうございます。クビになった倉庫番の、戦わないざまぁと宿場町再建のお話です。次話、ロイドが流れ着いた宿場町アルバには「何も無い」……はずが? ブックマーク・評価で応援いただけると、荷とともに励みが届きます。




