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白日夢 ―エーゲ海に捧ぐ鎮魂歌—  作者: 北峰


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第八話 不吉な予言

「だ、旦那様、一大事でございます!」

 どたどたと騒々しい足音を立てて室内に駆け込んできたコノンを、レオゴラスは冷たい視線でにらみつけた。


「何ごとだ、騒がしい! おぬしにはイリアたちを追わせてあっただろう!」


 父親を突き飛ばして壁に穴を開け、地震の混乱にまぎれて逃げ出した娘を即刻捕らえるよう、レオゴラスはコノンに命じてあった。だが今、コノンは主人の命令よりも重大なことを伝えに駆け戻ってきたのだった。


「お嬢様の捜索は他の者に命じてございます。それよりも、あれをご覧ください!」


 顔を朱に染めたレオゴラスは憤然と立ち上がり、窓に近寄った。そうしてコノンの指す方角を眺めやり、愕然とした。


 窓の向こうには黒い影がそびえていた。海に臨む丘の上、天に向かって屹立きつりつするそれは、長年使われていないはずの古びた物見(やぐら)だった。月光に照らし出されたその頂上に今、一つの人影があった。


「馬鹿な! なぜあのようなところにいるのだ? 見張りをつけておかなかったのか!?」


 櫓には、どこから火を持ってきたのか、親切にも明かりが灯されていた。その炎の揺らめきに映し出されたのは、彼が捕らえて地下牢に押し込めていたはずの、あの虜囚の姿だった。


「いえ、確かに閉じ込めておいたはずなのですが……」


 コノンも困惑を隠しきれなかった。地下牢には当然のこと窓はなく、出入り口も完全に封鎖していた。どうあっても抜け出せるはずがないのだ。それなのに現実にはこうして、とんでもないところに姿を現している。


 主従二人は呆然と遠く離れた櫓を見つめた。どうすべきか、それさえも考えられないほど、彼らの思考能力は停止していた。

 すると突然、その人影が櫓の高い頂上から身を乗り出そうとしたので、レオゴラスは慌てて大声で叫んだ。


「ま、待て! 早まるな!」


 あの櫓の高さから身を投げれば、墜落死するのは間違いない。櫓は海に面しているが、その真下は切り立った断崖だ。落ちれば岩に全身を叩きつけられて、呆気なく絶命するだろう。

 黄金の在り処を聞き出すまで、レオゴラスはどうしても古の民の末裔を死なせるわけにはいかなかった。


「おまえたちに膝は折らないと言っただろう?」


 必死で呼びかけるレオゴラスを、遠くからリュシアスは突き放した。風の向きだろうか、その声は驚くほどはっきりと夜空に響いた。その冷然とした声音に、レオゴラスは気おされてそれきり言葉を飲み込んでしまった。


 街の支配者を一言で黙らせて、先住民の最後の生き残りは、櫓の上から仇の種族たちを轟然と見下ろした。


「最後にいいことを教えてやろう。北の民が近いうちに大量に押し寄せてくる。その時、おまえたちはなすすべもなく、我々と同じ末路をたどることになろう」

「な、何だと――!?」


 レオゴラスは目を瞠った。その不吉な予言は、彼が常に案じていた通りのことだったのだ。さらに言いつのろうと口を開きかけた彼は次の瞬間、凍りついた。

 人影は、櫓の上からためらいもなく飛び降りた。




「――リュシアス!」


 絶望的な悲鳴が上がった。

 ラウィニアが指差した方角を見た時、イリアは丘の櫓の上に人影を認めた。それがリュシアスだとわかるまで、さほど時間はかからなかった。櫓の上には明かりが灯っていたし、何より異民族らしい風体は、離れた場所からも確認できた。


 だからこそ、目の前で起きたことが信じられなかった。あれがリュシアスだとわかっているからこそ、彼が取った行動を認めたくなかったのだ。


「嘘……嘘よ、どうして……」


 イリアは震える声で呟いた。


「お嬢様……」


 隣で気遣わしげな目を向けるラウィニアも、イリアと同様に蒼ざめていた。彼女たちは二人とも、今自分の目で見た光景が信じられなかったのだ。


 イリアがここまでリュシアスに肩入れしてきたのは、ひとえに彼を救うためだった。彼が助けを望んだからこそ手を差し伸べたのに、その相手が突如、身を投げるなどという事態を信じられるはずもなかった。


 しばらくそうして自失していたためだろうか、呆然と立ち尽くす二人を発見した下男たちの叫び声が背後から上がった。


「いたぞ!」

「早くお連れするのだ!」


 我に返り、振り向いた時にはすでに下男たちはすぐそばまで迫ってきていた。咄嗟のことで、イリアは身動きが取れない。

 お嬢様を捕まえれば褒美を与えると言われていた下男は、嬉々としてイリアを取り押さえようと駆けてきた。


 つかみかかる男の手。

 凍りつくイリアの顔。

 その間に、いきなり別の影が割り込んだ。


「なっ、何をする? ラウィニア!」


 予期せぬ攻撃に、男は尻餅をつきながら顔を真っ赤にして叫んだ。先にイリアを捕らえようとした男に、ラウィニアは力任せに体当たりを食らわせたのだ。だが、やってきた下男はもう一人いる。その男がイリアを捕まえては何の意味もなくなってしまう。


「お嬢様、早く行ってください! リュシアスのもとへ――」


 すでにもう一人の下男はイリアのすぐそばまで迫っていた。それまで凍りついたように身動きが取れなくなっていたイリアは、ラウィニアの声でようやく呪縛が解けた。


「お嬢様? お待ちを――!」


 下男の呼び止める声を無視して、イリアは身を翻して走り出した。ちらりと視界の端には、体当たりされた下男が逆にラウィニアにつかみかかって責め立てているのが映った。だが、今は戻って止めさせる余裕はない。このまま逃げ続けるよりなかった。


 まったく、ラウィニアには何から何まで迷惑をかけっぱなしだ。これもすべて自分のわがままのせいだと思うと、不甲斐なさに情けなくなってくる。

 それでも、今は真っ先に駆けつけなければならない場所がある。だから彼女は真夜中の街道をひたすら駆け続ける。もう手遅れだと頭のどこかで理解しながら、それでも彼女は足を止めなかった。


 リュシアスが櫓から飛び降りた瞬間、彼が放った言葉が夜風に乗って運ばれてきた。祈りの言葉を読み上げたのと同じ口で、彼は自分たちの種族を呪っていった。


 彼が自分たちを怨み、憎んでいるかどうかなど、考えるのは後回しにしようと決めていた。今はとにかく彼を助けることが先決なのだと。盛大な恨み言は万事が済んでから聞けばよいのだと、そう思っていた。それなのに。


 こんなことがあっていいはずがない。

 こんな結末を望んでいたわけではないのに。


「リュシアス――!」

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