ある町と魔石
一人の中年の男性が、しばし黙った後、おずおずと口を開いた。
「……本当のことを言っても、信じてもらえないかもしれませんが…」
「でも、言ってもらわないと始まりません」
エミリがそう促すと、男はうつむいたまま、ぽつぽつと語り始めた。
「魔石が足りなくなったのは……国が勇者を召喚するために、大量に使ったからなんです。……なんでも、魔王を討つためとか……」
エミリの背中がゾクリと冷えた。
――異世界から召喚…まさか。
「その召喚術って、大量に魔石が必要なんですか?」
「はい。うちの町は魔族領に近くて、……それで、国から“魔石がもっと必要だ”って命令が来て……」
そこまで語ったところで、別の若い男が声をあげた。
「それで貴族様は、“何が何でも採ってこい”って。領主が王族に逆らいたくないから、領地の者を毎日の様に森に向かわせて……!」
悔しそうに拳を握りしめる。
その手は、ひび割れ、血がにじみ、爪の間には泥と石屑が詰まっていた。
「俺たちの仲間、二人は途中で倒れたんです…魔物にやられて…。帰っても、今度は“失敗した罪”で罰を受けるかもしれない……でも行かなきゃ、家族もどうなるか…」
その言葉に、ピリカが小さく息をのんだ。
「人族の町って……そんなにひどいんですか……?」
エミリは何も言えなかった。
頭の中で、召喚、王族、魔石、鈍く脈打つように絡み合っていく。
(わたしも……そうやって呼ばれたの?)
そのとき、村長が険しい声で言った。
「それで、また魔石を盗むつもりだったというのか。理由があれば、何をしても許されると?」
「……違う、そんなつもりじゃ……でも、他に方法がなかったんです……!」
若者の声が、森の深い静寂の中に吸い込まれる。
それは言い訳でも開き直りでもなく、ただ淡々とした“事実の告白”だった。
エミリはその声を受け止め、そして一歩、前に出た。
「なるほど…まるで、私の世界で言う“ブラック企業”も顔負けの搾取構造ですね。
つまり、“働くことを強いられ”、失敗すれば処罰され、家族にも被害が及ぶ。
それが、あなた方が置かれた現実……というわけですか」
森に吹く風が、ぴたりと止まったかのように感じられた。
「ですが、他に手段がなかったからといって――“盗む”という選択を正当化できるわけではありません。
それも、魔族の領域から、魔族を攻撃するために使う資源を、です」
静かに、言葉を選びながら話す彼女の声は、どこか冷たい響きをもっていた。
「つまりこれは、“戦争を維持するための材料”を得るために、あなた方のような末端の人々が動員され、危険に晒されているということです。
目には見えないかもしれません。直接、誰かに殴られたり罵倒されたりするわけではない。
でも――これは確かに存在する、“形を変えた暴力”です」
その場にいた人間たちは、難しい単語の一つ一つを完全に理解したわけではない。
だが、その内容の厳しさは、確実に伝わっていた。
「そもそも、魔族との戦い自体が“前提”であることが、すでにおかしいのです。
その対立構造がどこから来たのかを、誰も疑わない。
“当たり前”に疑問を持たなくなった時、人は思考を放棄し、加害に加担するようになります」
村長が口をつぐみ、エルヴィンとアレイスが目を伏せる。
「今日あなた方が見た通り、魔族は対話の通じる存在です。
それでもあなた方が『やはり魔族は恐ろしい』と感じるなら、それは“刷り込み”です。
恐怖は伝染します。恐怖に支配される社会は、理性を失い、ただ命令に従う歯車になります」
沈黙が、重く落ちる。
「……私は、別の世界から来ました」
エミリは背筋を伸ばし、まっすぐに人々を見渡す。
「そして、ここに来て思ったんです――“ああ、こっちの世界も、私のいた場所と大して変わらない”って」
静かに、けれど迷いのない口調で言葉を継ぐ。
「見えない圧力で人を縛り、命令に逆らえば罰し、異を唱えれば排除する。
誰かの利益のために、誰かが犠牲になる構造は、世界が違ってもそう簡単には変わらない」
エミリは一度、目を伏せ、そしてまた顔を上げる。
「でも、だからこそ私は、知っているんです。
声を上げることに意味があると。異を唱える者がいなければ、何も変わらないままだと」
その瞳には、かすかに過去の記憶が宿っていた。
「この世界の“歪み”は、たしかに私には見えます。
でも、私のいた世界だって、綺麗ごとでは語れない。
だから私は……その両方を知っている者として、関与する責任があると思うのです」
森の空気が、彼女の言葉の一つ一つを飲み込むように静まりかえる。
「せっかくこの世界に呼ばれたからには、たとえ乏しい知識でも、できる限り活かしたいと思っています」
エミリはまっすぐに前を見つめ、言葉を続ける。
「大それたことができるわけではありません。けれど…何もしないで傍観するのは、私にはできません。
小さなことでも、誰かの苦しみが少しでも軽くなるのなら、やる価値はあると、私は信じています」
その言葉は、特別な魔法でも、命令でもなかった。
けれど、森に集まった人間たちは思わず息を呑んだ。
――まるで、光が差し込んだかのように。
木々の隙間から射し込む陽が、ちょうどエミリの背に重なっていたせいかもしれない。
だがそれは、彼らの目にまるで“後光”のように映った。
過酷な日々の中で失いかけていた希望の輪郭が、そこにあった。
「……あの、皆さん?」
エミリが首をかしげながら、おずおずと口を開いた。
「とりあえず少し休憩して、水でも飲んで……それから、会議、開きましょうか?
あっ、無理に議事録とか取らなくていいですけど、現状の整理だけでも」
その言葉に、疲れ果てていた人々から微かな笑いが漏れる。
ようやく、張りつめていた空気がゆるんだ。




