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~8.

 梅雨を連想させる水無月がカレンダーから顔を出した。早くも六月が訪れ、今日は体育祭というなんとも面倒な行事が行われる。仮病で欠席という最も逃げやすい手段でクラスの団結を裏切ってやろうという考えは持っているのだが、なにぶん幼馴染の小言がうるさい。二つあるように見える選択肢は実質一つしかない。


 中学の頃の体育祭と言えばジャージ登校という辱めを受けたものだが、高校になってからは当日も制服での登校を義務付けられている。理由は色々あるんだろうが、俺はこっちのほうが助かると思っている。

 こちらの理由としては『指定のジャージがダサい』という大きなものが掲げられるのだが、そういった大半の生徒の意図を汲んでいる辺りはこの高校を評価してやってもいいと思っている。


 只今開会式の真っ最中なのだが、校長の話は言うことを聞かないマイクのハウリングに度々邪魔をされ、グラウンドに立たされた者たちの鼓膜をそのノイズと『眠気の起こる不思議な話』で攻撃する。あぁ、けたたましい。


「和哉、和哉」

「ん? どないしてん?」

「帰ろう」

「うし、車出したる。ってアホ。まだ何もしてへんやん」


 確かに何もしていないが、これから何をするのかくらいはわかっている。陸上部が華麗に一位をかっさらう徒競走やら、足首を痛めて喜ぶマゾヒズム競技のムカデ競走やら、誰かがバトンを落とすのが醍醐味の対抗リレーやら。すまんが俺は何も楽しいと思えない。


「めっちゃだるそうやで自分」

「だって帰りたいんだもん!」

「うわ、恐ろしいほどキショい。なんやねん」

「汗水たらして感動の時代はもう終わったんだよ」

「んなもん始まってもないわ」


 午前中には俺の出る種目は全部終わる。そこまでこの学校の敷地内にいられれば上出来だろう。あとは帰路を辿るのみだ。

 百瀬から頼まれた文化祭の原稿も順調に進んでいるところで、家に帰れば筆が進むという奇跡的執筆状態が1週間ほど続いている。そんなモチベーションでグラウンドを元気に走れるわけが……ありそうだな、脈絡的に。


 地獄の開会式を終えるとすぐに俺の出る種目が始まる。なんてことはないただの百メートル走だ。残念なことに俺は短距離走はかなりの得意分野であり、陸上部員でもないのに『ここは負けられない』というプライドに堕落を邪魔されてしまうのだ。


「夏樹! 目指せ9秒台!」

「馬鹿、日本人は未だかつて10秒を切ってないんだぞ」

「そのくらいの気持ちで走れってこと!」

「まぁ12秒は余裕で切れるな」

「おぉ……」


 体育の授業で計ったときは11秒50くらいだったか。スポーツでは短距離とバスケしかできないもんで、小説はとてもじゃないが特技とは言えないから実質俺の特技はこれらだけ。何度も思ったが、興味のない分野で才能を与える神を恨みたいね。


 スタート位置に着く前に、俺と共に走る暫定敗北者をしっかりと確認しておこうか。別に負けるのが怖い訳じゃない。この学年には10秒台の全国クラスの化け物がいるから、そいつと当たっていないかだけ確かめているのさ。

 化け物スプリンターがいないことを確認し一息つく頃には、出走までほとんど猶予がなかった。なに、G1レースの出走直前の競走馬に比べれば大したことはない。ゲートが開く瞬間を待つときの奴らの荒い鼻息と、ちっぽけな俺の心臓の鼓動の価値の違いってものさ。俺の順位に国民の期待は乗っていない。


 クラウチングスタートとスタートの合図。俺の自称俊足の秘密はまさにこれ。トップスピードを長く維持できない俺にとってスタートとはレースを制する重要なタイミングである。筋力トレーニング等の努力次第で伸ばせるレース後半部分は努力しないので伸びない。トップスピードだけは速いという無努力才能型の俺が好タイムを出すにはむしろこれしか残っていないのである。

 まぁ陸上については独自の理論でしかないからなんとも言えない。陸上部員からすりゃ宝の持ち腐れだが、俺にとっては必要ない才能なんだ。練習すりゃもっと速く走れるのにな。


 スタートラインに構え、合図を待つ。スターターピストルの放つ近所迷惑な破裂音が、名もなき競走馬を走らせた。




 ――無事、ゴールテープを切る。2位の奴が完璧なスタートで焦ったが、単勝オッズの一番低い俺が負けては裏切りになってしまうからな。今回は1着を半馬身差で頂いた。

 正直もうこれだけで満足なんだが、体育祭全体から見れば俺のレースなどは前座にも満たない。幼馴染の小言ではなく、活気に満ち溢れたグラウンドと勝利の余韻が俺を引き留めた。

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