第二十五話 逸る足取り 逸れる思考
特定災害対策特例法について
通称「特災法」
餐界に対処するために制定された特例法。
知性や理性が認められない敵性勢力に対しては、戦争ではなく駆除である、と定義している。
第4条には
「我が国或いは友邦において、その領土、主権、人命或いはその財産を保護し、保障するために、武力以外の有効な対処策がない場合に限り、軍事力の行使を認める」
との規定があることから、国防総省はあくまで侵入してきた個体を迎撃するにとどめている。
一方で解釈の余地が広く、また知性や理性があると判断するのは誰なのか、どこまでがこの法の範囲内なのかと言った点において議論が絶えない。
「平和主義を周囲へ喧伝するための方便に過ぎない」との意見も聞かれる。
―出典:Nelt百科事典
-海皇都 横瀬区 統合司令部庁舎
海都標準時 9月16日午前8時37分
横瀬区時間 同日午前9時37分
だだっ広く、周りの建物と比べても背の低い建物の廊下、そこまで高いわけではない天井にやけに靴音が響く。ところどころにある採光用の窓からの柔らかな光と、等間隔に配置された照明の無機質な白い明かりが、足早に歩く人々の不規則な影を映し出す。
早朝に風早が、顔を合わせるや否や見せてきたあの画像が頭から離れない。半分以上化け物に乗っ取られた惑星、時間が経てば経つほどこちらがじり貧になる。そうなる前に手を打つべきなんだろうが、彼は段階を踏もうとするだろう。それが総司令として正しい判断であると頭では理解していても、どうしても気持ちが逸ってしまう。
第九は早さが命だ。数日、数時間、数分、あるいは数秒遅れれば誰かの命が失われるかもしれない。そんな世界で指揮を執っていたイラクサからすれば、何度も分析と会議を挟むのはどうもまどろっこしく感じられた。
逸る気持ちに押されるように、彼女の足取りは速く、足音は自然と大きくなっていく。後ろからついてきていた風早も歩を速めたのが気配でわかる。足音が半拍遅れて重なった。
会議室の雰囲気だけ重そうな扉が、それを全く感じられない軽さで滑るように開いた。それと同時に室内の照明が明るくなる。
「あれ、誰もいない」
そのつぶやきは部屋に吸い込まれて消えた。普段早いイルミナすらいないとなると、時間が合っているのかすら不安になってしまう。
「まだ20分前ですからね。イルミナ指揮官でも大体15分前入室だし」
肩越しに風早が顔をのぞかせつつ言った。どうやら気が逸りすぎていたらしい。
「…そっか」
短くため息を吐いた後、一度考えを整理しようと思って定位置に腰を下ろす。手近な椅子を引っ張ってきて、風早も隣に座った。
「ライゼから続報ない?」
わかりきった答えを期待する。
「今のところは」
一瞬何かを探すように視線を泳がせた後、風早は短くそう答えた。彼女なら続報が入ったとしてもすぐに教えてくれるだろう、わかっていても聞きたくなってしまう。
「…そもそも動くのが第九強襲艦隊と決まったわけじゃないですから。…一回落ち着いてください」
内心を見透かしたように窘められた。自然とため息が漏れる。後頭部から生えた尾羽と一緒に頭を掻きむしりながら、もどかしい気持ちを意味のないうめき声に変換して放つ。急に大声を出されて驚いたのか、風早の目が少し大きくなった。
「何!?何事?」
その声に扉の方を見やると、白い女性が立っていた。正直もっと他に言うべきことがあるだろうが、パッと見の印象が「白い」のだから仕方がない。肌や髪が白いだけで別に服まで白いわけではないのだが、イメージとは恐ろしいものだ。
「おはようイルミナ、早いじゃん」
質問は無視して挨拶する。わざわざ説明するのも面倒な上に、彼女に言ってもしょうがないことだった。
「おはよう…え?でどうしたの?」
とりあえず挨拶は返してくれる。あわよくばそのまま忘れてはくれないかと思ったが、そううまくはいかないらしい。質問にどう答えたら良いものかと頭を悩ませ、面倒なのでそのまま話すことにした。
「風早に焦ってるの見抜かれて悔しい〜ってのが声に出ただけ」
言っちゃうんですかと言いたげな表情で風早がこちらを見る。これくらいなら別に困らない。
「なるほどね〜私もよく白鯨に色々バレてるなぁ…」
サブフレームって結構人を見てるよねと言いながら、慣れた手つきでケトルに水を入れる。特に焦っているようには見えなかった。
「そういえば今日は誰が来るんだっけ?」
風早にそう問いかける。確か直接参加はそこまで多くなかった覚えがあった。
「急な事だったので、海皇都に戻ってきていたスズナ補佐とフィルナ指揮官、あと総司令とルイス局長が参加するそうです。あとは遠隔になるかと」
今度は端末を開いて確認してくれた。どうやら今日の会議室は広く感じられそうだ。
イルミナが淹れてくれたコーヒーを片手に、仕事以外の雑談をする。最近流行っているコスメだの、山野都でカデイザの花が見頃だのと言った他愛のない話だ。事態が事態なだけに、始まる前から空気を重くしたくなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にかメンバーが揃っていたことに気づく。
投影映像が立ち上がり、全員が席についたのを確認してから、アスーイが口を開いた。
「よし…会議を始めよう」
いつも通りの軽い口調で会議は始まった。
それとは比べ物にならないほどの重い議題を乗せたまま。
(今回の艦艇解説はお休みです)




