7月 その22
掃除を中断する形で要らぬ誤解を解き、それからというもの僕らは先程よりかは建設的な会話を増やして、段々と部屋を本来の姿に戻していった。
部屋に鎮座している埃かぶりのインテリアや壁掛けの絵画も次第に余計なものが払われて行き、あるだけで大人しくも気品さを漂わせている。
綺麗にしといて言うのも何だが、触るのが恐れ多いくらいに。
この部屋の掃除が一段落して、ふと思い出す。
両隣の部屋にいる二人の様子はどうだろう?
「梅城さん、一旦ここを任せて良いですか?」
僕はそれだけを梅城さんに伝えると、不思議に思う事もなく即座に了承する。
「うん、良いよ。二人の様子を見に行くんだね。行ってきな行ってきなー」
察しが良いのとノリが軽い。
まぁ、さっきみたいに質問攻めを食らわずに済んだのは楽でいい。
梅城さんから快諾を得たので「それじゃあ、すいません。よろしくお願いします」ともう一度断りを入れて、僕は部屋を後にする。
廊下に出て、僕は両隣を確認してから考えた。
どちらから先に見に行こうか。
取り敢えず梅城さんと一緒に掃除をしていて、特段大きな物音が聞こえてくる事は無かった。
別荘の防音設備がしっかりしているとしても、何かが割れたり壊れたりするような大惨事が起こっていれば、多少なりとも嫌な音は聞こえてくるはずだがそういうのも無かった。
どちらかに急いで行かなければ……というのも無い今、行き先に悩みが生まれる。
二択の末、自然と僕の足は鵜久森ちゃんが担当する部屋の方へ。
足音を吸収する絨毯を踏み、二歩三歩と鵜久森ちゃんがいるであろう部屋へ近付いた。
ちゃんと掃除は出来ているんだろうか?と思った時、数メートル前のドアがガチャリと音を立てる。
その部屋からは鵜久森ちゃんが掃除用具を持って、やり切ったように一呼吸吐きながら出てきた。
「あ、鵜久森ちゃん」
「……そこで何してるんです?会長。もしかしてサボりですか?」
「いやいや、違うから」
出会い頭、何故か僕はサボりを疑われた。
「梅城さんと二人で隣の部屋を掃除してたんだけど、少し落ち着いてきたから鵜久森ちゃんとみっちゃんの様子を見ようと思って」
「ふーん……気になる所はありますが、そこはスルーするとしましょう」
えっと……どこに不審な点が……?
気になる所が気になってしまった僕は目が点になってしまったが、こちらもこちらで受け流すとしよう。
この場で無闇に詮索するのは面倒事になりそうではある。
鵜久森ちゃんから向けられる冷めた目をやんわりと苦笑いで躱して、そっと本題へ入るのを試みる。
「それで……掃除の進捗はどんな感じ?掃除用具を外に持って来てるって事は、もう終わったの?」
「まさか。流石に終わってはいませんよ。私の感覚的に七割八割ってくらいですね」
「えっ?そんなに終わってるの?」
鵜久森ちゃんは僕らと違って、一人でやってたんだよね?
こっちは二人だったからこそ何とか、誰かに見せても恥ずかしくないレベルまで掃除できたというのに……。
「疑うなら中を見ますか?」
「疑ってる訳じゃ……ただ驚いてるというか、ビックリしてるというか……」
「それ、一緒の意味では?」
本当だ。
変に動揺して、思考が機能しないまま感想を口走った。
返す言葉も無く口ごもる僕に、鵜久森ちゃんは淡々とした態度で尋ねてくれる。
「百聞は一見に如かず。部屋は目の前なんですから、ご自分の目で判断してください」
そう言うと鵜久森ちゃんは開けたままのドアを背にして、部屋へと招き入れる手振りをする。
「う、うん……」
怒る感じでもなく平静に応じられると、鵜久森ちゃんの言葉を信用しなかった手前、ばつが悪いな。
僕は部屋が悲惨な事になっていないか不安な気持ちになりつつ、そろりそろりと中を覗き込む。
「っ!!」
言葉にならない驚きが、さながら稲妻となって僕の中を駆け巡る。
部屋の中は自分が思ってた以上に綺麗だった。
いや……"思ってた以上に"は言葉として鵜久森ちゃんに失礼だ。
過小評価にも程がある。
僕と梅城さんと二人で掃除した部屋の状態より、こちらの方が頭抜けて綺麗だ。
単身でここまで出来るものなの?
というよりも────
「鵜久森ちゃん……聞くんだけど、これで七割って本当?」
他に何をやって残りの三割を埋めるというの?
「そうですよ。後は……そこの装飾品とかに壁に掛けてる物に適した手入れしたりですね」
僕らが掃除していた部屋にもインテリアなどはちらほらあったが……。
「えーっと……手入れって?」
僕には分からない分野の情報が耳に飛び込んできたので、率直に鵜久森ちゃんへ聞き返す。
個人的に内容は一般教養ではないと思うのだけど、鵜久森ちゃんは丁寧に解説してくれる。
「例えばですけど、銀製品の装飾品には塩素系の漂白剤を使ってはいけないとか、物によって細かいルールがあるんですよ。同じ木材であっても種類によってOKな事とNGな事があるんで、材質が何なのかをちゃんと把握するのも必要なんです」
「へぇ~」
目から鱗というか、そこまで考えた事が無かったというか。
自分の知らない世界に触れるというのは新鮮であり、勝手に賢くなったような気にさせてくれる。
知識として活用するのは……今の僕には難しそうだけど。
何はともあれだ。
鵜久森ちゃんにとって『掃除の完成形態』は、インテリアの細かい手入れを終える所までみたいだ。
想像以上のクオリティを見せつけられ、脳をパコーン!と軽い何かで叩かれた気分になった。
「何と言うか、鵜久森ちゃんの新しい一面を見れた気がする。疑ってた訳じゃないんだけど──いや、疑ってたのかな……ここまで本気で掃除ができるとは知らなかったし、細かい知識にも驚いたよ。本当に凄いね」
無自覚だったが何処か不安だったからこそ、自然と足は鵜久森ちゃんの部屋へ向かったんだろう。
最初は言葉で否定してしまったが、疑ってたと認めなきゃならない。
鵜久森ちゃんから飛んでくるであろうお叱りは、真摯の受け止めよう。
「私が生徒会に入ってもう少しで一年になりますけど、生徒会室を本気で掃除する機会なんて年末でさえ無かったですしね。日頃から整理整頓されてる良い証拠ですよ」
「言われてみれば……水雲さんがよく整理してくれてるイメージがある」
「真澄さんは定期的に埃とかの細かい掃除もしてます。だから散らかる事がそもそも無いんですよ、今の生徒会室は」
「そうだったんだ。そこまでやってるとは知らなかった」
「あと、手入れが必要な物はあんまり置いてないですし、私が本気を出す環境でもないんです」
……あれ?
もしかしてお叱りの言葉は飛んで来ないのか?
警戒していた割には事なきを得そう……でも、気を抜いた時にやってくる可能性は十分ある。
当分は慎重な言葉選びをしないと。
「で、姫島会長」
「え?あっ、はい、何でしょうっ?」
名前を呼ばれると思っていなくて変に畏まってしまった。
「急に敬語とか逆になんですか?気持ち悪いですね。……って、こんな事を言いたくて呼んだんじゃないんですよ。掃除の様子見って私の所だけの予定なんですか?あの人の所へは?」
未だお叱りは来てないが、早くもさらっと気持ち悪いと言われてしまった。
それはまぁ良しとして(口の悪さも許容範囲だ)……あの人っていうのはたぶん、みっちゃんの事だよね?
名字も名前も忘れてる訳じゃないと思うけど、あんまり仲が良くないみたいだしな……この事について追及するのは止しておこう。
「行くつもりだよ。進捗は知りたいしね」
「それ、私も付いて行っていいですか?」
「え?いいけど……」
不仲と思ってたけど、実際はそうでもないのか?
「本当は進んで行きたくはないんですけど、一応あの人と掃除対決してるんで」
「あー、そういえば」
鵜久森ちゃんが様子見に同行したい理由は府に落ちたが、行かずに済むなら回避したいというのが表情から伝わってくる。
みっちゃんに対する「嫌い」という感情よりも、対決の勝敗の方が鵜久森ちゃんにとって大事らしい……いいや、それは違うか。
嫌いな相手だからこそ、勝敗に執着するのかも。
「他に私の進捗で確認する事はありますか?無ければ早速、あの人の所に行きたいんですが」
ざっくりとした進捗を確認しに来ただけで、気になる点などは一切考えてなかった。
何なら僕が思う以上に、鵜久森ちゃんが細かい部分までやろうとしていた事に感心してしまったほど。
「気になる点は特に無かったし、みっちゃんの部屋に行こっか」
即決した僕らは鵜久森ちゃんが担当していた部屋を出て、二つ隣の部屋──つまりは僕と梅城さんが掃除をしていた部屋を通り越した先の部屋へ向かった。
扉の前まで来て僕がノックを三回。
「はーーーい」
タイムラグは無く、みっちゃんの元気一杯な声が僕らの耳へ届く。
……だが、扉越しに小さな物音はしているものの、先程の返事みたくすぐに部屋から出てくる気配がない。
僕と鵜久森ちゃんは顔を見合せる。
時折物音に混じってみっちゃんの声も聞こえるが、どれもこれも予期せず不意に出てしまったようなものばかりで不安を掻き立てられてしまう……。
返事をしている以上、こちらから勝手に開けるのはマナーとして良くない気がするようなしないような────などと考えているとガチャ……っとドアノブが回る音。
「お待たせしましたぁ────あっ、よっちゃん!……と、おとねちゃん!」
心配した瞬間はあったが、みっちゃん自身には何ともなさそう。
扉を体ひとつ分だけ開けて、僕達に笑顔を見せてくれる。
となると問題はこの中身だが……。
「みっちゃん、調子はどう?掃除は捗ってる?」
「えーっと、そうだね、順調、順調だよ!」
……めちゃくちゃ目が泳いでいた。
泳ぐどころか、自信満々に言い切る間に目が上から反時計回りで綺麗に一周していた。
もはや芸術点が高い。
まぁ、どういう状況であれ現状は確認しておかないと。
「僕の方が少し落ち着いたから、進捗を確認させてもらってるんだけど……、ちょっと────」
「取り敢えず失礼しまーす」
中に入らせてもらって良い?と尋ねようとした僕すらも置き去りにして、左隣にいた鵜久森ちゃんがドアノブをグイッと引っ張り強行突破。
みっちゃんはドアノブをガッチリ掴んでいたのか、その勢いで廊下に引っ張り出されポジションが鵜久森ちゃんと丸ごと入れ替わる。
「あ、待って──」
みっちゃんの声は虚しくも呆気なく落城……僕もしれっと中を確認。
正直な感想を言えば、大惨事にはなっていなかった。
ただ、隠したかった理由は分からなくもない。
細かい装飾品やテーブルは端っこの一ヶ所に寄せられていて、部屋の一角がごちゃごちゃしている。
みっちゃんはどうやら部屋をブロック分けして掃除するスタイルみたいだ。
これを見られたくなかったのか、みっちゃんは何とも言えない顔をしている。
そして鵜久森ちゃんは部屋に入るや否や辺りを見回し、散らかってるブロックには目もくれず綺麗にされた場所へ一直線。
どうしたんだろう?と思いつつも鵜久森ちゃんを目で追うと、掃除されたであろう部屋の隅を鋭い眼光で睨み付け、そっと人差し指でひと撫でし、親指でその人差し指を擦る。
少しの間その場で固まり、鵜久森ちゃんが一言。
「甘いですね」
厳しすぎるよ……。
ごちゃごちゃした場所じゃなく、掃除し終わったと思う場所でやられるのは傷口に塩だよ……。
鵜久森ちゃんの感想に、みっちゃんは悲しみとショックのダブルパンチを食らい、率直な思いをぶつける。
「目付きと行動がプロの審査員っ!!恐いっ!!」
審査員を通り越して姑だよ。
こういうのってベッタベタの昼ドラでやってるイメージがもう、概念として現代に残ってるくらいなもんだと思ってたけど、実際やる人がいたとは。
鵜久森ちゃんの容赦なきチェックを受けて、みっちゃんは小さく唸っている。
どちらかと言うと呻き声の方が正しいか。
僕と鵜久森ちゃんの視線が自ずとみっちゃんへ向けられる。
慰めの言葉をかけようとしていると、みっちゃんはピンと来た表情で僕を見る。
「よく考えたらこれって、おとねちゃんの感想だよね……?これはあたしとおとねちゃんと対決なんだから、第三者に判断してもらうのが普通……」
みっちゃんの意見はごもっともだ。
でも……。
「どうなの?よっちゃん。どっちが勝ち?」
嘘は吐けないよな……。
「……ごめん、みっちゃん。勝ちは鵜久森ちゃんで」
「そんなぁ……」
いやぁ……あの部屋のクオリティを見せられるとね。
「……ぅしっ!!」
床でも擦ったような音が聞こえた気がしたなと思いながら、みっちゃん……鵜久森ちゃんの順で目をやると、鵜久森ちゃんが僕に隠れるようにして小さくガッツポーズをしていた。
微妙にバレてるけど……言わないであげよう。
「でもぉ……納得できないっ!!」
おー、みっちゃんにしては珍しい。
ここまで勝ち負けに執着した姿を僕は見た事がなかった。
「そう言われても、勝ちは私に決まりましたよ。これ以上どうしようもないでしょ」
鵜久森ちゃんは冷静に淡々と言ってはいるが、口元が若干緩んでいる。
さっきの喜び、完全には隠し切れてないよ。
とまぁ、思う所はいくつかあるけど……ひとまず僕から出来る提案だけでもしておこうか。
「二人とも、ちょっと良いかな?」
「何ですか?会長。まさか今更勝ち負けを変えるとか言いませんよね?」
話に入ろうとしたら、鵜久森ちゃんから冷ややかな目で見られた。
この短時間で、漏れ出ちゃうくらいの喜びは何処へ行ったの?
「そんな事はしないよ。今回の勝負は間違いなく鵜久森ちゃんの勝ち。僕はそれをみっちゃんに証明する方法があるんじゃないかと思って」
「証明する方法……?」
みっちゃんにとっては不利になってしまうかも知れないというのに、興味を持ってくれたようだ。
こうなれば僕としても話しやすい。
「うん。別に難しい事じゃないよ。今から鵜久森ちゃんが掃除した部屋に一緒に行けば良いんだよ。そこで討論なり、指摘をし合えば解ると思うんだ」
みっちゃんの進捗が鵜久森ちゃんよりも遅れてるとはいえ、ひとつひとつの出来が違うのは一目瞭然。
だからこそ、鵜久森ちゃんの勝ちは覆らないと確信している。
たとえ、指摘する場所があったとしてもだ、みっちゃんには酷な事だが細かい所まで手が行き届いていないのを突き付けるという最悪の手段もある。
「なるほど……妙案ですね。私は構いませんよ」
「凄い自信だね。あたしもそれでいいよ。おとねちゃんの実力、見てあげようじゃないの」
揉める事なく両者、賛成。
むしろ、みっちゃんはかなり乗り気だ。
「じゃあ早速行こうか」
こうして僕らはとんぼ返りするように、鵜久森ちゃんの部屋の前へ。
主導権を握るのは勿論ここの番人(清掃担当)、鵜久森ちゃん。
僕を招いた時と同様、鵜久森ちゃんは手振りでみっちゃんを部屋へ誘う。
僕は一度入った身なので先頭をみっちゃんに譲り、審査員というより仲介人みたいなポジションになった。
まぁ、間違いではないんだけども。
真剣な眼差しでみっちゃんは入室する。
すると、みっちゃんからは驚きの声が漏れ出し、入った側から一歩も動かないまま、ゆっくり部屋を右から左へ凝視し続けている。
入る前の真剣な眼差しからは一変して、大きく見開いているのが横顔から判断できる。
僕と鵜久森ちゃんはただただ、そんなみっちゃんを見つめていると────
「おとねちゃん」
みっちゃんは急に僕らの方へ振り向いた。
「参りました。完敗です」
頭を下げての敗北宣言。
鵜久森ちゃんは一瞬驚いたようだが、それも束の間ドヤ顔をみっちゃんに見せつける。
二人の関係が泥沼化する事も無ければ討論する必要さえもなく、掃除対決はスピード決着となった。




