4話 姿勢
「ホテル代あったんですか? ギリギリまでアルバイトしているのに」
「数日は病院で。ホテルは退院後三泊、その後は週一、二回ぐらいかな。合計で六、七泊ぐらい? 土日は高いから、泊まれないし。格安ホテル探してなんとかですね。高校時代からの貯えを全投入してました」
約七日間もホテルだったら大分お金もかかるだろうし、食べるものも困っただろう。
「あとは……カラオケとか……」
「え、カラオケ?」
「うるさくしてもいいかな~って……ホテルより安いし……」
「合理的って言っていいのかな……」
泣き声を気にしないでいられるというのは確かにその通りだ。
ホテルやカラオケを繰り返してお金が尽きてピンポンダッシュして……
「あれよこれよで今ここにいると」
目の前でコクリと頷く、そして苦しい昨日について口を開いた。
「実は……ですね……昨日はとうとう野宿でした。一日中外で。本当にお金が無くなったので……。ピンポンを鳴らしても、怪しい女と幼い赤ちゃんだと出てくれる人は少ないです、昨日はほとんど出てくれませんでした。平日だからかもしれないけど」
昨日この家を訪れていたら俺はいなかった。
普通に家を出て会社に行って夜に帰ってくる普通の生活をしていた。
「それはそうかもしれませんね。正直、遥さん一人だったら入れてないと思いますよ」
「それが普通です。とにかく怪しいですし。赤ちゃんがいますし、いつ泣くかわからないですし。でも……優さんがいてくれて本当に良かったです。お風呂まで用意してくれて……心から嬉しかったです。結のあせもとかぶれが悪化するところでした。薬は案外高いんで……」
「あっいや。そうですか」
だから、久しぶりに温まったという事か、しっかり洗えたという事か。
ビジネスホテルのユニットバスは家庭用よりは狭いし、まだ小さい結ちゃんがいるから長湯はできない。
そもそも出産した直後はシャワーしか入れないか。
温かい場所を提供できてよかった。
「何よりも結のことを思って動いてくれるのが本当にうれしいです。私も結も」
「それはあるかもしれません。赤ちゃんは守られるべき存在だと思います。お母さんもですけど」
首を横に振る遥さん。結ちゃんの頭を優しく撫でている。
「私はどうなってもいいんですよ。結が生きていてくれれば。こんな思いさせている母親ですけど」
「……お母さんしているとおもいますよ、ちゃんと」
「へ」
「だって、さっきトイレ行った時も風呂に行ったときも、私が見ていないといいました。それを聞いただけで俺はできたお母さんだと思いましたよ」
こんなに小さい結ちゃんだ、心配するのはお母さんの心情は理解できる。
「ピンポン鳴らしたとき遥さんは寒そうな恰好なのに結ちゃんはあったかくきれいでしたよね。それは結ちゃんに苦しい寒い思いをさせないようにと思ってのことでしょう。」
「母親として当たり前だと思っています」
しっかりとした目と口調で言った。やっぱり、お母さんだ。
「そうですね。でもその当たり前ができない人がいくらでもいるんですよ。車に一人にさせてパチンコ行ったり、十分な食べ物与えなかったり。完全に親が悪いですよね。」
「……そんなニュースも聞きますね」
実際にテレビやインターネットニュースなんかでもこの手の事件は何度も目にした。
もし自分が車のなかに長い時間放置されていたら、食事をとることができなかったらと考えたらそういう行為はできないはずだが、このような事件が起きていることも事実である
遥さんは親としての責任感は人一倍強いことを肌で感じる。
「自信もっていいんじゃないですか」
「そうですか。自信が少し取り戻せました」
「すいません、偉そうに」
「いえいえ」
遥さんは嬉しそうに笑うが、一番大事な話に入る。
遥さんと結ちゃん、二人の未来について問う。
テーブルの上のお茶を一口飲んだ。
コップの底に沈殿していて苦かった。
そして、彼女の目を見て話し始める。
◇◇◇
「単刀直入に、これからどうするんですか?」
俺のより重みを増した声で、彼女も真剣かつ不安そうな顔になる。
「……正直かなり困っています。アルバイトしようにも結がいるし、預かってくれる人もいませんので……」
「そうだね。じゃあ、いつまでここで休みますか。入ってくるとき一晩って、少しって言ってたけど」
「……迷惑ならすぐにでも……出ていきます……よ」
俺のことをチラチラ見ている。
そうは言っているが知らない間に正座していた足も崩して用意したひざ掛けもバッチリ使って、長話でコップの氷も溶け切っている。
冷水筒を持ってみるとおかわりは空になっていて、用意したお茶菓子も見事にお腹の中に入ったようだ。
洋服にクッキーのかけらが散っている。
自分の家かのようにくつろいでいる。
気が付いたようでティッシュペーパーで集めて丸めた。
「出ていくつもりないですよね……正直に言ってください。」
「……てへ」
顔を見ればわかる、出来ることならしばらくここに置いてほしいと。
入れたときは、少しだけと心に決めたが、もう別に構わない。
ただ、遥さん自身から、ここにいたいって素直に言ってほしい。
口で伝えないと本当にここに居たいかわからない。
それよりも、結ちゃんを育てるためにどんな場所を望んでいるのか、お母さんから聞きたい……明らかだが。
「仮にここを後にしたらしたで、またピンポンですかね。お金もないのに」
「そう……なります……かね」
「これから結ちゃんどうするんですか?」
「どうなるんでしょうね……」
「どこでどうやって育てるんですか、これから幼稚園から始まり小学校中学高校と歩んでいくんじゃないですか。大学とか専門学校とかにも行くかもしれないよ。病院代払えてないのに、この状態では行かせられないよね」
今の時代は大学に行くことも珍しい話ではなくなっている。
そのためにはたくさんの教育費が必要である。
「……はい……私も行ってないですけど……この子にはいろんなことを経験してほしい……たくさん遊んでたくさん勉強してほしい」
現実的なことを耳にして、一気に肩を落とした。目先のことで精いっぱいであろうが、現実問題、一日一日成長してあっという間に幼稚園や学校に行くことになる。
「それ以前に今どんな環境に置くのが結ちゃんのためだと思いますか。将来じゃなくて今、生きていくために。未来につなげるためには今どうにかしないと。今、食っていくために」
「普通に……家……。あったかくてちゃんと育てられる場所」
「家が結ちゃんにとって最適な環境ということですね」
「はい……」
家という一言が彼女にとってどれほど重たい言葉だろうか。
結ちゃんが生まれてから安全に育てられる場所にいなかった。
家に入れてもらったこともあるようだが,今ここに居るということは結ちゃんにとって安全な場所ではなかったということだ。
「遥さんにとってはどうなんですか、結ちゃんも遥さんもどっちも最適な場所のほうがよくないですか」
「私も……屋根がある家が……もう外は嫌です……」
ちょっと言い過ぎたかな、聞きたいこと聞けたからこの辺で助け船を出しておきますか。
遥さんが結ちゃんを見る顔を見ると心が痛くなる。
「じゃあ、何かの縁なので少しだけお助けしますか」
「でも、そんなこと……」
「じゃあ、野宿するのかな、今日の夜も寒いよ」
俺は窓のほうを見て言った。
「……助けてください。お願いします」
まっすぐ俺の目を見る遥さんの目からは、再び一筋の涙が流れ始めている。
「わかりました。それを聞けてよかったです」
「ありがとうございます」
「半分俺が誘導したかもしれませんがちゃんと助けてほしいって言って欲しかった」
“助けて”のその一言が聞きたかった、ただそれだけだ。
その遥さんから流れるものは本当の気持ちであることを示している。
「はい……最初から言えてればよかったのですけど」
「この世の中は自己責任ですから。どんなことがあってもね」
「そうですよね……」
「まぁ、今までピンポンしてたってことらしいので、アクションを起こしていた点では行動力があるのかもしれないけど……やり方が悪かった。ローラー作戦で、誰彼構わずにピンポンピンポンするのは」
「おっしゃる通りです……」
「会って数時間良く喋る男で信用ないかもしれないですけど……よくわからない変な人よりかはいいでしょ。自分で言うのも違うかもしれないけども」
「そうですね。とっても喋る人だなって思います」
言われたことはない、思われているかもしれないが。
でも、二人のことを見ていると口が勝手に動いた。
「ただし、赤ちゃんは別。誰かの力なしでは大きくなれない。自分じゃどうしてほしい、ああしたいって言えないのだから。……いや、泣いてヘルプを伝えているから大人よりはいいのか……」
大人になればなるほど言えないことが増えてくる。
そう思えば赤ちゃんは何をしてほしいかは言えないが助けてほしいということは伝えることができている。
そう思えば素直さの塊だと思った。




