54 ヘルゼン伯爵家の変化
ロゼリア王国の王都、閑静な住宅街の一画にヘルゼン伯爵家のお屋敷はある。
煉瓦を積み上げた高い塀の向こうの生活を羨む人も多いだろう。だけど、一度中へ入ってみたらきっと分かるはず。ここは、高慢と偏見、そして強い私欲が渦巻く地獄だ。
「まぁ、まぁ!なんだか入院生活を経て少し痩せたんじゃない?今日は栄養が付くものを作った方が良いわね。ちょうど良い鹿肉をいただいたのよ」
後ろで控えるイボンヌの方を振り向いてペチュニアは「協力してあげて」と囁く。私は出来るだけ穏やかな笑顔でそれを見守っていた。
「ジャンヌ!」
高い声に目線を上げると、階段の上ではピンク色のドレスを身に付けたアマンダが立っていた。いつも以上に着飾った美しい従姉妹を前に、私は首を傾ける。
その反応を見て焦ったようにアマンダは口を開いた。
「違うの、今日は医療学校のパーティーがあって……私にパートナーが居ないと相談したらイーサン様が、力になってくださると……」
「事情があるのね、大丈夫よ。イーサンが進んでそうしたいと言ったのなら、彼に任せるわ」
「ありがとう。イーサン様はまだ部屋に居るから呼んで来るわね。貴女が今日戻るって知ってたらそちらを優先したのに、」
「伝えてなくてごめんなさい。だけど、気にしないで」
私が微笑むと、それまで黙って聞いていたアマンダがハッとしたように口元を押さえた。
「待って、ジャンヌ!その顔は何?」
「え?」
「どうしてそんなに派手な化粧をしているの?南部の病院で何かあったの?もしかして良い出会いがあったんじゃ……」
言いながらペチュニアの方へと視線を投げるので、私は慌てて「気分が変わっただけ」だと説明した。病院で会った時はほとんど素面だったし、この姿でアマンダに会うのは初めてなので、驚くのも仕方はない。
そうなのね、と腑に落ちない顔で頷いて、パタパタと去って行くアマンダの後ろ姿を眺めつつ、内心モヤモヤとした感情もあった。
思った通りだ。
私が居なくなったところで、この家の人間は変わらない。従姉妹と夫に関してはチャンスとばかりに仲を深めている。きっと彼らはまともに対峙したところでこちらが損をして終わり。
退院初日だが、義母は手の掛かる鹿肉の料理を私に作らせてようとしている。協力を頼まれていたイボンヌはおそらく監視役程度の働きしかしないし、メイド長のメルトン・リュシーにも声を掛けておこうか。そう考えたところで、私はメルトンの姿が見えないことに気付いた。
「あの、お義母様……メイド長はどこに?」
ペチュニアはイボンヌと顔を見合わせる。
プッと吹き出して身を屈めた。
「メルトンには辞めてもらったの。最近家の都合だかで欠勤が増えていたし、経験で言うとイボンヌの方が豊富だから」
「辞めた……?」
「ジャンヌ様は親しかったから残念ですよね。でもごめんなさい、私はもともと公爵家で仕えていたメイドなんです。リュシーさんのやり方とは合わなくて」
驚いて固まる私の前で、イボンヌはペチュニアの手を取って頭を下げた。満足そうな義母の顔を見て、私はより一層屋敷の空気が悪くなったのだと悟る。
確かに前メイド長メルトン・リュシーは家庭的な料理を作り、調和を重んじる人だった。派手ではないけれど食べる人の健康を支えるような献立をいつも考えてくれていた。
「ヘルゼン伯爵家は、今後もっと飛躍していくべきです。ロゼリアの一貴族ではなく、国外にもその名を馳せる器であると私は信じています」
「あぁ、イボンヌ……!」
「今のような小規模なものではなく、大々的なパーティーを開いてはいかがですか?上位貴族を集めて、ヘルゼンの存在感を高めるために」
「んまぁ、んまぁ!貴女ってばどうしてそんなにアイデアに満ちているの!メイド長にしておくことが勿体無いわ。最近商会でも新しい試みが始まったし、景気付けに良いかもしれないわね」
互いを褒め合う二人を横目に、私は変わってしまった屋敷内の力関係について考えていた。
イボンヌ・イワノフがメイド長になって、メルトンが屋敷から追放されてしまった。ついこの前病院にお見舞いに来てくれたばかりだったので、信じられない。私の記憶が正しければ、メルトンはヘルゼンにずっと仕えていたメイドだ。
バッカスの姿が見えないが、父ダフマンへの負担は増えていないだろうか?
ペチュニアの言う新しい試みというのが何なのか非常に気になる。宝石店にでも行けば教えてもらえるかもしれない。二人から聞くよりも、はるかに早くて分かりやすいだろう。
「お義母様、少し出掛けます。昼前には戻るので、夕食の仕込みはそれから取り掛かります」
「なんですって!?」
「宝石店に出向いて私の仕事の進捗を確認する必要があります。いつまでも人任せにすることは出来ませんから」
「待ちなさい、貴女はヘルゼンの……!」
私は最後まで聞かずに扉を閉めた。
どうせイーサンはアマンダとパーティーに出掛ける。去って行く夫を引き止める気はさらさらないし、もう何も頼りにはしていない。邪魔はしないので、どうか自由に振る舞ってほしい。




