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お望み通り、悪妻になりましょう  作者: おのまとぺ
第二章 ヘルゼン伯爵家の悪妻
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39 カール・アルキノー



「ねぇ、貴方。大通りに良いベーカリーを見つけたの。カール・アルキノーという店主が営んでいるんだけど、知ってるかしら?」


 ペチュニアがその名前を出したのは、土曜日の朝のことだった。イーサンは不思議そうな顔で父と母の顔を見比べている。私は義母のにこやかな笑顔に寒気を覚えた。


 カール・アルキノーとは、大通りでパンやマドレーヌなどの焼き菓子を販売する腕の良い職人だ。王都でも人気を博していたが、前回の人生では私が二十一歳のときに閉店となった。他でもないペチュニアが、異物の混入を騒ぎ立てたせいで。


 机の下で拳を握って、会話を見守った。



「アルキノー?聞いたことがないな……」

「店主は北部出身らしくて、バターやミルクなんかはそちらから取り寄せているんですって。お友達がみんな揃って絶賛するものだから、私も買ってみたの」

「ほう、味が良いのか?」

「ええ。味もそうだけど立地が抜群よ。銀行の前に位置してて、大通りだから人通りも多い」

「そりゃあ売れるだろうな」


 そうよねぇ、と笑うペチュニアの口角が恐ろしいほどに釣り上がるのを私は見た。間違いなく、あの場所に狙いを定めている。


 カール・アルキノーのベーカリーは確かに美味しいけれど、比較的庶民向けの価格帯であり、高級志向のペチュニアが手放しで絶賛するとは思えない。私は咳払いをしてバッカスの方へ向き直った。



「そういえばお義父様、冬に向けて新しいジュエリーの発表会をするというお話ですよね」

「ん……?あぁ、そういえばそうだったな」

「コリーナ洋裁店と合同で行うのはいかがでしょうか。コリーナさんからは了承を得ていて、隣り合う店舗だからこそ可能なイベントかと」

「マドルガと合同ですって!?」


 耳をつん裂くようなペチュニアの叫び声が響いた。


 立ち上がって息を切らしながら、義母がこちらを睨み付けている。私は「そうです」と答えて、再びバッカスへと顔を向けた。


「宝石店は裏通りに面していますが、最近コリーナ洋裁店で宝石を取り扱ってくれているお陰で、そちらからのお客様も増えています」

「そうだな。数字での報告は確認している」


 バッカスは顎髭を撫でつつ、満足そうに目を閉じた。私は息を呑んで続く言葉を待つ。視界の隅で、ペチュニアが信じられないといった顔をしているのが見えた。


「良好な関係を続けてくれ。あの場所で上手くいくのかと不安はあったが、君のお陰で持ち直した。やはりクレモルンとの縁談を提案した私の目は正しかったな!」

「………こちらこそ、感謝しています」


 私は頭を下げてペチュニアを盗み見た。

 悔しそうに唇を噛む姿からして、私が店にとってプラスに働くとは夢にも思わなかったのだろう。自分が見つけてきた素晴らしい立地を、夫も絶賛すると期待したのかもしれない。


 でも、そんなことはさせない。

 私の夢はヘルゼンの夢を砕いていくことだから。




 ◇◇◇




 その後、イーサンに行き先を告げて一人で家を出た。夕食の準備はメイド長の協力のもと、昨日のうちにある程度終わらせたし、ペチュニアに何か言われても問題はない。


 南部の祖父母のもとへ行くつもりだった。

 毛皮の仕入れ元を教えてもらうために。


 前回に訪問したときにはまだ夏の陽気が残っていた気がするが、ここ数週間でぐんと冬に近付いたため、街を歩く人たちはコートに顔を沈めている。私はバスに乗り込んで窓ガラスに頭を預けた。


(今日もお休みなのかしら………)


 頭の中では前回会ったユーリを思い浮かべていた。


 イーサンの件は彼の方でも動いてくれるという話だったけれど、本当に大丈夫なのだろうか。こちらも医者や効果のある薬の情報はまだ入手していないことを伝えた方が良いかもしれない。


 真剣に考え込んでいたつもりだが、心地良い揺れのおかげか、いつの間にかうとうとと夢の中を彷徨っていたようで。



「おい、着いたぞ」

「んん………」


 意識はまだ戻っていないけれど、鼻先を掠めた潮風の匂いに身体を起こす。ぼんやりとした頭で瞬きを繰り返した。


「ここは……?」

「終点だ。このまま乗り続けても王都へは戻らないから、早く降りるべきだろうな」

「………貴方は……、」


 夢うつつの双眼がピントを結ぶ。

 金髪の下で細くなる碧眼が目に入って、私は飛び上がらんばかりに驚いた。


 どうしてユーリがここに?

 というか、いつから隣の席に?


 すっかり油断していたので、慌てて口元を擦りながら記憶を辿る。乗車して早いタイミングで寝落ちしてしまっていたから、その後の記憶がない。


「だ、団長様が、なぜここに……!」

「言っただろう。南部に家がある」

「それにしたって起こしてくれたって良いじゃないですか!貴方が隣に座っていると知っていたら私はもっと、」

「疲れているようだったから」


 確かに疲れてはいるが、それにしても声ぐらいは掛けてほしい。変な寝言を言っていないかどうか内心ドキドキしながらユーリの後を続いてバスから降りる。傾いた太陽からおおよその時間を考えた。


 正午前後というところだろうか。



「今日は休日ですか?」

「あぁ。今頃クリストフが恨み節を唱えている頃だ。アイツは仕事だから」

「お気の毒に…… 最近、夫に変化はありませんか?私のことを警戒していないと良いのですが」

「特にはない。何か警戒される覚えでも?」

「いえ。実は少し自己主張の方法を変えてみたんです。今までヘルゼンのお屋敷で引き篭もるだけの人生だったので。見た目が変わると人の対応も変わるものですね」


 私の話を聞きながら、ユーリは足を止めてこちらを見た。数秒の間、観察するようなエメラルドの瞳にドギマギしつつ堪える。


「………どこが変わったんだ?」

「えっ?」

「そうか、髪を切ったんだな。もしくは服の色が違うとか」


 私は口を開けてユーリを見上げる。

 別に興味を持ってほしいわけではないけれど、無頓着にもほどがある。眼中にないとはまさにこのこと。


「分かりました。意中の女性以外に関心を持てとは言いませんけど、あまり女の人にそういう発言はされない方が良いですよ」

「は?」

「些細な変化でも気付いてあげた方が喜ばれると思います。それでは私はこれで」


 ぺこりと頭を下げて、ズンズンと山道を登り始める。ハンベルク子爵家の祖父母にはすでに連絡を入れてあるから、きっと一緒に昼を食べようと待っているはず。


 それにしてもユーリのあの反応。

 イーサンみたいに交友関係が広いのは不安が大きいものの、団長のように無関心過ぎるのも考えものだ。余計なお世話だったかしら、反省しつつ私は祖父母の家を目指した。



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