36 上等
したたかに悪妻を目指すはずが、とんでもない任務が与えられようとしている。
私は私の人生に手一杯で、それどころではない。国王陛下の命はもちろん大切であるものの、自分の人生さえ思い通りにいかないというのに、これ以上どうしろというのか。
「………む、無理です」
「マイセン国王には個人的な恩がある。もちろんタダでとは言わない。君の復讐は俺が請け負う」
「請け負う……!?」
「イーサン・ヘルゼンをクビにしたら良いんだろう?隊員としての成績はそこまで良いものではないから、必要となれば、」
「そんな単純な話ではありません!」
大声で言い返すと、ユーリは目を丸くした。
イーサンが騎士団を退職すれば私の人生が安泰になるわけではないのだ。避けようとした結婚は、結局そのまま遂行された。父は未だにヘルゼン伯爵の言いなりだし、私だってそう簡単に逃げ出せはしない。
それこそ、アマンダとイーサンが浮気している確実な証拠でもあれば展開は違うかもしれない。ヘルゼンの人間が誰も言い逃れできないような、確固たる証拠があれば。
だけど残念ながら、そちらも容易ではない。見つかったイヤリングだけでは足りない。イーサンの部屋で二人が同衾しているような現場に突入出来るならまだしも。
「………クビになるだけでは足りないのです。私は、ヘルゼンに首輪を握られているので」
「どういう意味だ?」
「私の生家であるクレモルン男爵家は、父の仕事の都合上、ヘルゼン伯爵家に頭が上がりません。この結婚は両家のより良い関係を構築するためのものであって、恋愛ではありません。だから、」
私は言葉を切って息を吸った。
もう一度「だから」と言葉を続ける。
「夫には恋人がいます。それも、すごく近くに」
「不貞を働いているのか」
「はい……。私には証拠が必要でした。クリストフさんに頼んだのは、宿舎での夫の監視です。はじめは同じ騎士団の中に相手がいると思っていたので、見張るようにお願いしていました」
ユーリは顔を顰めて、相手が見つかったのかと尋ねた。私は黙って首を振る。
「見つかりませんでした。夫の浮気相手は私の従姉妹でしたから」
しばらく、沈黙が流れた。
ここまで明け透けに話す必要があったのかしら、と内心後悔したけれど、あの日記を読まれた以上は中途半端な隠し事は出来ない。
ましてや彼が私に協力を求めるならば、こちらの事情も共有しておくべきだろう。
自分の幸せと家族の幸せ、二つを天秤にかけて私は後者を選んだ。二度目の人生ならば上手くいくのではないかと少し期待していた。自分自身、余裕を持って挑めるのではないかと過信した。
いったい、何が変わったというのか。
「信じてくれるか分かりませんが……私は一度目の人生で死んでいます。イーサンの浮気を知って動揺して、逃げ出した挙句、事故に遭いました」
愚かな妻だと、きっとペチュニアは葬式で声高に言い放ったことだろう。誰かが私の死を悔やんでくれただろうか?アマンダとイーサンにとっては、朗報だったに違いない。
「………良い妻になりたいと思っていました。夫にとっても、ヘルゼンの家にとっても、よく尽くして働くことが自分の使命だと」
間違っていたとは思わない。
与えられた仕事をこなすために全力を尽くした。義母に好かれて、夫に愛される妻になりたかった。そうすればクレモルン男爵家にとってもプラスになって、父も喜ぶはずだと信じていた。
どうして、どこで、私は誤ったのだろう。
気付かないうちに一人で。
「妻帯者じゃないから分からないが、」
ユーリはどこか遠くを見ながら口を開く。窓の外なのか、それとも壁の時計なのか。いずれにせよ、私はきっと充血しているであろう自分の目が彼の視界に入らないことに感謝した。
「良妻であることが必ずしも相手に評価されるわけではない。傲慢で欲深い人間に利用される危険性もある」
「………そうだったんでしょうね」
「それで、次はどうする?」
振り向いてそう問われたので、私は小さく息を呑む。
マリーが教えてくれた自分の変え方。コリーナが背中を押してくれた新しい道。二度目の人生に、もう一度賭けてみても良いだろうか。
「悪妻になります。ヘルゼンを破滅させるために」
聞いたのはそっちなのに、ユーリは驚いたように目を見開いた後で吹き出して「上等じゃないか」と笑った。




